Norma's ノーマ

「無理に何かになろうとしなくていい。 私は私のままでいい。」 心の病と呼ばれるものを経…

Norma's ノーマ

「無理に何かになろうとしなくていい。 私は私のままでいい。」 心の病と呼ばれるものを経験したり、自分を知る作業をしていたら、40年以上が経っていた。 生きてきて良かったと、今思えるようになったから、少しずつ私が日々、何を感じているのか書いていこうと思う。必要な方へ届きますように。

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# 1 このノートに辿り着いて下さった方へ

初めまして、ノーマと申します。 これから、このノートに少しずつ、 私が何を想い、何を感じ人生の日々を生きてきたのか、綴っていこうと思います。 願わくば、ライフワークと呼べるものにしていきたい。 私だけの感覚で、私だけの言葉で、今までの私の事を、お話していきたい。 きっと誰かの元へ届くから。 そして、それは、その誰かの心に寄り添って、一助になるかも知れないから。 自己紹介をしましょう。 名は、ノーマ。 43歳、寡婦。 仕事はしていません。家族と住んでいます。 超インドア派。

    • 強さを身につけるということ〜私のパニック障害体験談〜

      パニック障害を患っていた頃のこと。 もう遠い昔のよう。 でも、確実に自分に起こった出来事。 パニック発作は、痛くない。 もちろん腹痛や頭痛の症状が出れば、一時、痛む。 それよりも。 息が苦しい。 呼吸ができない、心臓が激しく鼓動している。手が震えてくる。 その状態で何を思うか。 「あ、このまま死ぬ。」と思う。 痛いから辛いとか、そんなものは小手先の辛さだったと容易く理解できてしまうような場所に、持って行かれる。 陸地で、どこが痛いのとしているというより、水中で溺れ、も

      • 狂気の沙汰

        私には、 「このまま気が狂ってしまうのではないか? いっそ気が狂ってしまえば楽になれるのに。」 そんな風に感じていた時期がある。 それは、17、18歳から20歳くらいまでの、天気が良い、朗らかな春の日や、真夏の炎天下の静かな日だったりした。 突き抜けるような太陽の光が、本当は清々しいはずなのに、自分の精神をじわじわと、ジリジリと、ゆっくり静かに音もたてずに浸食して、心が真っ黒に焦げていくようで、恐くて部屋で膝を抱えて、ただ震えていた。 43歳の私が迎えた、今日の朝、夏の

        • 私のメモ帳「コロナ禍で変わった安全の意識」

          当たり前はない。 人は、安全な場所が、どこかわからないと言う。 求めて、探し始める。 世界には、感染拡大、疑心暗鬼、必要以上に警戒が溢れる。 結果、闇雲に恐れる。 裏目。混乱。 しばらく続くと、騒ぐ事に満足。 ひと呼吸おく。 安全な場所は、どこかに予めあるのでは無くて、自分達で作るもの。 逆に言ってしまえば、作りさえすれば、在るという事。 材料は、清潔を保てる環境といった物質的な事もそうだけれど、あとは人の声、意識。 押し付けない、適度な距離感。尊重。 優しさと、なあ

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          2本

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          まだまだの熱量

          何があっても 「なんのこれしき」 乗り越えられるようになったから、まだまだの熱量は、要らなくなった。 だから、まだまだの熱量の人を見ると、自分とは違う温度だと感じるようになった。 まだまだの熱量の人が、良くないとか、そういう話ではなく。 自分が、まだまだの場所に居ないんだとも判るし、この人は、今、まだまだの場所に居るんだとも判る。 互いの現在地が判る。 それだけの話。 本当は、もう少しだけ、まだまだの熱量で、まだまだの場所に居たい。 そんな自分も居る。 だって、まだ

          まだまだの熱量

          大人になって よかったと思うのは

          大人になって、窮屈なこともあるけれど、大人になって、よかったと思うのは、自由に恋愛が楽しめる事。 私は、自身が末っ子で、大人に囲まれて育ったせいか、年下に興味がなく、同世代とも話が合わず、年上の殿方ばかりと交際してきた。 8歳とか9歳年上というのは、私にとって然程、驚く事ではなく、逆にそのくらいタイムラグがあった方が、話が合いやすかったので、安心して飛び込む事が出来ていた。 これは、大人になったから8歳9歳離れていても、恋愛が成り立つのであって、9歳年上となると、私が1

          大人になって よかったと思うのは

          パラドックスなニュートラルのための私的遊戯

          私は時々、愚者になる。 (愚者とは、タロットカードの愚者のこと。 タロットカードの1番最初、0番のカード。) 自分のアイデンティティを全て取っ払って、今、この地球にいたらどうだろうか? どんな感覚なのだろう? よく不可能な事はないと言うけれど、自分の生まれも性別も、食の好みも、得手不得手も一切を持たず、何の概念も、その基盤となり得る要素もゼロの状態で、 「ただ地球に生きている」 これだけの状態で、人が存在するというのは、流石に現実的ではないと思う。 想像の世界に頼るのが

