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狂気の沙汰

私には、
「このまま気が狂ってしまうのではないか?
いっそ気が狂ってしまえば楽になれるのに。」
そんな風に感じていた時期がある。

それは、17、18歳から20歳くらいまでの、天気が良い、朗らかな春の日や、真夏の炎天下の静かな日だったりした。

突き抜けるような太陽の光が、本当は清々しいはずなのに、自分の精神をじわじわと、ジリジリと、ゆっくり静かに音もたてずに浸食して、心が真っ黒に焦げていくようで、恐くて部屋で膝を抱えて、ただ震えていた。


43歳の私が迎えた、今日の朝、夏のような陽射しを見て、当時の恐ろしい感覚を思い出した。

当時の感覚そのままに、ありありとリアルに感じはせず、かなり鈍っていたので、その点は安心した。

それでも、もう忘れたと思っていた、蝕まれていくような感覚を、私の躰は、まだ覚えていたのだと思った。
あの時の気分を思い出して、後味の悪いような嫌な気持ちになった。

「天気が良い日なのに気分が悪い自分」というのが、その狂気を加速させていて、そこには、自分の人生に降りかかるかもしれない様々な恐怖が、色濃く影響していた。

起こってもいない先の未来を怖がる気持ちの中に、「母親の死が恐い」というものがあった。

私は、正直なところ、自分の家族が、あまり好きではない。
エゴにまみれ過ぎていて、ネガティブを受け取りたがり、文句という形で鬱憤を出す行為に、ひどく執着しているから。

家族の、そういう姿は見たくない。
そういう姿をしている彼らが嫌い。

それでも20歳そこそこの頃の自分と変わらず、43歳の今日の私の中にも、この後に及んで「母親の死が恐い」などという感覚が、まだあったのかと思ったら、カーテンを開けてからの束の間、驚いて少し、窓辺に立ち尽くしてしまった。


長年に亘る精神科への通院と服薬をやめて、半年と少し経った。

薬を飲まなくなって、2〜3ヵ月後に落ち着いた手の震えや動悸が最近、少し復活していて、心臓がバクバク音を立てて、躍動している感覚がするのを、あんなに嫌いだと思って薬を多用してまで、無理矢理にでも押さえ込んでいたのに、今はもう、どうしようとも思っていない自分に気づいた。
どうにかしようとする事に、疲れたと言った方がいい。
そんなになるまで辛抱してきたのだなと、時々、自分に侘びている。

手の震えや動悸は、決して心地が良いものではないので嫌だけれど、もはやというか、遂にというか、動じなくなったのだなと思った。

そのうち治まる「そのうち」が来るまで、放置という対処法を取る。
手が震えて、ペンを持つ手が小刻みに病的なものに見えても、外で買い物をした際、お会計で手が震えて恥ずかしくても、動かせない訳ではないから、放っておく。
無視に近い。
無視できる余裕が、私の中に生成された。

暫くして、ふと治っている事に気づいて「ああ、良かった。」と安堵する。
ありがとうと、自分や何かに感謝したくなる。


時間というのは、こうして人を変えるのだなと改めて思う。

変わること。
変わらないこと。
どちらもに、良いところがある。

変わろうとするにせよ、気づいたら変わっていたにせよ、変化した事というのは、変わる、変える事で、自分が過ごしやすくなる。
生きやすくなる。

だからこその変化だと、私は思っている。

生きていれば恐怖の1つや2つはある。
きっと生きる事と、恐い事は完全に切り離せないのかもしれない。
どこかで、ついて回る。
それがヒントでもある。

恐怖に感じるものを、敢えて放置する気持ち。
すなわち「度胸」と呼べるものが、やっと自分の中に育ってきたのかと、そんな事を思った。

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