1159.正しさって「自分が納得できているか、できていないか」だよね。 正しさを求めるのはその後でいい気がする。
Correctness is about whether or not you are satisfied with something. I feel like seeking correctness can come after that.
【お馬鹿なcoucouさんの生きるヒント152.】
Stupid coucou's tips for living
1.自由詩.97「私は変わる」Free Verse.97 "I Change"
ものの見方が変えれば、私は変わる
If you change your perspective, I will change
風景が変えれば、私は変わる
If the landscape changes, I will change
相手が変えれば、私は変わる
If the other person changes, I will change
今日が変えれば、私は変わる
If today changes, I will change
明日が変えれれば、私は変わる
If tomorrow can change, I will change
過去も未来も変えれば、私は変わる
If you change the past and the future, I will change
私の人生が変えれば、私は変わる
If my life changes, I will change
世界を変えれば、私は変わる
If you change the world, I will change
Ⓒお馬鹿なoucouさんのひとりごと
Ⓒ The silly oucou's monologue
Ⓒ自由詩.97「私は変わる」
Free Verse.97 "I Change"
Ⓒお馬鹿なcoucouさんのひとりごと 自由詩97.「私は変わる」 coucouさんバックナンバー351のより【解説文】詳しくは👇をお読みくださいね。
2.嫌いな人でも正しいことを言う場合があるEven people you don't like can be right.
人の感情、人の好き嫌いってどうすることもできないよね。
もちろん、合う、合わないもあるけれど、誤解や勘違いだってある。
この人は大嫌いだったのに、いつのまにか惹かれてしまい好きになるときもある。
大好きだと思っていたら、つき合ってみて大嫌いになったという場合もある。
そう、「好き嫌い」って自分だけの「決めつけ」や「主観」もある気がする。
こんな人もお馬鹿なcoucouさんの回りにいる。
それは、とっても生意気、言葉使いも悪い、みんなからも嫌われている...。
だけど、どうしても憎めない人もいる。
好きじゃあないんだけれど憎めない~
会えば、いつも言い合いになる...。
だけど、また会っちゃう(笑)~
別に喧嘩するほど仲が良いわけじゃあないんだよね。
でも、不思議だよね。
いつも会えば言い合いしているのにお互いが嫌いではないんだよね。
こんな関係も面白い気がする。
だって、なんでも言い合えるんだもの。
話し方、伝え方って相手によって変える必要があるってお話したよね。
きちんと細かく説明する人と、説明なしでも伝わる関係もあるけれど、誰もが同じであるわけないから言葉を選ぶ場合もある。
最初から「自分の嫌いな人」には何を言われても感情的になりやすいけれど、同じ言葉を「自分の好きな人」に言われても気にならない。
むしろ、穏やかな話になるよね。
でもね、人間社会は、その「好きな人」と「嫌いな人」が同居しているわけだから、特に仕事の場合は我慢も必要になる。
我慢できなければ我儘になっちゃうもんね。
ここで、不思議だと思わない?
