大谷翔平に「投げるのも打つのも上手いんですね!」と言ってしまうくらいの,大失態を犯した
入り口を抜けると、そこは夢の国だった。
良く一般的に言う夢の国の場合、千葉にあるミッキー一族の国を指すが、私はまた違う場所にいた。
私は韓国のカフェで仕事をしている、経歴の浅いベイビーバリスタだ。そんな私にとっての夢の国が、韓国に出現した。
2024年5月1日から5月4日までの4日間、釜山にて『World of Coffee』と呼ばれる大規模なコーヒーの展示会が開かれた。
このコーヒーの祭典は、ヨーロッパ最大規模と呼ばれている展示会で、世界中を回りながら年に1度だけ開催される。今回はアジア初、韓国の釜山にて開催された。コーヒー豆の生産者や、焙煎機のメーカー、コーヒーの抽出器具のメーカーはもちろん、世界各国の著名なロースタリーが、自慢の品々を展示、販売する。
そしてその展示会と同時進行で、バリスタのオリンピックとも呼ばれている『World Barista Championship』が開催された。これは世界で一番権威のある大会で、世界一のバリスタを決める。今大会では50か国を超える国の代表選手が参加し、決勝戦には、オーストラリア、ネザーランド、ニュージーランド、韓国、インドネシア、日本、アイルランドの7人の選手が選抜された。
私はこのバリスタの世界大会の決勝戦を観覧するため、バスと地下鉄を乗り継ぎ4時間もかけて、韓国の片田舎から釜山にやってきた。
大会が始まると、実際に見るバリスタ達のパフォーマンスの華やかさに感動し、また、この人たちと同じ空気を吸っているという事実にまた重ねて感動した。
4時間くらいぶっ通しで観覧していたため、そろそろ喉も乾いてきたし、展示会場のブース巡りをすることにした。
スーパーの冷凍食品の試食で夕飯を済まそうとする客の如く、余すことなくコーヒーの試飲をしながらふらついていると、ずば抜けて行列ができているブースを見つけた。
見てみると、めちゃくちゃ有名で高級なコーヒー豆農家のブースだった。
ここも、もちろんコーヒーの試飲可能だった。
「今飲まんかったら、次いつのむねん!!!!!」
というコーヒーオタク達が、希少なコーヒーを飲もうと鼻息を荒くして列をなしていた。
普段なら「行列に並ぶ意味が分からん!」と悪態をついている私だが、ご多分にもれず私も上品に行列の一部となった。
お行儀よく試飲の順番を待っていると、ちょうど私の前の人でコーヒーが無くなってしまった。
「今新しくコーヒー淹れるカラ、ちょっと待ってネ~」と農家さんに言われたので、お行儀よく待つことにした。
すると、今まで農家さんの横で楽しそうにおしゃべりしていた男性が、コーヒーを淹れ始めた。レゲエの神、ボブ・マーリーのような雰囲気で、カッコいい素敵な男性だった。
「どこの国の方や……?」
と思い、ネームプレートを見ると明らかに日本人のような名前が記載されていた。
そこで思い切って
「もしかして、日本人の方ですか……?」
と声をかけた。
このボブ・マーリーは日本人の方で、今回のイベントのために釜山に来たようだ。そして、日本と中国にカフェの店舗があり、今は経営を主に行っているらしい。
「すごいですね~」とたわいない話をしていると、農家さんが「オリガミ、オリガミ」とボブを指さしてしきりに言っている。
ボブが今まさに使っている、コーヒードリッパーの名称である『ORIGAMI』のことを言っているのだろう。
コーヒーを抽出する器具はドリッパーと呼ばれていて、様々な種類がある。その中の一つである『ORIGAMI』ドリッパーは、まるで日本の伝統『折り紙』のように円柱型にジャバラの形をしたドリッパーで、見た目が可愛く、スタイリッシュでもある。日本で開発されたドリッパーで、世界中で愛用されている。
「社長さん! 私『ORIGAMI』の国の日本から来たんよ~」と、ささやかな日本自慢をかましていると、試飲用のコーヒーの準備ができた。
待っててよかった。飲んだら分かる。トップオブザトップのおいしさだ。
口の中に桃源郷が咲き誇る。
ボブに「コーヒーが美味しすぎて、口の粘膜が喜んでます」と感想を伝え、これもご縁と言わんばかりに、記念にお写真を一緒に撮ってもらい、ホクホクしながら再びバリスタの大会会場へと向かった。
全ての日程が終わり、帰路のバスで
「すごい豪華な一日やったなあ……。美味しいコーヒー沢山飲めたし、私の憧れのバリスタともお写真撮れたし。往復8時間の価値はあるでこれほんま」
と、一日を振り返っている時に、あのボブ・マーリーが思い浮かんだ。
「もしかしてGoogle先生に聞いてみたら情報出てくるかな?」
と軽い気持ちで検索をかけた。
「うそん!!!」
なんとボブ・マーリーは、『ORIGAMI』ドリッパーの開発者だった。
従来のドリッパーと言えば、無機質透明なプラスチックの円柱型がスタンダードだったが、『ORIGAMI』ドリッパーによって、新たなドリッパーの概念を生み出したのだ。
ブラウン管テレビの時代に、液晶薄型テレビを開発したようなものだ。
今から20年くらい前までは箱型のテレビが主流だったが、液晶薄型テレビという薄くスタイリッシュなデザインで、しかも画質が良いという新たな流れを作り出した。
とんでもない偉業だ。
コーヒー業界で彼を知らない人はいない。
コーヒー業界の大谷翔平だ。
どうりであのとき農家さんが「オリガミ、オリガミ」と言っていたわけだ。
「こいつ『ORIGAMI』の開発者やで!」と伝えていた。
思い返してみれば、試飲を待つ列の中から
「こんな光栄なことがあって良いんだろうか」
「サインどこに書いてもらおう」
などザワついていた。
理由はこれだったのだ。
私は何も知らないままに、世界最高峰のコーヒー豆を、世界中で使用されているあの有名な器具の開発者直々にドリップしてもらったコーヒーを呑気に「口の粘膜がぁ~」とほざいていたのだ。
ただ、もし農家さんが「こいつ開発者やねん」と言ったところで、私はその言葉を信じただろうか。何となく立ち寄った定食屋で、「こいつなァ、液晶テレビの開発者やねん」と言われても「ハァ?」で終わってしまうのではないだろうか。
私は知らなかったので当たり障りのない話しかできなかった。
しかもレジェンドに対して失礼な態度を取っていたかもしれない。
バスの中で誰かに無性に殴られたくなった。
まるでメッカに向けて祈りをささげるように、イベント会場に向けて土下座がしたくなった。
目の前にあるコーヒー豆ばっかりに目を向けずに、この業界についてもっと知っていたら、もっと何か聞けたかもしれない。
「『ORIGAMI』を作ろうと思ったきっかけは何だったんですか」
「なぜ『ORIGAMI』という名前にしたんですか?」
など、ちょっとは実のある質問ができたかもしれない。
知っていることが多いほど、見えるものが多くなる。
色んなことに興味を持ってアンテナを張ると、一段と面白いことが増えるかもしれない。
自分の中の世界を、広げることができるかもしれない。
この恥ずかしい経験を通して、今では1日にちゃんと時間を作って、コーヒー関連の情報を発信しているYouTubeを見あさっている。コーヒー業界で活動している素晴らしい方々を知り、新たな知識をグングンと吸収している。
私の世界はブラックホールの如く拡大し続けている。
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