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2021年12月の記事一覧

信号機の庇 (ひさし) はなぜあるの?

信号機の灯器には、光るレンズのすぐ上に屋根のような庇 (ひさし・フード)がついているのを知っているだろう。この庇、短かったり長かったりといろいろな形があったり、最近は庇がない信号機も登場している。この記事では、信号機の庇の役割と最近の事情を見てみよう。 庇とは?信号機の庇とは、写真のように、光るレンズのすぐ上にあるパーツのことである。 信号機にはさまざまな庇が装備されている。これらには意味がある。 庇の役割・機能庇には以下の機能がある。 誤認防止: 一定方向以外、もし

「ラーメン二郎に行くと、そこは茶室だった」

最初にいうが、私はラーメンがそんなに好きではない。 食べても年に1回か2回くらい。 年に1度も食べないこともあるくらいだ。 だから、これは、ラーメン通の人が書くブログではない。 しかし今回私は、人生で初めてラーメン二郎に行き、そこに茶道の精神を感じてしまった。 ただ、それだけのことが言いたく、この筆をとっている。 ラーメン二郎と、茶道の共通点をここからまとめていきたいと思う。 知人に誘われた初めての二郎 ラーメン好きの知人男性に連れられて、京都のラーメン二郎に行ったの

【フィールドワーク】下水道の過去、そして自然とのつながりを知る

今年で3回目の開催となった”東京地下ラボ by 東京都下水道局”のテーマは「下水道の可能性を、想像力によって拡張する」というもの。 これまではZINEや動画とアウトプット方法が決まっていましたが、今年は参加している学生(地下ラボメンバー)が自由な手法で未来の下水道を表現します。 今回はワークショップに続き、フィールドワークの様子をお届けします! 『旧三河島汚水処分場喞筒場(ポンプじょう)施設』最初に訪れたのは、荒川区にある『旧三河島汚水処分場喞筒場(ポンプじょう)施設』

ゴールデン街のボニーとクライド

この物語は、新宿ゴールデン街「月に吠える」店主のコエヌマカズユキが、この街で経験した出来事や、出会った人々について描いたものです。事実をもとにしていますが、あくまでフィクションと認識のうえお読みください。 『俺たちに明日はない』という映画がある。大恐慌時代のアメリカを舞台に、実在した男女・ボニーとクライドが、銀行強盗をしながら逃避行をする物語だ。ラストシーンで、二人が87発の銃弾を浴びて死ぬシーンはあまりにも有名である。ボニーとクライドは、アメリカの犯罪史に名を刻んだだけで

人間関係リセット

 二十代のころ、といっても何年か前の話だが、マッチングアプリに登録していたことがあって、それは学術的にマッチングアプリと心理面のことを研究し、論文化しようと思っていたからである。というのは全くの嘘で、世の人と同様にマッチング目的でマッチングアプリをしていた。  マッチングとは何か。それは、需要と供給が噛み合うことであって、例えば私がアプリに登録すると、ただちにたくさんの妙齢の女性の顔が丸く切り取られてずらっと画面に並んでおり、マッチングしたいなあと思った人を見つけたら、その

昨年の今日、私は今の会社の内定をもらった。

12月28日最終営業日。池尻大橋の駅まで向かう道端で、白い息を吐きながら電話を取りました。 この1年で私の人生は大きく変わりました。もしかしたら今頃海外の大学に行っていたかもしれない私は、今年の4月から新入社員として日本の企業で働き始めました。自分が働くなんて思ってもいなかったのに、去年の10月から就活を始め、もう年の瀬が迫った12月の最終営業日に内定の通知の電話を受け取りました。 電話で私に結果を伝えてくれた若いお姉さんの声。これで良い年を迎えてくださいね。そう言ってく

わたしがデザイナーの道を選んだ理由、18年目に思うこと

こんにちは!ユキックス(@MILKIT_DESIGN)です。 今回は 「#この仕事を選んだわけ 」というお題を見つけたので、 わたしがデザイナーになった経緯を綴っていこうと思います。 幼少期 埼玉県さいたま市で会社員の父、専業主婦の母、3歳離れた妹のもとで生まれ育ったわたしは、幼稚園の頃の夢はケーキ屋さん。 物心ついた時には師範だった祖母から習字を習い、近所の音大卒の先生のもとでピアノを習い始めていた。 小学生 - 中学生 小学校入学と同時に当時の浦和市から大宮市へと

