「こんな私でごめんなさい」って気持ち

今朝ニュースを見ていたら、『学校再開うつ』って話題をやってた。子どもたちが学校行きたくない!って例年よりなってるんだなぁと思いながら見てた。


大人も不安なんだから、もちろん子どもはもっと訳分からなくて不安だし、心の拠り所である親や先生が暗い顔してたり不安そうにしてたり、もちろん子どものことが心配だからなんだけど神経質に注意ばかりしてたら『どうしよう💦怖い😢』って気持ちにもなるよなぁと思う。


コロナに関係なく、学校行くのがしんどい子は沢山いる。そういう子がたまにポロリと漏らす心の声は大人である私の心に大きな衝撃を与えてくる。


「こんな私でごめんなさい。」

「もっとちゃんとできるようになりたいけど、出来ないから苦しい…」

「みんなみたいに普通にできたら、お母さんを苦しめないのに…」


自分を気にしてるのではなくて、大人が自分をどう思うかをとっても気にしてる。周りがどう思うかを気にしてる。望まれる姿になろうと努力して、なれないことを嘆いてる。子どもの存在の拠り所って大人によるところが大きいってことなんだなと感じる。


確かに、私もそうだけれど、大人ってすでにいろいろ失敗も重ねて大変な思いも知ってるから、子どもには出来るだけ苦労させたくないって思いがあると思う。だから口うるさくなったりしちゃう。これは一つの愛情の形だと思う。


でも子どもは自分で体験しながら学んでいくことも沢山あるし、大人が「こうあれたら楽に過ごせる」姿が当人の望みとも限らないんだよね。子どもが、その子らしくいられることってすごく大事な『自分の存在を許され、愛され、大切にされること』なんだと思う。これも必要な愛情の示し方だと思う。


自分の存在を「ごめんなさい」って思ってしまうのは、悲しい😢大切だからこそ、健やかに幸せに育って欲しいと望む気持ちを、私たちはどうやって子どもたちに伝えたらいいんだろうね。


その存在自体がすでに愛おしいものなのに、気持ちを伝えることがままならない。



『発達障害』という言葉認知度は上がったと思いますが、実際の発達障害児の生活や家庭内の状況ってなかなか実感していただけないなぁと思い、書き始めました。 子育てに必要な勉強を続けていくために、「投げ銭」という形でご支援いただければ励みになります。 よろしくお願いします。