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タンポポ

最近は必ずといっていいくらい、
一眼レフカメラを片手に

いろんな植物を見ながら、
歩いています。

特に何か特別なものが
あるわけではない。

それでも、毎日が何かの発見の
連続です。

植物を見るのが、
やめられなくなってきました。

若葉の季節

なぜか、って考えてみたら、カメラという相棒のおかげ。

結局、カメラのファインダー(のぞき窓)から見ていた世界が良かった、ということです。

デジタルカメラとはいっても、や
や古い、中古で数千円程度の
20年くらい前のものです。

はっきりいって、最新のものでなく、
昔の機種で十分です。

さてファインダーって、
私にとっては顕微鏡か望遠鏡、
メガネのようなものでした。

いや、まさに視界そのもの。

肉眼でまず植物をみて、何か感じて、
カメラのファインダーで
じっくり見る。

このじっくり見る、ということが、
私にとっては大事なポイントだった。

ファインダーからじっくり見ると、
植物に夢中になっていることが
わかってきました。

蜂やアブの音は
写真を撮る時によく聞こえます。

夢中になる、我忘れる、見とれる、
要は感動しています。

感動、っていいと思うわけです。

感動のない一日って、思うと、
もったいない。
損している、とも言える。

じゃ何に感動するか、というと、

何か特別すごいもの、
有名な映画であるとか、
UFJのような、遊園地でもない。

話題のレストランや
有名シェフの料理でも何か違う。

作りものじゃない、
何かだと思う。

野草が良かった、
と今思います。


お金もかからなく、
外にあるたんぽぽで
十分なわけです。

たんぽぽ、って
雑草、黄色い花、
薬草、ただの野草、
と人によって感じ方は違う。

春なら、どこにでも
生えている草ですが、
日によって姿が違う。

たとえば、黄色い花。

黄色く目立つ。

そのうちに、種をつけると、
綿でもついたかのように
ふんわりとした色になる。

雨に濡れたタンポポ。
ふわふわ。

タンポポはあちこちに生えており、
歩けば、視界に入ってきます。

見かけると、普通にきれいと
思うのですが、

さっと、ファインダーから
たんぽぽを見ると、
蝶がいることもある。

雨や天候でも姿を変える。
そのちょっとした瞬間に
感動する。

蝶は見惚れます。

種のついたたんぽぽは
猫のようにも
わたのようにも見える。

これって、いつどうやって変化するんだろうか、などと
普段考えもしなかったことを思いつく。

ふわふわの姿をみると、
見つめてしまう。


たんぽぽは、毎日見かけますが、
毎日変化しているとも言えます。

黄色い花
つぼみ
種がついたもの

それぞれ、きれいですね。

タンポポの花の写真を撮る観光客を
見かけたのですが、
花好きな人って、いるようです。

おそらく、私が住んでいる地域の人で
タンポポの写真を
撮りまくっている人はいない。

むしろ雑草で、
電動草刈機で刈られている。

風情もないのか、と思っても
普通は雑草の一つとして、
思われるわけです。

しかし、カメラのファインダーから
見たら、

随分と感動して、タンポポの世界、
タンポポ ワールドみたいな世界が広がってくるわけです。

しかも蜂、アブ、色んな昆虫とも
出会う。

色もじっくり見ると、
まさに神秘。

ファインダーからのタンポポの
色に驚き、家に帰ってcfカード(コンパクトフラッシュ)などをpcに繋ぐ。

そうすると、さらに大きな画像でタンポポが現れる。

これはすごい、って思うわけです。

タンポポで感動、
これだと毎日が感動です。

つまらないと思っていた日も
あったけど、どうせなら、
少しでも楽しむといい。

一日は貴重だと言われても、
なかなか実感できるものでもない。

しかし、タンポポを見たいと思っても、
見れない状況の
人もいるわけです。

となると、何気ない一日などなく、
何かよく感じるもの、
感動することってあるといい。

何気にファインダー越しで
タンポポを見る、

それだけで、タンポポへの見方、
感じ方が変わってくる。

一種類の花を見て歩くだけで
結構感動できる、って思いました。

今となって思うのは、ファインダーのない液晶画面を見て撮るもの、

またスマートフォンでは、なぜか感じなかった世界です。

カメラって、適度な重み、
握る感触、
シャッター音、
ピントを合わせる時動かす指、

シャッターを切る瞬間に息を止める、
など色々とあるわけです。

なるほど、まさに五感か
