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9/9_今日も今日とて私は走る+私からの無償の愛について

今日は久しぶりに以前に通っていた精神科医のもとを訪ねた。
夜にあまりにも寝つけず、一睡もできずに朝を迎えることが多く、睡眠薬をもらいたくて診察を受けに言った。
約5か月ぶりの診察だったので、ひと通り空白期間の状況の話をした後に、そのおじさん精神科医は私にきつくこう言った。
「子どもとの面会は子ども自身が持つ権利だから、夫婦の問題とは別に考えなきゃダメ。いつまでも会えないと子どもがあなたと同じようになってしまうよ」

まあそう言われるだろうと予測はしていたけれど、分かっていてもいざそう言われるとグサッとくる。
その精神科医の言っていることは私もよく理解している。
少し前の私であれば、その権利たる正論を盾にして子どもとの面会を声高らかに主張している立場でもあった。1+1=2なんだから、それ以外の答えはないといった具体に主張していた。

でも、いまは違った考え方ができるようになった。
精神科医の主張に対して、私は以下のように返答をした。
「仰ることはよく理解している。でも私たちは夫婦なので、妻の気持ちを差し置いて私の理屈や正論を振りかざすことはできない」

これは今の私の本心である。
権利は揺るぐことのない権利だけれども、その権利をも凌駕するものこそが「無償の愛」だと思っている。夫婦という特別な関係だからこそ、行使できるのが無償の愛なんだと思っている。それは親子にあるような切ってもきれない関係に近いものだと思っている。

半年前くらいまでの私は、法律や正論こそがすべてであり、夫婦関係をも凌駕するものだと思っていた。でも35年間信じてきた考えも、ようやく脱ぎ捨てようとしている。
夫婦という特別な関係の中で、正論や理屈ばかりを主張していても関係なんて深まっていかない。正論よりも愛情とか思いやりの方が何倍も大切だとようやく理解することができた。

子どもには会いたい。これだけは嘘は言えない。
でも、今は妻が一生懸命に子どもを育ててくれているから、妻を本気で信用してみようと思っている。壊れかけた夫婦関係も、まずは私から無償の愛と信用をしてみることが再建の第一歩だと信じている。
その間の私にはやるべきことがある。それは愛着やトラウマの問題を乗りこえ、二度と同じ失敗を繰り返さない人間に変わること。いまの私はこれに集中してよいと言われているのだと思っている。
だから後悔の無いように、やり切りたい。そうすれば必ず私たち夫婦にとって、家族にとって明るい未来が開けると信じている。

今日も今日とてわたしは走る(ランニング記録)

今日も朝5時に起きて朝ランへ。まだまだ朝も蒸し暑いけれど、早朝に走るのも少しづつ慣れてきた気がする。
いつものように皇居外周へ行き8kmほど走る。
そして夜にも2部練と称して走りに行く。いつゲリラ豪雨が来ても地下鉄に逃げられるように、都営浅草線沿いを10kmほど走る。
今日も18kmの距離を踏む。毎日これくらい走っても疲労感が残らないくらい走力がついているような気がする。
やっぱり夜の方が何倍も走りやすい。暗いから景色にとらわれず集中して走ることができるし、何よりも体が良く動く。

今日のランニング記録
今日の朝ラン時の半蔵門からの定点写真

今日の振り返り、気づきなど

  • 山本茂美著「あゝ野麦峠」を借りてきた
    私は謙虚さを取り戻したいとき、この本を手に取る。
    労働基準法などなかった時代、10代の少女たちは出稼ぎに駆り出され、その道中の冬山の峠で「ああ、飛騨が見える……」と故郷に戻れぬまま亡くなった当時の過酷さを描いたものである。
    当時の人々を取り巻く社会と比べれば、私の生きる今の時代はどんなに恵まれているかを痛感させられる。そして彼女たちの生き様は私に謙虚さを与えてくれる。

私は2014年頃にこの「あゝ野麦峠」を読んで、その舞台である長野県と岐阜県の県境の野麦峠を訪れたことがあり、スマホに残っていた当時の写真を久しぶりにのぞいてみた。

政井みねのお墓と乗鞍山頂を望む
道中にある野麦峠の案内板
  • 7月9日から始めた断酒生活も今日で63日目に突入

最後に、今日も二人の子どもたちを育ててくれている妻に、この場で感謝の気持ちを伝えさせてください。毎日本当にありがとう。

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