個人を守るために必要な支援と対策 第7章:孤立しない社会とは ⑥

 3つ目に挙げた自分の選択結果起因の場合は他の2つとは異なっている部分が多い。

 それは“個別選択の比重”という点だろう。

 1つ目の場合は親等の比較的近い関係性の人が関係するし、この場合は親に主な選択権が委ねられ、子供たちが選択出来る内容に制限があるし、仮にその選択をしても“親の許可が必要”や“親の支払い能力”など子供が選択しても大人にその選択に対して関与しないと前に進まないようになっている。また、最終決定権も親が持っているため、親の価値観と子供の価値観が違っていた場合には子供の選択したことに対して拒否することも出来てしまうのだ。

2つ目の集団起因の場合も友人や同級生など周囲にいる人が関係することが多いため、1人1人が自己選択をする場面はあるが、その選択が人間関係などに影響を及ぼすため、友人たちから周囲との協調性を求められる場合が多いのだ。

 そして、本人が自分自身で答えを選択したとしても、その意見が少数派であるマイノリティな意見だった場合に孤立する可能性が高くなり、その意見を持っていることで友達が減るなど孤立が深まるが、同じ意見や価値観を持った人と繋がる事で1つの価値観を信じて生きていくことに繋がっていく。

 ただ、3つ目に挙げた個別選択は前記した2つよりも深刻な部分が多い。

 まず“その進路に進まないと夢が絶たれてしまう”という問題について考えてみたい。

 これは現在の社会において“専門職”といわれている専門の資格や免許などを必要とする職業に従事したい場合には必要な教育課程を卒業しなくてはいけない。

 そのため、受験で失敗することで選択肢が狭くなることになり、本人にとっては決断する事が難しくなるだけでなく、その職業に就くための選択肢が残っていない場合、1年間浪人することで翌年の受験資格が得られるが、問題は“個人の経済状況”と“家庭の経済状況”がその挑戦に見合っているのかを考えなくてはいけない。

 例えば、子供が“医学部に進学したい”と思って、自分が志望している大学の附属中学校を受験したいと思っていた。

 しかし、入学の条件を満たせず、条件付き受験でかつ結果が“不合格”だったため、今年度の入学が出来ず、転入試験も高校入学の段階の選抜試験で不合格になった生徒がいないと実施されないため、その学校に入学する手段は大学受験しかないということになる。

 そのため、大学受験を目指すためには中学・高校をそれなりのレベルの中学・高校を卒業する必要があるのだ。

 ここで、問題になるのが“どの学校を選ぶか?”だろう。

 現在は医学部合格者数が多い学校も増えてきたが、都市部などに集中しているため、地方部に住んでいる人にとっては難しい選択になるし、学校側も“こんな遠くから毎朝通えるのだろうか?”というハード面の課題もある。

 そのうえ、このような学校は休日という概念はほとんどなく、休日も講習や補講などで学校に行くことになるため、学習量が増えることによる“精神的孤独”が起こりやすい環境下に置かれることになる。

 これは本人がなりたいという夢を持っているからこそ成り立つのだが、難しいのは“世間体”や“第三者による干渉”などが起きていた場合にどのように本人のメンタル面を考え、適宜アドバイス等を送れるかという人材育成の観点、専門教育的観点から見て必要な措置を求められる環境下に子供たちを置くことが出来るのかという問題だ。

 これは地方部に多い印象だが、第三者である近所の人がその家の子どもに対して「○○君のお父さんは○○だから○○にならないの?」や「○○ちゃんの家は代々○○だから○○ちゃんも○○になるのよね?」といった“一方的な固定概念に基づいた先入観による当てつけ”のような声かけをすることで子供たちの“職業選択の自由”が行使出来なくなる可能性もある。


現在、小説とコラムを書いています。 コラムに関してもこれから完成している物を順次公開していく予定です。 自分の夢はこれまで書いてきた小説を実写化することです。まだまだ未熟ですが、頑張って書いていきますので、応援よろしくお願いいたします。