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ひと汗かくこと、季節感

読経をする前に神棚や
花瓶の水などの入れ替え、
窓や車を雑巾で拭く。

そうするとひと汗かく。

ひと汗かくと、読経がとても
スムーズに読める。

朝の読経が最も調子が
良いと思ったのは、

きっとひと汗かいているから
だと思う。

天気や気分、体調で読み上げる
調子が違うと
ずっと思っていたけど、

一汗を先にかけば、天候等に関係なく、
どうやら調子がいい。

となると、
準備体操か何かの儀式、
事前の準備とも言える。

暑い、暑いから汗が出る。
ごく普通のことだと思う。

ごく普通のことをしているか、
ということを
時には考えてみようと思う。

先日、自転車で川の堤防を通り、
どこかの高校のグラウンドが見えた。

その時、軽トラックでグランドの整備を
している姿を見て驚いた。

おそらく野球部の監督か
コーチだろうか、

軽トラに乗ってグラウンドの
整備をしている。

まず、グランドに軽トラが
走ること自体が
おかしいと私は思う。

グラウンドをどう考えているのか。
なぜ生徒がトンボ掛けをしないのか。

私は部活の経験がありますが、
部員は皆、練習が始まる前/終わった後は
全員が並び、グラウンドに
礼をしていた。

練習や試合が終われば、誰とも
構わず、こぞってトンボ掛けを
していた記憶がある。

練習や技術には関係ないが、
グラウンドに礼をするのは当たり前で
理由すら考えたことはない。

強いて考えるとするなら、
場所を使わせてもらっている、
というような謙虚な
気持ちだと思う。

準備体操や後片付けで、
どこかホッとするとき、

良い柔軟体操にも
なっていたとも言える。

何も考えてはいなかった。

何も考えない、ということは
その行為は、常識になっている。
当たり前で考えるまでもないこと。

考えないくらい、何か思考や信念が
根付いているとも言える。

当たり前、って何か冷たさを
感じる言葉だけど、

当たり前はすでに何か
根付いた思想や信念がある、
とも言えると思う。

軽トラで整備は、
根本的な考え、価値観が違う。

もしかしたら、効率を考えて、
練習時間を伸ばす。

生徒にグラウンド整備という
労働をさせないように
しているのかもしれない。

効率だけを考えたら
よいかもしれないがない。

ただ、何か大切なものが
欠けている。

実際に場所に礼をするのは、
練習には関係がないけど、
気持ちはきっと変わる。

気持ちは目に見えないが、
大事なはず。

礼にはじまって、礼に終わる、といった武道の心、

あるいは日本人らしさ、
がないんじゃないかと。

根本的、精神的なことだけど、
当たり前のような礼がないと、
どうも先行きが
暗く思えてくる。

では、神社に入るときに礼をするのか、となれば、
神社は別で練習とは何の関係もない、
ときっとなると思う。

根付いたものや考え、
習慣、価値観はそう簡単に
変わるものではない。

効率だけを考えるのはどうかと思うが、
他人のことだから、

もうどうでもいいとは思う。

ただ、そういった考えを
農業で当てはめた場合、

基本的に皆それぞれ、自由なやり方でお米づくりをしている。


田畑をよくみていくと、普通に農薬を使うところと
自然栽培ですすめているところが
すぐ隣、
下という例は意外に多い。

どんな農法をしている人か、
隣近所であれば、
ほぼ知っているはず。

でも配慮は全く感じられない。

田んぼや畑をみていると、
謙虚さのような気持ちは
少ないように思えてくる。

謙虚さは、周りの人への配慮、
そして、自然/環境への配慮。

農薬を安全だと信じこみ、隣に気を使う、また自ら調べることもない。

無農薬と一般栽培が
混ざる状態が現状がある。

普通なら、結構な距離が
あって然るべきだと思うけど、

お隣近所で農法がまざるって、
実際どうなんだろう。

きっと、ここだけではない。

肥料等はそのまま下に流れ、まともに影響を受けているのは、
