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すべては愛で出来ている

すべては愛。

昔、何かの映画をレンタルした時、フランスのホラー映画「ハイテンション」の予告編を観たことがあって、その最後に
「殺したいほど愛してた」
そんなキャッチコピーがあり、唐突に納得したのを、先日思い出した。

スプラッターなホラー映画は、受けつけないので、本編は観ていない。

凄惨な事件が起こらないに越した事はない。
しかし時に、グラデーションの濃い部分にあたる出来事が起こる事も否めない。

自分は、こうして欲しかった、こうしたかったという感情も激しく出れば、怒りや憎悪にもなる。
それは、自己愛でもあるし、相手を本当に愛しているという事にも、繋がっていると思う。


大きな意味で、総括して愛。
その愛の中に、感情という色があって、濃淡、つまりグラデーションがある。
淡く出るところは柔らかく、濃く出るところは、悲惨な出来事として人の目に写りやすい。

そういう事なのだと思う。

それら全てが、突き詰めると結局は、愛から来ている。
賛否が分かれようが、どうしようが、この世の真理だと、私は思う。
その真理という根源で、私達は繋がっている。

そうは言っても肉体を分かつと、個性という名の得手不得手があり、心地いい事、そうでない事が存在する。

グラデーションが著しく濃くない限り、不得手な事、心地よくない事をカバーできるくらいの得手、心地よさがあれば、さほどのストレスは感じなくなる。
気にならなくなると言った方が的確かもしれない。

人生の多様な悲喜交々は、心地よさを感じるために、心地悪さを造り、追体験する事で自分への愛や、自分の中に愛が存在している事を確かめているに過ぎない。

愛は、絶妙なバランスの変化でエゴと呼ばれる事もある。
エゴも、無垢な愛を知る為に用意された要素。そんな側面もある。

愛とは、どこまでも大きく、我がままな一つの生命体のようだ。

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