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231.これで、お別れの最後の一枚なのね!

1.生きたいと願わねば、生きれない


冬になると思い出す。

世界中で、何が寂しいかといって、遠い、神秘の旅路に向かう準備をする人間の魂ほど寂しいものはありません。

ずんぐりした煉瓦造りの3階建ての屋根裏部屋に、スウとジョンシーのアトリエがあった。気の合った2人の共同のアトリエ。

18世紀頃のワシントンスクエア。11月にジョンシーは肺炎にかかり、日々ほとんど身動きもせず、ギシギシと鳴る鋼鉄製のベットに寝ていた。ジョンシーはただ、隣りの煉瓦建ての家ののっぺらぼうの壁を、窓ガラスごしに見ているだけだった。

©NPО japan copyright association Hiroaki

スウは慌てて医者を呼んだが、「そうじゃなあ十中八九むずかしいな…」

「何よりも、本人が生きたいと思ってくれぬことには…、まず無理だな。なんぼ薬をもっても、つまらぬこっちゃ。あんたの友達は、どうも自分はよくならんと、自分で決めこんじゃっとる…」

「……ま、わしの力及ぶ限り、あらゆる医療はほどこしてみよう。しかし、患者が自分の葬式の車の数をかぞえだしたら、医薬の効能は50パーセント棒引きせにゃならん。あとは、患者の想いだけじゃ……」

医者が帰ったあと、スウは泣いて泣いて泣きまくった。

ジョンシーはあいかわらず窓のほうに顔をむけて寝ていた。何やら小さく小声が聞こえるので、スウはジョンシーの顔をのぞいてみると、ジョンシーは両目を大きく見開きながら、窓の外をみて、数を数えていた。

「12」と彼女はいった。それから少しして「11」。また少しして、「10」、「9つ」。それから、「8つ」、「7つ」。

スウは気になって窓の外を見た。何を数えているのだろう?むきだしの薄暗い裏庭と、20フィートは離れているだろうか、向うの煉瓦建ての家ののっぺらぼうの壁しか見えない。

©NPО japan copyright association Hiroaki

2.たった一つの友だち

その煉瓦の壁の途中に、根っこが節くれだって朽ちた蔦のつるが1本這っている。つめたい冬の風は、その葉をつるからはたき落とし、まるで骸骨のような枝だけが、ほとんど裸になって崩れかかり、壁にへばっていた。

「ねえ、何なの?」スウはたずねた。

「6つ…」ジョンシーは、蚊の鳴くような声でいった。「だんだん落ちるのが早くなったわ。3日前には、まだ100枚くらいあったのよ。数えていると頭が痛くなつちゃうくらいだったの。でも、もう簡単だわ。ほら、また一つ。あと5つしきゃあない…」

「5つつて、何、いったい? ねえ、スウに教えて…」

「はっぱ。蔦のつるの。最後のが落ちると、あたしもいかなくちゃあならないの。3日前からわかっていたの。お医者さんもそういっていたでしょ…」

「まあ、そんな馬鹿なこと…いうわけないわ…」スウは怒った。

「あなたが、あの蔦をとても好きなことは知っている。でも、蔦の枯れっぱとなんの関係があるの?頑張ってよ…」

ジョンシーは、それでも自分の運命を知るかのように目を窓の外にじっと見据えたまま、「また1枚が落ちるのを見たいわ。そしたら、あたしもいくの…」

「あたし、最後の1枚が落ちるのを見たいのよ。もう待ちくたびれちゃったわ。考えるのもくたびれちゃった。もう何もかもから執着の糸を断ち切って、どんどん落ちていくの。ちょうど、あの哀れな疲れ切った葉っぱ1枚のように…」

©NPО japan copyright association Hiroaki

3.私は、哀れな疲れ切った葉っぱ

スウは、この建物に住んでいるベアマン老人のところに向かった。彼は絵描きだったが、芸術の敗残者だった。彼は40年間も画筆をふるったが、誰からも認められず、絵を描かない、絵が描けない芸術家といわれていた。さらに、酒に溺れ、自分の作品論を口グセのようにしゃべって、誰にも相手にされない老人だった。