【アリ、時々キリギリス】

私の母は、美容院に行かない人だった。一本に縛った髪の毛を、ハサミで真横に切り落とす。私も何度か、その役目を任された。 ジョキン。 潔い音とともに、風呂場の床に母の長い髪の毛が散らばる。それらをかき集める最中、よく爪の間に髪の毛が刺さった。痛みよりもやるせなさを感じた理由が、当時はわからなかった。でも、今ならわかる。やるせなさを感じていたのは母で、私はそれを無意識化で拾い上げていただけだった。 母は言った。 「美容院代なんてもったいない。髪の毛を切るだけなのに何千円も払

人見るもよし 人見ざるもよし 我は咲くなり

どんなに辛いことがあったとしても、祖母の前では決して、それを見せてはいけないと思っていた。 #我慢に代わる私の選択肢 意識された日常 誰に言われた訳でもないのに、祖母がいる食事の席で私は、いかに毎日楽しくて充実しているのかという話を聞かせることに徹していた。 それは嘘を吐くとか話を盛るとかそういうことではなく、例えば小学生のころ、友達とどんぐりでやじろべえ作っただとか、家庭科で作った炊き込みご飯が美味しかっただとか、そういう「私の世界の日常」を語るのだった。 今思え

子ども好きなのに遊べない私

実は子どもが生まれてから、子どもが大好きなはずなのになぜか長い時間一緒に遊べない、、ということに悩んでいました。その原因、もしかしたら感情労働が苦手なことからきているのかもしれない、と最近気づき、気持ちの変化があったので、そのことをnoteに記録してみます。 初めて違和感を感じたのは大学時代。 元々子ども好きだったので、大学は小学校の教職課程に進み、小学校でボランティアをしていました。丸2年間小学校に関わり、運動会、移動教室、教育実習と経て気づいたのは、全然気持ちが持たない

ママ、大学院にいく 〜トリプル受験の行方

その年、長男は高校3年生、次男は中学3年生。 それぞれ、大学受験と、高校受験を控えていた。 ママはフルタイムで仕事していた。 思春期の息子たちはそれぞれ、学校や部活やらに忙しく、家ではぶっきらぼうでどこまでも思春期だった。 ママは、小学校の先生をしていた。 とにかく忙しい毎日だった。 その年の5月ごろから、「ヘルペスが治らない」状態が続くようになった。 お医者さまには「こんなに治らないなんて、大きい病院で診てもらった方がいい」って言われるようになった。でも、原因がわかっ

私のおかん

「あんたは行くって言うと思ってた。 でも、今は行かんとってほしい…」 普段見ることのない母の泣く姿に、心臓がぎゅっと掴まれたようだった。 子どもの頃から自由奔放に生きてきた私は、小学〜高校時代は保護者の呼び出しなども多く、いわゆる問題児だった。 「なんで、お姉ちゃんと同じように育ててるのに、あんたはこうなの…」 学生時代の私に対する母の口癖がこれ。 当時は「うっさい。ほっといて。関係ないやろ」というのが私のお決まりの返事だった。 そんな母との関係が大きく変わったの

バインセオの恩返し

これはわたしが北欧のノルウェーで生活を始めた頃の話です。それからしばらく海外生活が続きますが、これははじめてそれに挑戦したときのことです。7年ほど前になりますが、読んでくれたら嬉しいです。 こんなホームレスまがいの生活はもうできない。私は霧の中で考えていた。いや、何も考えられなかった。ここは閑静な住宅街で、オスロからは少し離れた郊外。時刻は朝3時。北欧では夏至が近づくとこの時間にはもうすっかり明るい。そしてそれが今は何よりも救いだった。 夏なのに、どうしてこんな霧が発生し

「君はどうする?」と聞かれたときに…

夫と結婚する前、ドイツ人の彼とお付き合いしていた。 彼も私も、母国ではない地で働き、生活をし、そして母語ではない言葉を使ってコミュニケーションをとっていた。 私は彼の話す綺麗な英語が好きだったし、彼の明るくて優しい性格も大好きだった。 ある日、彼のお母さんがケガで入院したとの連絡が入った。 彼は母子家庭だったこともあり、一人暮らしのお母さんのことをとても心配していた。 「ちょっと心配だから、一度ドイツに帰って母の様子を見てくるよ」 そう言って、彼はドイツへと飛んで帰