豆味噌、 豆麹と塩だけで作る、 昔からの作り方がいいと思った。 味噌樽を開ける度に また作っていこう、と思う。 今回は6月に2回分、約5kgx2の約10kgの大豆を仕込みました。 多いようですが、 仕上がりに2年以上かかること、 また水分の蒸発もあるので、予想がつかないことも理由の一つ。 1回目は例年通りの豆麹と食塩水だけ、 2回目はうっかりミスで豆麹を一部だけ作り忘れて、豆麹、煮豆、食塩水で仕込みました。 あるお味噌屋さんによれば、 豆麹と煮豆混合でより食べや
今年は八助梅と思われる 青森の梅を追加で 仕込むことにしました。 確認して聞いてみても品種は不明、 ただ、割った時の様子と味からして、 八助梅だと思いました。 あるいは何か他のものとの 交雑はあるのかもしれない。 八助梅というのは、 青森で知られている梅の品種で、 あんずのような梅です。 調べた限りでは、半分に切って漬ける、ということですが、 梅干しは、昔ながらの梅干しの 作り方でできます。 八助梅は実は結構久しぶりにつけます。 業者間で取引されるのは、 主にサ
知り合いから、刃物を研いで 欲しいということで、 包丁が届きました。 頼りにしてくれるのは、 ありがたい。 包丁はひどい状態では なかったのが救いです。 というのは、グラインダーや 電動の研ぎ器がない。 欠けた包丁や、たまに見る変形したような刃のものだと、手研ぎだと 相当な時間が かかってしまう。 刃物の材質はステンレスでした。 想像するかぎりですが、 多くの人がステンレス包丁を 使っていると思う。 鋼(はがね)は錆びるし、錆びた包丁って、やっぱり嫌になるんだと
今年も田植えをしてきました。 手植えは例年通りですが、 裸足で 田んぼに入りました。 結構きもちがいいんですね、 裸足で歩くのは。 特に泥の中だと なおさらです。 さて、無事に田植えを終えて 思ったのは、 裸足だと、温泉に入った後と 同じ感じ。 これは結構癖に なるかもしれません。 温泉との違いがあるとしたら、 海が見えないこと、 海鮮料理がでてこないこと、 と言ったところです。 まるで海でたくさん泳いで、 温泉に入ったあとの 感覚です。 スッキリ、解放、
豆麹味噌を作っていましたが、 先日、一部だけ豆を 煮るのを忘れてしまった。 水につけた大豆が 取り残された状態。 豆麹の味噌は、蒸した大豆に 豆麹菌をふりかける。 約二日間、 菌を培養させて豆麹をつくる。 そのあとに塩水を流し込んで仕込む、というやりが一般的です。 土日をはさんでしまったので、 豆麹菌の種を発注しても 配達は最短で4日もかかってしまう。 普通に考えるなら、 豆麹菌を待つのですが、 ただ、以前に気になっていたのは、 できた豆麹と煮大豆を混ぜて 豆味
豆麹を作り始めました。 もう10年くらい、豆味噌だけです。 理由はとても美味しく、 長期保存ができること。 長期熟成発酵ができることで、 作りすぎたとしても 全く問題がない。 ただ、後で分かったのですが、豆味噌は独特の風味で 好き嫌いの差が激しい。 現に豆味噌の代表格とも言える、 八丁味噌が苦手な人は多い。 ただ、私は一度、 米麹を使ったお味噌を作って、 虫が湧いて、どうしようもなく、土に返したことがある。 いろいろ調べたりすると、 どうやら味噌の原点は 豆味噌の
ここ最近は、自転車を使うことも減り、 ほとんど歩くことばかり。 というのは、歩けば、 見えてくること、考えさせられること、 色々とでてきます。 どこにいけば、何が生えているのか、 だいたいわかってきます。 あとは、気が付いたら、結構な運動量になっていた、ってことも。 13000〜15,000歩前後が大半で、 多い時は数千歩増える、というくらい。 たぶん、運動不足も 解消するんじゃなかろうか。 運動しよう、といっても、 なかなかできないもの。 でも、何かすることで