スウは、ベアマンにジョンシーの話をする。

すると、ベアマン老人は、赤い酔っ払った目から涙をぽろぽろこぼしながら、叫んだ。「なんじゃと…」ベアマンは彼女が葉っぱのように軽やかに、もろく、ひらひらと飛んでいってしまうと感じた。「ああ、可哀想な娘、ジョンシー…。わしが傑作を描く時が来た…」

その頃、ジョンシーは眠っていた。外はつめたい雨がしつこく落ちている。雪もまじり、ベアマン老人は動き出した。

翌朝、スウが目をさますと、ジョンシーは目を大きく見開いていた。しぶしぶスウはブラインドをあげた。

奇跡が起こった。信じられない、こんなことがあるのだろうか…。長い長い夜中、強い風、強い雨が降りつづき、激しい風が吹きまくっていたというのに、まだ、煉瓦の壁にぴったりと蔦の葉が1枚残っていた。つるにくっついている最後の1葉だった。

「最後の1枚だわ」ジョンシーは言った。

©NPО japan copyright association Hiroaki

4.本当のお別れ

「あたし、夜の間にきっと落ちてしまっていると思ったわ。風の音が聞こえてたでしょ。今日は落ちるわ。そしたらあたしも死ぬの…」

その日も過ぎていった。夕暮れになっても、あのわびしい蔦の葉は、壁に葉をくっつけてへばりついていた。

そして、夜になり、北風は強く、激しく吹き、雨も相変わらず窓にぶつかり、今度こそ、今度こそ…。

夜は明け、ジョンシーはスウにブラインドをあげるよう命じた。しかし、

蔦の葉はまだそこにあった。

ジョンシーは黙ったまま、それをじっと見つめていた。
「スウ、ごめんね、あたしいけない娘だったわ…」

ジョンシーは泣きながら、
「あたしがどんなにいけなかったかってことを見せるために、何かが、あの最後のひと葉をあそこにおいといたんだわ。死にたいなんて思うと罰があたるわね…」

午後、医者がやってきた。

「五分五分の見込みじゃ」医者はスウの痩せた、震える手をとって言った。「看病が良ければ、あんたが勝つ。わしはすぐに階下の患者もひとり、見にいかなきゃあならんからな。ベアマン老人じゃ。絵描きさんらしいが、確か。やっぱり肺炎でな、年をとって弱っとる人だし、急激にやられとる。あの人の方が見込みは全然ない…」

翌日、医者はスウに言った「よし、もう危機は脱した。あんたが勝ったよ。あとは栄養をとって養生すればいい…それでいい」

そして、その日の午後、スウは涙してジョンシーに言った。

「ベアマンさんが、肺炎で亡くなったのよ。たった二日病んだだけなの。最初の日の朝に門番さんが、あの人が下の部屋で、ひとりで苦しがっているのを見つけたんですって。靴も服もぐしょ濡れになって、氷のように冷え込んでいたんですって。あんなひどい夜、どこに行っていたんだか誰にもわからなかったの。その家には、火のついたランタンがあって、梯子はいつものところからはずしてあって、絵筆が何本か散らかっていて、それから緑と黄色を混ぜたパレットが見つかったのよ。それで、ちょっと窓の外を見てごらんなさい。あの壁の最後の葉っぱ。風が吹いても、ちっとも震えも動きもしないの、変に思わなくて?ねえ、あなた、あれがベアマンさんの傑作なのよ…。あの人があそこに、最後の一葉が落ちた夜、あれを描いたのね……」

             オー・ヘンリー『最後の一葉より』

オー・ヘンリー 著「最後の一葉」出版社-角川書店ー1989年5月より

5.coucouさんの最後の望み

coucouさんの子どもの頃、何年間か病院生活をしていた。とても寂しく、いつ出られるかわからず、希望を失っていた。そんなとき、オー・ヘンリーの『最後の一葉』が、望みを与えてくれた。