同じ言葉でも、同じ内容だったとしても「好きな人」のことばと「嫌いな人」の言葉は「受け取り方」が違うんだよね。
「嫌いな人」の意見なら絶対に聞く耳は持てないし、認めたくない、騙されてたまるか...、なんて考えてしまうんだけれど、「好きな人」の意見なら、素直に、「その通り~」って言えちゃうんだもの、だから不思議なんだ。
とすると、「嫌いな人」が正しいことを言っても信用できないけれど、
「好きな人」が間違えた場合には信用してしまう...。
こうなると、後で困る場合もあるよね。
3. 好きな人でも誤りを言う場合もあるEven people you like can make mistakes
そう、「嫌いな人」の言葉は信用できないけれど、
「好きな人」の言葉ならなんでも信じられる。
でもね、「好きな人」でも間違いや誤りもあるよね、完全な人なんていないんだもの。
だから、物事の判断、特にお仕事の場合は、「嫌いな人」「好きな人」「好き嫌い」だけで判断したら失敗する可能性が大になる気がするね。
だから、お馬鹿なcoucouさんはね、「好きな人」ばかりを信用してきて、「嫌いな人」を疑い続けてきたんだけれど、少しばかり考えを変えることにしたのさ。
それはね、その内容が、
「正しいか?」
「正しくないか?」
「正論なのか?」って考えるようになったんだ。
だって、後で痛い思いをするのは自分だし、
誰かしらに迷惑をかけるかもしれないんだもの。
だから、最初から嫌いだという先入観(色メガネの色を変える)をなんとか外す努力をしているんだ。実は散々痛い思いをしたんだもの。
だから、「嫌いな人」であっても、最初から否定することをやめてみたんだ。
そう、その「嫌いな人」を観察するようになった。
すると、「嫌い」だけど、意外と正しい、正論を言っている部分もある。
「嫌い」だけど、良い部分もある気がしてきた。
確かに「嫌いな部分」はあるけれど、「良い部分」も発見できるようになった気がする。
coucouさんです~
みなさん、ごきげんよう~
みんなはどうだろうね?誰だって、「好きな人」もいれば、「嫌いな人」もいる。
だけど、どちらも素直に考えて「正しいこと」を言っている場合もあるし、「誤っていること」を言っている場合もあるよね。
そんなとき、困っちゃう~
だから、お馬鹿なcoucouさんは考えたんだ。
それはね、その考えや意見が「好き嫌い」じゃあなくて、「自分が納得できるか、どうか」で判断すればいい気がするんだ。
「好き嫌い」は後回し、自分にとって大切なこと、必要なことって、あるよね。
もし、その意見や考えが「自分でも納得できる」ものだったら、それは受け入れてもいい気がする。
だって、自分にとって必要なことで「納得」できることならばね。
そう、「好き嫌い」の前に自分に素直になって聞いてみるのさ。
そのときは「好き嫌い」の色メガネを外しているときなんだもの。
別に相手の意見に合わせているわけでもなく、命令されているわけでもなく、納得できる意見や答えなら受け入れても損はない気がする。
世の中って「好きな人」と「嫌いな人」と分けて考えると、圧倒的に「嫌いな人」の数の方が多い気がする。
「好きな人」がそばにいればいいけれど、まったくいない人もいる。
いたとしても、わずかな気がしている。
世の中、「好き嫌い」と、同時になんでも「敵味方」と考える人もいる。
だけど、敵の考えを知ることも大切だし、敵だからと言ってなんでも間違いとは言えないよね。味方だと思っていても間違いはあるんだもの。
そして、「正しさ」だって、千差万別、人によって正しさの基準まで違うんだもの。
だから、自分がどんなに正しい、相手の方が正しい、と思っていても、問題はその正しさの前に「自分が納得できているか、できていないか」だよね。
正しさもその後でいい気がする。
そうだね、自分が納得できる人生を送りたいなあ~
長い間、お馬鹿なcoucouさんはね、何もかも納得はできなかった気がする。
ただ、その時点ではただ一生懸命にがむしゃらに生きてきた...。
そう、納得できたものが少ないけれど、もしかすると、永遠に納得ができないかも知れない。
その大きな原因、理由が今日のnoteの内容なんだ。
そう、なんでもかんでも「好き嫌い」ばかりだった気がする。
だから当然、納得するなんて無理な話だよね。
あまりにも長い間、自分が勝手に「好き嫌い」の色メガネをかけて判断してきたんだもの。
でもね、この歳になってその色メガネも褪せてきて、ちゃんと「素直な目」で物事が判断できるようになったんだ。
するとね、「自分が納得する」
「自分が納得できる」ようになった気がするんだ。
それにしても、長すぎた気がしている(笑)
本日も、ここまで、おつきあいありがとうございます~
今日も納得した一日をお過ごしくださいね~
また、あした~
会ってくださいね~
文字数4,231文字
【フランス語】悲しみよこんにちは (Bonjour Tristesse) (日本語字幕)
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