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パラドックスなニュートラルのための私的遊戯

私は時々、愚者になる。
(愚者とは、タロットカードの愚者のこと。
タロットカードの1番最初、0番のカード。)

自分のアイデンティティを全て取っ払って、今、この地球にいたらどうだろうか?
どんな感覚なのだろう?

よく不可能な事はないと言うけれど、自分の生まれも性別も、食の好みも、得手不得手も一切を持たず、何の概念も、その基盤となり得る要素もゼロの状態で、
「ただ地球に生きている」
これだけの状態で、人が存在するというのは、流石に現実的ではないと思う。

想像の世界に頼るのが手っ取り早い。

仮にゼロの状態だと仮定して、その時に、この生命は何を感じるのか。
何を観るのか。
何を聴くのか。
生きている概念、死ぬ概念。
色を色と認識すること。
音の強弱で、感じ方が違うこと。
空腹とは、どんな状態か。
満たされる感覚。
心躍る感情は、どんな時に起こるか。
何があると口角が上がり、下がるのか。

書いていけばキリがない、天文学的な数のページになるであろう、途方もない人間の機微を、いつ知り、探究し、認識し、経験と感覚がイコールになっていくのか。

現世界において。
人は人だと知った上で生きている人が、恐らく、ほぼ100%だろう。

木は、自分が木であると知っているのかな。
魚は、魚であると知っているのだろうか。
星は、星であると知って、宇宙を揺蕩うのか。

名称は、全て人としての言語を使っているけれど、結局、自分の性質、本質を理解し、ただ存在しているだけの存在なのだろうか。

そんなパラドックスに陥りそうな遊びを、頭の中で繰り広げると、私の肉体と五感は、ニュートラルな位置に戻る。

チューニング完了。

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