          パラドックスなニュートラルのための私的遊戯

          理想の人物像

          私には、抽象的ではあるけれども、こんな佇まいの人になりたいという姿がある。 中学2年生の時の担任が、数学の先生だった。 その担任の先生が大学時代、学んでいた先生が居られて、その頃の話を、私は14歳当時から40歳を過ぎた今まで、良いなと思っている。 やっぱり、こんな佇まいでなくて良いやという思考や感覚に浮気する事もなく、一途に。 担任の先生の先生は、自宅に学生らを招く事もあったようで。 教え子が居ても関係なく、帰宅すると、まずキッチンに向かい、牛乳をコップ1杯。 それを

          理想の人物像

          失望の先に

          失望の電光石火を受けて、私の心と身体は衝撃を受け入れた。 その衝撃を受けたまま何も見ず、そこから去ろうとも思った。 しかし、その場所を、よく見つめてみた。 何か、勿体ない。 せっかくここまで来たのにと、内側で悔しい想いをしている。 それは、自分が自分を引き止める口実なのか、違うのか。 色々なものが行き交い、今どうするか。 決まった。 大人としての自分と相手ではなく、2人の間には、子供の自分と相手。 それを大事にしようと思った。 相手の幼さを許し、自分は大人の振る舞いを

          GWの想い事③ 「失望を味わう」

          『失望を味わう』 昨日、ずっと心の中にあった大きな感情が、人の世界で、何と呼ばれているのか、自分の感情と言葉とが、やっと「=」(イコール)になる瞬間を迎えた。 「=」で結ばれるという事は、私の中で一つの事象を味わい尽くして、そろそろ完結しようとしているサインでもある。 ある人間関係において、納得がいかない、自分の尊厳が蔑ろにされている感じがする。 自分に非があるのか、相手に非があるのか。 はたまた、どちらにも非があるのか。 自分は、非の領域を作りたいのか、作りたくな

          GWの想い事③ 「失望を味わう」

          GWの想い事② 「哀愁」

          『哀愁』 ねえ、あなたはいつまで寂しくなると私に甘えに来るの? 私は、無限に生きてはいないよ。 いつか、いずれ、きっと、必ず。 1つを選ばなきゃならない時が来る。 その時、あなたは、それが出来る? その時まで、私に甘えているの? どこかで、その時が来るまで、 一寸先に、この手から離れる、その時まで、 甘えさせてやりたい私もいるけれど、 それは、多分、誰も幸せにしない。 さあ、どうしようか。 これから私たち。 相性は良いと思うのだけど。 なんか勿体ないよ。 生かす道

          GWの想い事② 「哀愁」

          GWの想い事

          サカナクションの「さよならはエモーション」を聴いていたら、ふと、ある人と別れた時の事を思い出している私がいた。 あの時の私が感じた想い、景色。 相手ばかりが、痛み少なく、私ばかりが痛い想いをしている。 そんな憎悪に駆られていた。 お腹の辺りに何か、凄まじく蠢いている気持ち悪さがあった。 蠢いている何かのエネルギーを借りてでも、買ってもらった服も、何もかも捨ててしまいたかった。 しかし、それすら出来ないほど、私は弱り果てた。 布団にもぐり、一日中、泣いて過ごすしか出来な

          心の顔 心の五感

          心は目に見えない。 心には顔がある。 心の耳で聴き、心の声を救いあげ、心の鼻で嗅ぎ分け、自分の「好き」の在処を突き止める。 身体は呼吸をし、命を続ける。 心が緊張すると、身体は強ばり呼吸は浅くなる。 呼吸が浅くなるのは、嫌だから。 自分が、その事に対して、好きなのか、嫌いなのかが解る。 億劫な事があるとする。 目の前の現実が億劫でも、それをこなせば、その先には、自分のしたい事が出来ると解っている状況。 時間は多少かかっても、自分が本当に好きな事であれば、目の前の億劫

          心の顔 心の五感

          すべては愛で出来ている

          すべては愛。 昔、何かの映画をレンタルした時、フランスのホラー映画「ハイテンション」の予告編を観たことがあって、その最後に 「殺したいほど愛してた」 そんなキャッチコピーがあり、唐突に納得したのを、先日思い出した。 スプラッターなホラー映画は、受けつけないので、本編は観ていない。 凄惨な事件が起こらないに越した事はない。 しかし時に、グラデーションの濃い部分にあたる出来事が起こる事も否めない。 自分は、こうして欲しかった、こうしたかったという感情も激しく出れば、怒りや

          すべては愛で出来ている

          波動

          音楽って良いなと思う。 この世界には、大きな意味での美しさが存在する。 それらには、小説やエッセイ、哲学や思想といった言葉の世界、写真や映画などの映像の世界、絵画や彫刻などの色彩と表現の世界などが挙げられる。 その中に、音楽も鎮座している。 恐らく太古から、それは普遍的な要素として変わっていないように思う。 人の声も含め、多種多様な楽器があって、音とリズムに心も身体も委ねていると、音が頬を撫でていくような感じが、とても好きだ。 音と遊んでいるような、その時間は、音楽

          1番目の花

          先日、クロバオキザリスの花が開花した。 引っ越してきて、1番最初に咲いた花。