草刈りが楽しい。 なぜかっていうと、 草刈り鎌を使っているから。 電動草刈機をメルカリで売却し、 鎌を使い始めて6年目。 鎌の使い方には 完全になれてきました。 草刈り鎌は 決して力任せに使うものではない。 腕だけでなく、肩、腰、足、いや 体全体を使う。 また意外にも呼吸を 整えながらする。 草刈り、地方移住した人にとっては、 もしかしたら、 重荷になっている人も いるかもしれません。 移住当初、 確か5万円くらいした 草刈機を半ば強制的に 買わされた記憶が
花が多く咲けば、 ミツバチやアブがくる。 蜂が来ると、野菜の花も 受粉してくれる。 毎日歩いていろんなものを 見てきて思うのは、 農地には花が少ない。 山道には季節の花が 順次咲いているけど、 どんどん刈り取られる。 そんな中、ここ最近、目立っているのは オオキンケイギク。 道路の脇に花咲かせ、よく見れば、 蜂やアブ、その他ハナモグリをはじめ、 見たことのないような 生き物まで集まる。 明るくていい色。 結構いろんな虫が 集まってきていますね。 花が咲いてい
植物を言葉で表せないなら、 写真という手がある、って思いました。 植物は見ていて、確かにきれいで、 神秘的に見えることもある。 ただ、言葉では表現できない、って 思います。 言葉だと表現が単純か、 ありきたりになってしまう。 表現しようとしているわけでも ないけど、 もし表すとしたら、言葉では難しい。 理由は植物や自然の生き物は、 まるで神かのごとく、 人を超越した存在。 人が使う言葉は、人間界のもの。 自然界の生き物は、 人間界を超えているから 言葉で表現で
以前、手作りの緑茶を いただいたことがあって、 結構美味しかった。 そんなわけで、去年から緑茶を 作っています。栽培ではなく、 生えているお茶の葉の活用です。 ただ、味が薄くて、 毎回よくわからないお茶。 先月読んでいた複合汚染という本で、 緑茶の話が出てました。 1970年代の話ですが、 肥溜めでできたお茶は、 化成肥料でできたものとは 全く違う、いう話がありました。 実は近所の山にはお茶が自生しており、 付近の環境はとてもいい。 土は長年の積み重ね等でできた、
今日歩いていて思ったのは、 毎日花見をしている、ってことです。 桜が散れば、桜は終わりか、 ってなるけど、 野草は毎日が変化の連続。 花見、っていうだけでなく、 昆虫見、蝶を見るチョウ見、っていう世界もあるんじゃないか、ってことに 気がつきました。 毎日見ていると、植物は思いのほか種類が多い。 また毎日成長して いる。 伸びたり、花が咲き、 また花から種に変わったり。 とにかく変化し続けている。 また、どれを取ってみても、 これ以上ないと言えるくらい、 きれい。
植物を毎日見ているのですが、 やっぱりいいですね。 ほんのわずかな時間の差で 光の当たり具合、 風だけでも、毎回違うように見える。 気が付かないだけで、 植物は成長している。 ちょっと歩くだけでも、 様々な植物が生えており、 不思議と引き込まれる。 このような、嫌われている 草であっても、 よく見ると、独特の色、形です。 野草で楽しむ、 決して特別なものではないけど、 何だか見ていると気分 が良くなってくる。 植物や昆虫、野鳥は 毎日見かけるもので、 特別なもの
最近は必ずといっていいくらい、 一眼レフカメラを片手に いろんな植物を見ながら、 歩いています。 特に何か特別なものが あるわけではない。 それでも、毎日が何かの発見の 連続です。 植物を見るのが、 やめられなくなってきました。 なぜか、って考えてみたら、カメラという相棒のおかげ。 結局、カメラのファインダー(のぞき窓)から見ていた世界が良かった、ということです。 デジタルカメラとはいっても、や や古い、中古で数千円程度の 20年くらい前のものです。 はっきり
遠くの川の堤防、 一般の畑の道を歩いてきました。 往復1万3000歩くらいの程よい距離。 用事は単に郵便物を出しに ポストにいくだけです。 でも歩いて行くと、色々と 観察もできます。 途中の川の堤防を歩けば、 菜の花などの野草の香りが ふんわりと伝わってくる。 朝はウグイスの鳴き声も聞けて、 結構いいです。 それと、歩くと車や自転車より、 ずっとよく色々なものが 目に入って来ます。 歩くから見えること、 実はとても多い。 いいことも、悪いことも、 色々色です。