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人間関係リセット

 二十代のころ、といっても何年か前の話だが、マッチングアプリに登録していたことがあって、それは学術的にマッチングアプリと心理面のことを研究し、論文化しようと思っていたからである。というのは全くの嘘で、世の人と同様にマッチング目的でマッチングアプリをしていた。

 マッチングとは何か。それは、需要と供給が噛み合うことであって、例えば私がアプリに登録すると、ただちにたくさんの妙齢の女性の顔が丸く切り取られてずらっと画面に並んでおり、マッチングしたいなあと思った人を見つけたら、その人にマッチングしたい旨を申し述べることになる。

 とはいえ実際に「えー、六山六郎と申します、マッチングのほど、よろしくお願いします!」と直接会いに行って手紙を渡したり、家の前まで籠で行って和歌を送ったりするわけではなく、電子的に「あなたのことを良いと思う」と伝えることが可能なボタンが設定されており、それを押すことによってマッチングを申請することになる。

 そうすると直ちにお相手の元に、私のキメ顔とともにマッチングしたい旨が伝達される。それを見て、お相手が「マア、なんて素敵なおあにいさんなんでしょう」と大正時代の口調で述べ、電子的に「あなたのことを良いと思う」というボタンを押すと、めでたくマッチングとなり、双方で電子的に文章の交換ができるようになるのである。

 その後のやりとりは自由であり、気が合えば食事に行ったりデート行為をしたりするなどして親交を深めることができ、果ては交際をしたり祝言をあげる人までいるわけであり、現代の出会いのツールとして主要なものとなっているような印象を私は持っている。

 実際これらを使ってみると、最初はものすごく緊張する。相手がどこの馬の骨か分からないからである。場合によってはサイコメトラーEIJIの犯人のような猟奇的な人がやってくるかもしれないし、出会い頭に顔写真を撮影され「600万騙し取られました!」といった文言とともにSNSにアップロードされてしまう可能性もある。

 しかし会ってみると9割くらいは普通の人であり、話し始めると警戒心は薄れるのがふつうである。問題はそこからで、別に仲が大して深まらないのである。

 よく一体誰が書いているのかも不明なネットの恋愛コラムなどに「理想の告白のタイミングは?」などというアンケートがあって、円グラフで順位が示されており、その横に「出会って3回目のデートで告白が最適です!(25歳女性)」「2回じゃチャラいし、4回じゃ脈ナイのかな〜って思っちゃう(21歳女性)」などと正体不明の人物の感想が記されていることがあるが、それに倣って3回くらい会ってみようと思って実際に会ってみると、3回食事をしただけになってしまうことが非常に多い。

 別に好きにならないのである。

 よく考えてみればそれもそうで、女性と3回食事をしただけで好きになってしまうのであれば、職場で女性の同僚と3回食事に行くだけで好きになってしまうことになる。

 などと屁理屈を言うと、意識している人と3回会うから意味があるんだ、とか、先を見据えて色々と話し合うから好きになるんだ、とか怒られてしまう可能性があるので、そのくらいにしておくが、いずれにせよ私は3回食事をして音信不通になる人が続出した。

 次第に3回どころか1回で会わなくなる人が続出するようになり、一切緊張もしなくなる。初回の食事がもはや卓越した詐欺師のショーようになってしまい、緊張しながらも真剣な言葉でコミュニケーションをとっていた頃が嘘のように、ぺらぺらとありもしないことを淀みなく話し続けるサイコパス男のようになってしまった。

 一体私は何をしているのだろう?と思いながらも、家に帰ると再びアプリを開き、新たな人に「あなたのことを良いと思う」というボタンを押し続ける日々が続いた。会っては消え、会っては消えを繰り返した。

 最初は「新しい人に会う」という刺激の中毒・依存症なのだろうと思っていたのだが、会い続けているうちにだんだんわけが分からなくなり、因果の逆転、時間の逆行などの超常現象がわたしのなかで起きた結果「別れるために新しい人に会う」という刺激に中毒性を感じるようになっていた。

 会わなくなって初めて「いや〜楽しい人だった」とか「良い人だったのに、もう会えないなあ」などと思って、エモくなるのである。どう考えてもおかしい。しかし、私の心を詳しく解剖してみると、出会う刺激よりも、別れのエモさに強く反応している気がしたのだ。

 つい先日、人間関係リセット症候群というのをネットでみて、私のこのアプリ体験が思い出された。

 このように病名的に名前をつけてキャッチーにすることに、私には一定の抵抗があるが、それはそうとして、定期的に人間関係をリセットしたくなる人には、私のようにTENET的な時間の逆行が起きて「リセットするために新しい人に会っている」人がいるはずである。

 しかし遡って最初に戻り、どうして4回目に会えなかったのかと思うと、それ以上親密になることを避けていたのかなと思う。人間、仲良くなれば面倒なところも見え、嫌いなところも出てくるのが普通だが、そのようなところも含めて一人の人間として一段深く仲良くなっていくわけである。それが嫌なとき、いや、嫌だと気付きかけた瞬間にリセットしたくなっていたのだろう。

 私のこの問題は、ある人にはいい面も悪い面もあり、どちらもその人であると受容できるか、という成熟の問題と繋がっていたのだが、みなさんはどうか知らない。いろいろな理由でリセットしているのだろうし、まあ好きにしたらいいのだと思う。

 という話を友人から聞いて、全くすごい世界があるものだね、と夕飯のときに妻と話し合った。私はといえば、マッチングアプリなど使ったこともないし、妻もいない。


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