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まだまだの熱量

何があっても
「なんのこれしき」

乗り越えられるようになったから、まだまだの熱量は、要らなくなった。

だから、まだまだの熱量の人を見ると、自分とは違う温度だと感じるようになった。
まだまだの熱量の人が、良くないとか、そういう話ではなく。

自分が、まだまだの場所に居ないんだとも判るし、この人は、今、まだまだの場所に居るんだとも判る。
互いの現在地が判る。
それだけの話。


本当は、もう少しだけ、まだまだの熱量で、まだまだの場所に居たい。
そんな自分も居る。

だって、まだまだの場所は、面白そうだから。

何でも出来るようになるのも、確かに不便はなくなるけれど、望んでいた事だけど、まだまだ、まだまだと高みや、深み、拡がりのある、その世界は、いつでも原石に溢れていて、まだ見ぬ何かを自分も見つけられる可能性が、すぐそこに感じられる。
魅力的でないはずがない。

そんな世界に背を向けて、後にしなくちゃならない。
なのに自分の観ている景色は変わって来ている。
寂しい。

「ずっとこうしていたいのに」
これが、私が勇気を出さない正体。
出したくない正体。
あと、今一歩の正体。

まだまだの、温かく柔らかい世界への寂しさを、心の引き出しとして迎え入れる事が出来る時、ありがとうが言える時、それが次のステージへ変わる合図。

そこで観る色は、何色か。
感じる温度は、質感は。

血や肉から成る私の命は、どう変化してゆくのかな。

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