何かいい刺激があるようにも
思えてきました。

スマートフォンは便利だけど、
ファインダーはない。

ファインダー越しの時ほど
植物を見つめない。

握って構えることもない。

むしろ目と指先で
完結するから、刺激も感動も
ないのかもしれない。

便利の弊害ってあるのだろうか?。

弊害かどうかは別として、
写真を撮る、撮りに行こうと
思えないのは、あるかもしれない。

スマートフォンは優秀で
簡単にきれいな写真が撮れるのですが、
私には何か物足りない。

カメラは同じものを見ても、
見るファインダー、レンズに
よって異なります。

となると、ファインダーは私にとっては不可欠、ということです。



おそらく、以前にフィルムカメラを使っていた影響があったから
かもしれません。

フイルムカメラに液晶画面は
ありません。

フィルムカメラだときっともっと
いい世界があるとは思います。

まぁ、今の私では植物、昆虫、
野生動物などでいいので、

気軽なデジタルカメラで十分です。

さて、何を見るにせよ
別にたんぽぽに限らず、

何の目的がなくても、
外には植物がある。

植物は毎日同じ姿ではなく、
成長もすれば、
枯れるものもある。

旬を知るのは、植物をみれば
よくわかってきます。

今なら、そろそろフジの花が
咲くか咲かないかの
時期です。

また、新芽が生える、きれいな緑色の
季節ともいえます。


柿の新芽から育った葉っぱ。
若々しくて、いい色です。
フジの木。
新芽がどんどん出ています。
フジも少し咲いてきています。
アザミの新芽も綺麗な黄緑色です。
夏の濃い色とはまた違った雰囲気です。
杉も新芽が出てきました。


松も、少し前とは違った姿を見せてくてています。
野いちご、ラズベリーなどのベリー系だと思います。
赤い新芽

模様をマクロレンズで見れば、
また違う世界です。

今日は標準レンズだけです。


シダも結構見ていると惹かれます。

植物を観察しようと思って
いたわけではない。

ただ、一瞬、ふと植物をみて、
何か小さな感動をしている。

そして、ファインダー越しで植物をみて、
シャッターを切る。

標準レンズのオート 
フォーカスだけでも、

カメラ任せで、そこそこの
写真は撮れます。

カメラやレンズは凝りだすと、
キリがない世界です。

ただ、私にとっては、
ファインダーが第一、

植物をとるなら、適当な安いジャンクレンズでも十分だということが
わかりました。

あとはマクロレンズが
あればいいかと。

はるか昔は、UFJの年間パスポートの
ようなものを
まわりに流されて買ってしまいました。

でも二度と行くこともなく、
行きたいとも思わず。

しかし、たんぽぽや生えている季節の野草、植物なら、いつでも
どこでもある。

ましてや費用はかからない。 

特別なものでもないけど、
結構夢中になってしまいます。


わらび。
いろんな植物が生えていて、
色とりどりです。

でもこれらは、雑草あつかい。
植物は、決まった季節に不思議と育ってくる。

雑草だと、多分、単に邪魔に思うだけ。
でも、ちょっとカメラ、ちょっとファインダー越しに見ると、

随分と違った世界観が味わえますね。

おそらく、バードウォッチングも、
鳥を見つめる。

何か似た共通点があるように
思います。

家の庭に生えてくるタケノコですが、
毎日変化しています。
嫌われ者の雑草そのものですが、
種は赤く、多い。
多くの種まきをするから、
あちこちで見かける。

シンプルな世界です。
緑、新緑をテーマに
植物を観察していくもの面白そうです。
フジが咲く公園が
あるのですが、
山の中で咲くフジで十分だと
思います。
山に咲き始めてきたフジ。
満開になれば、いよいよ初夏。
霜が降りることのない合図です。
植物は、見れば見るほど
巻き込まれます。
ネコヤナギの新緑
ヤマザクラ。
雨だとまた違った良さがあります。
エン麦(猫草/オートミール)


普段見かける植物で楽しむ。

これは本当にいいと思う。

自然の野草が第一、
そして自然農法という形で、
野菜ができる。


普通の畑だと、どこか虚しく
感じる原因は今では
はっきりわかります。

カメラを握れば、
撮りたいものが見えてくるかどうか、

となると野草の大切さも
徐々に気がついてきました。

見れば見るほど深く
広がる世界。

植物は謎だらけですし、
少なくとも、植物で感動できる、感動するのは、結構いいと思います。

感動しながら、野菜もできちゃう。

これは素敵です。


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