秋が来ると想い出す。

作家のオー・ヘンリーは、とても不幸な運命の人だったという。


オー・ヘンリー (画像=American Literature)

しかし、当時の作家、詩人、画家などの芸術家は皆同じかもしれない。彼は1862年9月11日に生まれ、1910年6月5日に亡くなり、47年の生涯を送る。もちろん死後70年以上経過しているため作品の著作権は、今はない。

実名は、ウイリアム・シドニー・ポーター。
ペンネームは、オー・ヘンリー。

父親は医者だったが、アル中気味でアヘン中毒でもあり、1888年に死んだ。ヘンリー26歳の頃。

母親は裕福な家庭の娘だったが、30歳で肺病のため亡くなった。

ヘンリーは読書好きで、少年期にはすでにヨーロッパの大作家や古典を多読していたが、教育は15歳でグレード・スクールをおえただけで終わった。高等教育はなかったが、絵や歌はうまかったという。

11歳のとき、薬屋で働いたが、仕事はつまらなく、たいくつで、絵を描いたり、読書に没頭していたという。少年期はこのように暗かった。

1886年に、ある少女に結婚を申し込む。ヘンリー25歳、若妻は19歳だった。彼は愛する新妻のことについては一切語らなかった。それは貴重なものをそっと大切にしておきたいと想ったのか? もしくは他人に自分の心を見せたがらないという、彼の生来の性格だったのかもしれない。

1886年に娘のマーガレットが生まれる。妻はその後大病にかかる。結核といわれている。

6.人生最悪のヘンリー

ヘンリーは当時、わずかな原稿を書いたり、製図係になったり、銀行の出納係になったりと生活のために職を転々としていた。

しかし、銀行の出納係のときに、ヘンリーの運命は大きく変えられてしまうのである。

それは、公金使い込みの嫌疑だ。もともとこの銀行はだらしないことで評判の銀行だった。特に事務がいい加減。

これは、裁判にまで発展してしまう。彼が銀行の出納係に在職中に、銀行経理の検査があり、出入した金額が合わず、出納係に責任を追求され、公金私消の嫌疑で告発されたのだ。

この銀行は前からだらしなく、ヘンリーが銀行に入る前から、すでに収支金額は合っていなかったといわれている。

銀行側は、彼を弁護し、彼の前責任者も弁護し、結果一応無罪となったが、責任上、彼は銀行をやめなければならなくなってしまったのだ。

幸いにも、その後ワシントンの新聞社の編集の仕事が見つかった。一家を引き連れた出発の仕度の途中、妻が結核で倒れてしまい、ワシントン行きを断念。

その後、ヒューストンの「ポスト」紙から仕事の依頼があり、やむ得ず、彼だけがヒューストンに単身赴任することになる。

しかし、意地の悪い銀行検査官は、公金私消の追求、告発を続け、結果、逮捕されてしまう。

そのことを知り、彼の友人たちが2千ドルの保釈金をつんで救援の手をさしのべた。

しかし、ヘンリーは断ってしまう。それは、、弁護士を頼む金もなく、これ以上、人に借金の迷惑をかけたくなかったからだ。こんな生活の中で、彼の宿命的な人生観が生まれたのだろう。それが、作品のいたるところに現れている。

7.ヘンリーの過酷な人生

1896年7月、彼は裁判に向かう途中、ヒューストンから逃亡する。ニューオリンズに行き、中米のホンデラスへと逃げる。

1897年、妻は29歳の若い生涯を閉じた。妻の死後、行なわれた裁判の結果、彼は有罪となり、5年の刑を言い渡される。

1898年、オー・ヘンリーはオハイオ州の刑務所に下獄し、暗い獄中生活が始まる。彼は、夜遅くまで創作に没頭することになる。一人娘のマーガレットは、亡き妻の祖父母のもとに預けられていた。獄中、マーガレットを想う、父親としての苦しさで、彼の愛情はますます大きくなっていく。

