自我の不足感に対する考察

私は自分の考えや軸が殆ど無いように感じ、以前から不足感を感じていた。
親しい友人とこの不足感について話をしたこともあるが、私の中ではずっとその意味とか答えみたいなものが見つからずにいた。

昨日読んだ本にその答えを見つけたような気がするから、書いておこうと思う。
ショウペンハウエルの「読書について」
“読書は他人に思考を任せる行為だ”と彼は言う。
確かにその通りだと思う。
私は何か意見とか考えを述べた後で、脳内反省会をよく開催するが、
「昨日読んだ本の言葉をそのまま言ってたな」
「前に読んだネットの記事を復唱しただけだわ」
みたいなことがよく起こる。

ハウエルはこうも言っている、
“数量がいかに豊かでも、整理がついていなければ蔵書の効果はおぼつかない”と。
果たして私は整理をしてきただろうか。
ここで言われている”整理”とは、それを理解するというよりは、理解したうえで私の考えはどうか?を思索することだと思う。

読書で他人に思索を任せる(というより、私は他人の思索を覗くような感覚なのだが)時間を過ごした後で、自らそれを受けて内容を整理し、思索に耽る時間を持つようにしていきたい。

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