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About another side identity なんちゃって。

こんにちは。
いつも、お読みいただいてありがとうございます。
皆さんは、自分の受け入れ難い事はありますか?無い、自身の全肯定ができている方がいらっしゃったら、この場で名乗り上げて頂きたいです。そんな方を私は心から待っていました。是非、お話を聞かせてほしいです。

失礼。食い気味で取り乱してしまいました。とはいえ、生まれた時からなんの迷いもなく恨みも後ろめたさもなく、自分の人生完璧ですって断言して生きてる人、いますか?どんな心境なのか、その過程、過程自体があるのかとか洗いざらい本当にお話聞いてみたいものです。
さて話を戻します。受け入れられないとは言わないまでも、良くも悪くも気持ち半分なことがありました。「英会話のできる」ことが、ずっと複雑でした。とは言っても、私の範囲は日常会話程度です。専門用語や仕事の範囲としてだとかなり弱いです。英も日も通訳できます。読み書き、特に書きの文法は滅法壊滅的です。日本語でも怪しいくらいですので、読まれてて不自然でないといいなと常々思います。ふとした瞬間に、そこそこ抵抗あったなって思い返しました。

英語は遺伝でというよりも環境によって形成された一面の一部分という感じですが、これのおかげでもあり、せいでもありでどっちにも転ぶものという気がしています。
今は随分と落ち着いてきてか、極端に自分で自分を毛嫌いすることなくアイデンティティーの一つくらいに受け入れられているのかなと考えています。

極々当たり前な前提ですが、英語と日本語を全く同じに訳することは不可能です。翻訳や通訳はあくまで「その意図に添って他言語に置き直した」ものと認識しています。
では質問です。「I」(アイ)を訳すと、なんですか?
多くの方は「私」と訳すかもしれません。では、これが男の子としてだと「僕」「俺」、高齢の方なら「わし」と言ったり、その連想される人物によって日本語は変化しますね。でも、英語でIはIで、自分のことを指す一人称です。老若男女問わず、変わらないんです。二人称もyou一択で、人数は関係なく、場合によって装飾的に後ろにboys girlsと複数をつけたりします。
どちらの言葉もわかると、英語って凄く説明的で味気なく思えてしまう部分もありました。
特に日本語の短歌も意味を理解するために訳されて海外で出版されているのや、日本でも原文と合わせて掲載されている本もあります。一切、五七五になっていない上に本当に頑張って意味を訳しただけになってしまっていて、とてももどかしくなった憶えがあります。

日本語:波の花にとまりかねたる胡蝶かな
英語:Having found it difficult indeed to perch upon the (foam-)blossoms of the waves, alas for the butterfly.

文晃

この時点でとても苦痛に感じています。書き写すだけで、力尽きそうで上記の句は小泉八雲の「蝶の幻想」に収載されているものの一つです。海外ではHaiku Tankaと題して出版されることが多いです。それが全てと思われるのだけは避けたいですね。
ご覧のように、仕方ないとは言え纏まっていないのです、本当に語句の説明になってるんです。なので、正直に正直に言って、これがあってたまるかと発作起こしています。
上のタイトルはどのように訳されるでしょうか、これも個人によって多少変化があるかもしれません。書きながら後で気づきました。

意味が噛み合わない事もそうですし、あと単純に過去に揶揄われてたり、ばかにされたり、気持ち悪がられたり、といったこともあったのでなるべく避けたいと思うのも要因でした。でも、伝わっていない、困っているんだと話しているのが理解できてしまうと声を掛けに向いてしまいます。
母親から聞いたので私自身は覚えていませんが、昔ハワイで道を聞かれて母が10分くらい時間を掛けて説明しても伝わらなかったのが、幼少の私が答えて速攻で答えて解決してしまったらしいです。その海外の人らに「最初から私に訊けばよかった。」って言われてたらしいです。覚えてないですが。
子どもの頃は意図していませんでしたが大人になってから、ああ使ってしまったと落ち込んでしまうこともありました。人によっては、英語を腐らせるなんてと言われました。使う機会のあった時はたまに「はー」と溜息つきたくなることもありました。というのも、最近自分が実際に話していた時に、相手からの日本人だからわからないだろうという軽蔑を感知することもありました。「またこれかー」と軽い落胆がありました。「私も貴方の言う日本人の一人だけど?」って皮肉で返したら、「話せるし発音がネイティブと変わらないからカウントしない」と返されました。どんな気持ちになったかは、皆様のご想像にお任せします。
羨まらしがられたり、すごい、上手とありがたい事を言って貰えることもあれば、その反対に、使えるならもっとやれよと追い立てられることもあったし、なんでお前なんかが英語の発音いいんだよむかつくと嫉妬の声などなのあまり聞いてて嬉しくない罵声も大いにありました。
実際に日本から出て、海外で過ごして、戻ってみて日本がいいってなったので、腐らせてしまってもあまり私自身頓着しないかもしれません。ただ、ふとした時に洋楽や洋画に触発された時に、こっちの言葉も自分は少なからず理解できるんだと再認させられました。英語も読めるし響きにまあまあ馴染みもあるって感じました。英語を他の人が使っているのを聴いたときに、こんな風に楽しめる言語でもあるんだって少しだけ温かくなりました。そんなこんなで、この言語も合わせていくのもいいのかなって少しだけ考えられるようになってきました。洋楽を聴くときは口ずさんでどんな感じだっけなって確かめるようになりました。

長い付き合いの言語だから、もう少し向き合ってみるかってなってきました。嫌だったものが、本当はそうでもなかったんだと知って自分でもちょっと驚きです。

英のインタビュー聞いてみては、スピードは追い付けるけど「あ、実際本場と喋る事あったら、自分どうだろうか」とうっすら疑問に浮かぶことはありますが、使う機会そのものが少なくてもそれはそれでいっかとも思ってます。

使える言語に磨きをかけて、益々言葉の扱いを鋭くしていきたいですね。
この記事を読んでくださった方も、他のを読んで知ってくださった方も等しく「言」というものに対して、深い関心があり、仕えられる主人としてよりよくしていきたいと思って頂けてるのがほとんどではないかなと個人的に感じております。

いつもご覧いただきありがとうございます。
どんどん、言葉を鋭くしていきましょう。

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