もてぎあやか

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もてぎあやか

ものづくりが好き🦜オカメインコ🦭あざらし好き🦭Mail: norakurart@gmail.com 🦭療養中。教員免許は中高美術・特別支援・図書館司書教諭。学芸員、乙4。配信→https://www.youtube.com/@norakurart

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  • なぜだかグレなかったサバイバル人生

  • 勝てるデザイン道場

    勝てるデザイン道場を突っ走るマガジン。 前田デザイン室で何かやりたい気持ちが先行して、この『勝てるデザイン道場』のプロジェクトリーダーになっていました。

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最近の記事

なぜだかグレなかったサバイバル人生 その18

今回の記事は本人のご要望に応じまして、妹子爆誕です。 爆誕といっても、これといって面白いネタないんだよね。 なぜなら、私がやらかしたせいで、(過去の記事をご覧ください) 帝王切開確定で誕生日も決めることができたんですよねー。 父が1月21日だから?妹子は2月12日になりました。 単なる覚えやすさ重視? 11日だったら毎年祝日だったのにねー。 ということで平成1桁最後の年に、 私が生まれ出でた腹の傷を、母は再度切腹することになる。 ほい、爆誕。 手術なので出産に立ち会

    • なぜだかグレなかったサバイバル人生 その17

      なぜかこのnoteは妹(以下、「妹子」とする。)とダンヌ氏にも読まれている。 妹子からは興味深い感想をいただいた。 「うちってちょっと違うなとは思ってたけど、文章化するとやっぱり…」 多分、うちの家はだいぶ他所様とは違うと思うよ。 色々ありすぎでしょうよ。 みなさん色々あるとは思いますけども。 両親がクレイジー極まりない。 そりゃ遺伝的要因も環境的要因もあるわ。 んで、妹子は人生でちょびっとだけグレました。 私は真面目に生きてきすぎたのかもしれません。 その妹子から、

      • なぜだかグレなかったサバイバル人生 その16

        朝の4時半に目が覚めたら、 「楽しみで眠れない…」と言っている人がいてですね。 遠足かよと。 詳しくは後日。 更新をお待ちください。

        • なぜだかグレなかったサバイバル人生 その15

          私は幼い頃から「なぜ」「どうして」人間でした。 ありがたいことに両親は大体の質問に答えてくれた。 ま、ある程度大きくなってからは「自分で調べな」でしたけど。 小さいときに今みたいなインターネット環境があったら、 鬼のように色んなことを調べる子どもだったんだろうな。 だから、ちょっと現代の子どもたちが羨ましかったりするけど、 自分の世代は世代で色々楽しかったんだろうから、まぁいいさ。 今回の話は幼稚園に入る前ぐらいだったと思うんだけど、 ご飯にかつおぶしを乗せると湯気でユ

        なぜだかグレなかったサバイバル人生 その18

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        記事

          なぜだかグレなかったサバイバル人生 その14

          私が小学生の頃は女の子が野球をやるのは珍しい時代だった。 今ほど、色んな少年団があるわけでもなく。 強いていうならサッカーが盛り上がってきた頃ぐらいだろうか。 やっぱり私はヤンチャなんだな。 思い出してきたよ。 体育のチーム分けは男子側だったわ。 (女子とやるとケガさせる恐れがあったのかな。笑) S先生から声がかかったんです。 「お前、野球やらんか?」 父が草野球をやっていたので、私もやってみたいと思っていたところに。 なんと先生直々のスカウトですよ。 (ほんとどれだ

          なぜだかグレなかったサバイバル人生 その14

          なぜだかグレなかったサバイバル人生 その13

          今思い返せば、小学生のときはかなりヤンチャだったのかもしれない。 もっぱら遊び相手は男子で、外を駆け回り、虫取りに励み。 家の近くのドブ川でも遊んだ。 石をひっくり返せばヒルとタニシしかいないような、 お世辞にも綺麗とは言えない川だった。 当時、水遊び用の靴なんてあるわけでもないから、 きっと靴下を脱いで裸足でドブ川に入っていたんだね。 子どもの遊びってあまり変わらないと思うんですが、 我々共もダムを作って遊んでたわけですね。 毎日のように川に通っては石を積み上げ。

          なぜだかグレなかったサバイバル人生 その13

          なぜだかグレなかったサバイバル人生 その12

          小学校3・4年のとき、学級崩壊があった。 まぁ、子どもながらに担任のことをクソババァだと思ってた。 なんていうんだろう、子どもに寄り添うっていう姿勢じゃなかった。 担任のS先生は大嫌いだった。 同じぐらいの歳(50代後半)のI先生は大好きだった。 図書委員会の担当の先生で物腰が柔らかくて。 ことあるごとに褒めてもらったのをうっすら覚えている。 S先生の小さな仕返しだったのだろうか。 スキー授業のとき、Bクラス(滑れるけどそこまで…的グループ)なのに、 モーグルのコースに

          なぜだかグレなかったサバイバル人生 その12

          なぜだかグレなかったサバイバル人生 その11

          ※今回はDVの話が含まれますのでご注意ください。 (個人が特定されないようにフェイクな表現が一部あります。  お許しくださいませ。) 幼稚園の頃、仲の良かったSちゃんがいた。 Sちゃんのお父さんはお医者さんでカイギョーイをしていた。 Sちゃんはとても綺麗な顔立ちで、 幼稚園児の私にも「かわいい」と思う子だった。 ある日、我が家のアパートに SちゃんとSちゃんのお母さんが突然やってきた。 Sちゃんのお母さんの顔はアザだらけだった。 幼稚園児ながらもさすがに状況を察する。