簡単に想像がつく。

無農薬や有機って
良さそうだけど、

結局は
実際に現場を見ないと
確かではない、
というのが事実だと思う。

水と土、まわり、特に上流
を見ないと
わからない。

人はどこかに自分さえ良ければ、という
考えがあり、
根付いた考えが違えば、
どうしようもないと思う。

さて、

動けば一汗かく。
暑いと一汗かく。

当たり前ですが、この当たり前の
基準次第で
何か変わってくると思う。

最近知ったのですが、
隣の家に暮らす人の体調が
悪いらしい。

そういえば、行事の
清掃にもいなかったし、

ここ半年は行事に
全く参加していない。

家が近所だけに、
なぜ体調が良くないのか、
私は理由が想像できる。

きっと当たり前の考え方が違う。

たとえば、早朝から深夜まで
エアコンはほぼつけている。

出かける時はいつも車で、
決まったスーパーに行くことが多い。

冬は厚着でまた家にいる間は
ほぼ暖房が長時間つく。

ほんの少しの暑さ/寒さで
すぐエアコンのようです。

暑いからエアコン、というのは、確かに普通だと思う。
でもほんの少し暑いだけでエアコンとはどうだろうか。

朝は涼しい。窓を開けたら、
山からくる新鮮な空気が流れ、
とても心地がいい。

少しは暑いけど、
エアコンをつけるほどの
暑さではない。

部屋の空気を入れ変えたい
時だと思う。

すぐにエアコンであれば、
暑さを感じる時が少ない。

汗をかかないら、
きっと体の血液の流れも鈍い。

顔が張っている。ふくらんでいるように見える。

要は季節を感じない、
暑さ/寒さを感じない生活が
何年も続くと、

気温に対応する力が少ない。
どこかおかしくなることは
十分に考えられる。

スターリンが学者等に
徹底的に調べさせ、
健康で長生きする秘訣の結論は、

「血液の流れ、毛細血管の至る所まで
血液が流れ、循環する状態」
という。

血流だけをみれば、
ほぼ動かない、歩く、外に出る、
太陽の光を浴びる、など全体的にみる。

血液の流れがスムーズになることを
普段からしていななら、
長生き/健康の秘訣とは
真逆のことをやり続けてきた
結果とも言える。

良い環境にいるのだから、
外の空気を吸う、

少しでも歩いて出かける、といった些細なことが
日常なら、きっと体調を崩すこともないのでは、って思う。

もちろん、四六時中監視していたわけでもないので、
全てはわからない。

ただ、ある程度の考え方、
習慣は近所だと
見えてくる。

病院に通っているにしても、普段の生活まで医師が
確認しているかは定かではないけど、もしないなら、
話にならないだろう。


根本的な考え、価値観が変わらないと
治るものも改善しにくいと思う。

夏はあつい、汗が出る、
考えなくても、ごく普通のこと。

ミョウガ、ナス、きゅうり、ゴーヤ等の野菜は
夏野菜。 基本的に夏にしかない。


ということは、今あるものだけを見る、
考えなくても、今あるものをそのまま感じる、

季節のものを食べる、
といった考えなくてもよいこと、

旬のことだけを見れば、
随分と良いのでは、
と思えてきます。

となると、スーパーでは全て
年中の野菜果物があり、
ダメだってことです。

多少、ときに食事が乱れようが、
睡眠が少ないときが
あっても、普通なら問題はないと思う。人間はそう弱くない生き物。

ただ、血液の流れをよくしよう、と思い続けるのは、
きっと難しいし、忘れる。

謙虚さとともに、
普段から季節を感じて、
体を使う。動く。

これだけで十分足りると思う。

何も特別で、難しいことはない。

ただ、世の中をみていると、
あまりにも楽なもの、
便利なもの、
体を使わなくてもよいものが多い。

季節を感じさせないようなものが
あふれている。

うまい具合に人の苦痛を助けるものが
つくられていると思えてきます。

ただ、その裏の面を考えてみたら
きっと怖いと思う。

少しならいいが、
あまりにも長く使い続ける、
浴び続けるとどうか。

たとえば、冷却ファンのついた作業着を多々見かけるけど、
