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自我の不足感に対する考察
私は自分の考えや軸が殆ど無いように感じ、以前から不足感を感じていた。
親しい友人とこの不足感について話をしたこともあるが、私の中ではずっとその意味とか答えみたいなものが見つからずにいた。
昨日読んだ本にその答えを見つけたような気がするから、書いておこうと思う。
ショウペンハウエルの「読書について」
“読書は他人に思考を任せる行為だ”と彼は言う。
確かにその通りだと思う。
私は何か意見とか考えを述
オリジナリティはどこにあるのか
人と会話をする中で、私の意見として放った文章が、ただ知識を発表しただけだったことが頻繁にある。
ニュースで見たり、本で読んだり、調べて知ったりした情報を、あたかも自分自身が考え出したかのように。
また、万人が考える当たり前のことを言ってしまって恥かしくなることもよくある。
この記事も自分で書きながら、誰でも考えるようなことを書いてしまってるなと思いながら、自己満足で書いている。。。
毎日、
映画「囚われた国家」
自粛明けの映画館へ。
コロナ渦以前からあまり混雑しない映画館ではあったが、8番シアターの観客は私を含めて3人だけだった。
鑑賞したのは「囚われた国家」、以下あらすじ。
地球外生命体による侵略から9年後の2027年、シカゴ。制圧されたアメリカ政府は「統治者」の傀儡と化していた。貧富の差はかつてないほど拡大し、街は荒廃。そして市民は、この圧政に対して従属する者と反抗する者に分かれた。自由を取り戻すた