          なぜだかグレなかったサバイバル人生 その11

          なぜだかグレなかったサバイバル人生 その10

          私の両親は幼い頃から色々な生き物を飼育させてくれました。 たくさんの経験をありがと〜〜〜〜〜 カエルのたまごを拾ってきて、おたまじゃくしからカエルになるまでとか。 アゲハチョウの幼虫を育てて、羽化させたりとか。 (苦手な人はごめんね) ハムスターやウサギ・・・色々飼いましたねえ。 ありがちな金魚も飼育しました。 お祭りですくってきた金魚とかね。 小学生の頃かな?幼稚園の頃かな? 記憶が定かではないのですが、家に帰ってきたらですね、 金魚が一匹増えてるんですよ。 母に

          なぜだかグレなかったサバイバル人生 その10

          なぜだかグレなかったサバイバル人生 その9

          私の通っていた小学校は明治39年に開校したらしい。 恐らく、その頃から伝統として変わっていないことがある。 それはクラスの名前である。 いつ頃、どういった変遷があったのかは全く存じ上げないが、 おおよその学校では「1組」「2組」がスタンダードであろう。 中学になると「A組」「B組」などのクラスになることも想定内。 現に自分の中学・高校はアルファベットのクラスであった。 私の通った小学校と、市内のもう一つの小学校に残る伝統。 「松組」「竹組」「梅組」 幕の内弁当かよ

          なぜだかグレなかったサバイバル人生 その9

          なぜだかグレなかったサバイバル人生 その8

          みなさんの家にはサンタさんが来ますか? もしくは来ましたか? サンタさんのお手伝いをしている方もいらっしゃるかな? いっつも思うんだけど、日本の風習?文化?慣習? 宗教観っていうのかな。八百万の神すぎる。 12月25日にクリスマスやってさ。 12月31日に除夜の鐘で煩悩どっかにやってさ。 1月1日に初詣って。 神仏習合すぎる。忙しくない??? さておき。ワタクシが幼き頃。 サンタさんにプレゼントを願ったわけです。 クリスマスの朝。 子どもにとっては、もうドキドキワク

          なぜだかグレなかったサバイバル人生 その8

          なぜだかグレなかったサバイバル人生 その7

          「意外にゲーマーだよね」と言われるワタクシ。 中高生の時はそこそこなオタク感がありましたが、 今はそんな感じがそんなにしないらしい(?) そして、自覚はないが結構ゲーマーらしい。 まぁ今もDbDのマッチを待ちながらこの記事を書いている程度には。 私の両親はマンガもアニメもゲームも好きだったので、 買うこと・やることに基本制限はありませんでした。 ゲームに夢中になりすぎて、子どもあるあるの 「ゲーム禁止令」や「1時間ルール」などはありましたけど。 マンガは家族で回し読む

          なぜだかグレなかったサバイバル人生 その7

          なぜだかグレなかったサバイバル人生 その6

          私の行っていた幼稚園は名前が超絶インパクトがあるんですが… 無宗教の学校法人でした。母は妹が行くことになるのびのびとした子どもを育てる幼稚園に入園させたかったらしいのですが、過保護?な父がバスのある幼稚園にすると言って決まったそうです。 今でも覚えているんですが、 「バスで幼稚園に行く」ということが年中世代(5歳)にはよくわかりませんでした。 そもそも「幼稚園」というところもどんなところかわかりませんでした。 なので、母ちゃんも一緒にバスに乗って行くと思ってたんですよね。

          なぜだかグレなかったサバイバル人生 その6

          なぜだかグレなかったサバイバル人生 その5

          ※ネタ降臨により、予定を変更してお送りしております。 私はイラストレーターの中村佑介さんがとても好きです。なまらファンです。 多分同世代あるあるですが、出会いは鋼の錬金術師でのリライトです。(笑) そこからいわゆるロキノン系にどんどんハマりましたね〜〜〜。 ジャケットでイラストが使われることに目が奪われましたし、 アジカンのジャケットが一貫して中村先生のイラストだったので、 中村先生=アジカンというような認識の学生時代でした。 イラストはIllustrator(PCソフト

          なぜだかグレなかったサバイバル人生 その5

          なぜだかグレなかったサバイバル人生 その4

          夫(以下、「ダンヌ氏」という)は大学生から競馬の面白さを知ったそうです。 おかげさまで私もおうまさんの魅力や楽しさがわかりはじめてしまいました。 おうまさんレース(競馬)でおうまさんチケット(馬券)も買うようになりまして… 天皇賞(春)はタイトルホルダーの単勝だけ当たりました。 (210円の赤字でございました。笑) ちなみに、私が一番好きな馬は「ブチコ」です。 白毛で初のGⅠを制した「ソダシ」のお母さんです。 (もちろんソダシも好き!) あとはウマ娘の影響もあり、ゴールド

          なぜだかグレなかったサバイバル人生 その4

          なぜだかグレなかったサバイバル人生 その3

          はい、どうも、うんこです。 (ピンとこない方はその2を読んでくださいね!) 私の両親は共に兄弟・姉妹がおりますが2人とも長子です。 そんなわけで私は両祖父母の初孫だったわけでして。 そりゃあもう小さい頃からめんこがられました。(たぶん) (乳幼児の頃の記憶ってそんなにないっしょ???) んで立派なおひなさまを飾ってたわけです。 恐らく祖父母が買ってくれたのかな。 アルバムに入ったまま撮った写真なので若干反射してますがご容赦を。 日付を見ると89年の3月2日。 私は88年

          なぜだかグレなかったサバイバル人生 その3