よく考えれば、ずっとエアコンを体に当て続けているようなもの。

体は冷える。体が冷えたら、
結構おそろしい。抵抗力が減る。

暑さ、環境への適応力、免疫力のような、体に備わる機能が
働きにくくなるのは想像がつく。

現に先の近所の人も、外に出る時は
冷却ファンの服装であった。 

汗をかいていない、
暑さを感じない生き方そのもの。

衣類で暑さ/寒さを感じさせない
画期的なものかもしれないし、
作業効率はきっといい。

ただ、暑いという当たり前は
消えてしまう。
少しくらいならいい程度にするか、

どうせ誘惑に負けるのは
分かりきったことだから、
初めから使わない、
というのでいいと思う。 

長年の積み重ねの結果が、お隣さんの
様子/健康状態なら、
だいたいの結果は見えている。

となると、当たり前のこと
(季節感等)を
時には考えてみてもいいと思う。

夏はあつい、
冬は寒い。

考えるまでもない。

暑くても帽子やタオル、
水、適度な休憩だけで
過ごせないはずはない。

むしろ、気温や天候への
適応力は間違いなくつく。

ふと思えば、難しくもなく、
考えることでもない。

考えなくても、当たり前に
感じる季節感や
日本人ならではの謙虚さが
根付いていれば、
十分だと思う。

謙虚さは育った環境、みてきたもの、読んでいる本、
その他、なかなか育ちにくいのかもしれないけど、

そうは言っても日本人なら、
もともとあるんじゃないか、
忘れているだけじゃないか、
って思う。

日本食が健康に良い、というが、
おそらく、食事の内容だけでなく、手を合わせる。

いただきます、ごちそうさま、
また残さず、きれいに食べる、
など行為自体に謙虚さがある。

謙虚さは日本食の基本的なことで現れていると思う。
その当たり前ができているかどうか。

テレビを見ながら、あるいは
何かしながら慌ただしく食べる、というのでは、きっと
謙虚さはない。

同じ食事でも病気になるとならない人が
でるのは、きっと食べ方や謙虚さが違うと思う。

個人的にひとつ、
謙虚さが出やすい食べ方と思ったのは、
正座。

よほど足が痛む時、疲れ切っている時以外は私は、畳の上で正座をして食事をしている。

不思議と、
味がとてもよく感じる。

梅干しもいい感じに
正座とよくあう。

塩味がご飯とよく合い、
気持ちも引き締まる。

そして、殺菌、消化、疲労回復の
助けにもなるのが梅干しです。

梅干しあれば食後に
眠くなることが少ない。

きっと消化を助け、
クエン酸が疲労物質を知らずのうちに
分解しているからだと思う。

こんなことも考えずとも、
単に黙って梅干しを
活用するだけで十分。

やはり梅干しは良い。



やっぱり梅干し。

さて、
ものや食べ物があふれており、
きっと貴重さも忘れていると思う。 

忘れているなら、何かで思い出していくしかない。


刃物を研ぐ、というのは
なかなかいいです。
血の巡りと呼吸は良い状態
になっていると思う。


体を使って血の巡りがよくなることで、
謙虚さを少しは
思い出すのかもしれません。

あるいは、野の花を見て、何か感じるような、華道の原点のようなもの、

要は自然に触れる。


キクイモの花

結局は季節感に全てが
含まれている、といった
単純なこと。

季節感と体を使うだけ。

季節を感じることは、
単純で考えもしないものだけど、
とても大切に思えてきます。

外にでてみれば、
暑い。

それでも、気分が良くなるもの、
しいては血液の流れを
よくしてくれるものは
自然界にあふれている。

ささいなことで、感動すると
いいかもしれません。

外きでて、自然に触れて、
毎日感動する。

歩くから、体をつかう。
きれいだと感動でもすれば、
きっと少しは謙虚さも感じる。


野草で風情を感じる、
こんなことでも感動して
血流はきっと良くなる。
ヤマユリ。

色々考えるよりも
歩いて野山をうろつくだけで
十分ですね。

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