1901年7月、模範囚ということで3年間の囚人生活と別れを告げる。当時は、何度も何度も原稿を書き、出版社へ送った。多くは返されてきたが、そのうちの一社、ニューヨークの雑誌社から認められ、1902年の春、初めてニューヨークという大都会に入った。そして、4百万人の人口の中心部で、ヘンリーは次々と短編小説を書いた。40歳のデビューである。

そして、オー・ヘンリー全盛の時代を迎える。

1904年、5年は、ヘンリーがもっとも多作の時期であり、月収は5百ないし6百ドルにも膨らんでいった。

1905年、2度目の結婚。彼は、それだけ稼いでいても原稿料の前借りをし、飲酒も浪費癖もひどくなっていく。

世の名声を手に入れ、大金も手にし、湯水のように浪費し、同時に糖尿病にかかり、たがいに理解を欠いた妻とは別れることになる。



オー・ヘンリー博物館、2007年 アメリカ合衆国国家歴史登録財


1910年6月3日、半失神状態に陥り、病院に入院。糖尿病の他に、肝硬変、心臓病を併発。2日後47歳の生涯を終えたが、当時のヘンリーは300編近い短編を残した。

こころのひと葉

「あと10つ」
「あと8つ」
「あと6つ」

「あと…」。

こどもの頃、オーヘンリーの「最後の一葉」を読んで、とても悲しかったことを覚えている。丁度、coucouさんが13歳の頃。
長い病院生活をひとりでいた頃。

「身体を動かしてはいけない…」といわれ、日々病院のベッドの中に差し込む光と、ガラス窓からわずかに見える風景の中で、唯一楽しむことは、空の青さであったり、風であったり、雨であったり、雪であったり、花吹雪であったり。丁度、窓ごしの風景は、テレビ画面にも似ている気がしていた。

ただ風に揺れ、吹かれ、動いているだけの葉っぱ。
ゆらゆらと揺れている姿を見ているだけで、空想の世界に入り込むことができる。

青葉はとても美しく、生きる希望や生気を与えてくれる。
やがて、春から夏になると、その葉はひとまわりもふたまわりも大きくなり、大人の色に変わる。

そして秋が来て冬が来る。

そして街は死の色に変わる、希望も失う季節のように感ずる。
いつも同じ格好で寝ているため、いつのまにか身体が痛くなる。
床擦れだ。身体は何も食べ物を受付けなくなるが、ぶくぶくと浮腫んでくる。

入院中に栄養失調になり、点滴を毎日受ける。
もう両腕には針を差す場所がなくなり、膿んでくる。
目玉だけが大きくギョロギョロと動く。
足や手の指先が腐る。
すぐに熱が出る。
夜中は看護婦さんの足音。
長々といる共同部屋から次々と人が姿を消す。

もしかすると、このままいなくなってしまうのではないかという恐怖。
ひとりぼっちの入院生活。

「幸せの王子」なんてこの世にいない…

「最後の一葉」を描いてくれるベアマンも友だちもいない。

それが現実…。

小さなこどもがベットの中で想うこと、考えること、それは自らの恐怖との対話しかない。

「あと6つ」「あと5つ…」「あと4つ…」「あと3つ…」、

「あと2つ…」「あと1つ…」

「あっ…最後の一枚が落ちた……」これが現実。

coucouさんはヘンリーを恨んでみた。

「あり得ない話さ、そんなこと…」おもわず笑ってしまったが…。

しかし、ベアマンのように絵を描いてくれる人はいませんでしたが、大自然が偶然にも応援してくれたようです。

「あっ、芽が出ている。こんな寒空の冬に、小さな小さな芽が出ている…」

真冬の寒さの中で小さな芽。何かを勘違いして出てきたのでしようか?
自然のいたずらなのか?coucouさんはなぜか、涙が止まらなくなった…。

それとも…

その時から、病院の中のわたしに絵を描く楽しみがひとつ増えた。

そして、生きてみようと祈った。




©NPО japan copyright association Hiroaki



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