North

映画。コーヒー。旅。思想。そして他人の考え方に興味があります。

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最近の記事

自我の不足感に対する考察

私は自分の考えや軸が殆ど無いように感じ、以前から不足感を感じていた。 親しい友人とこの不足感について話をしたこともあるが、私の中ではずっとその意味とか答えみたいなものが見つからずにいた。 昨日読んだ本にその答えを見つけたような気がするから、書いておこうと思う。 ショウペンハウエルの「読書について」 “読書は他人に思考を任せる行為だ”と彼は言う。 確かにその通りだと思う。 私は何か意見とか考えを述べた後で、脳内反省会をよく開催するが、 「昨日読んだ本の言葉をそのまま言ってたな

    • オリジナリティはどこにあるのか

      人と会話をする中で、私の意見として放った文章が、ただ知識を発表しただけだったことが頻繁にある。 ニュースで見たり、本で読んだり、調べて知ったりした情報を、あたかも自分自身が考え出したかのように。 また、万人が考える当たり前のことを言ってしまって恥かしくなることもよくある。 この記事も自分で書きながら、誰でも考えるようなことを書いてしまってるなと思いながら、自己満足で書いている。。。 毎日、こうして書き続けることでオリジナリティが生まれて、表現できるようになればと祈るば

      • 映画「囚われた国家」

        自粛明けの映画館へ。 コロナ渦以前からあまり混雑しない映画館ではあったが、8番シアターの観客は私を含めて3人だけだった。 鑑賞したのは「囚われた国家」、以下あらすじ。 地球外生命体による侵略から9年後の2027年、シカゴ。制圧されたアメリカ政府は「統治者」の傀儡と化していた。貧富の差はかつてないほど拡大し、街は荒廃。そして市民は、この圧政に対して従属する者と反抗する者に分かれた。自由を取り戻すために秘かに結成されたレジスタンス・グループは、市内スタジアムで開催される統治者に

        • サイクリング中に

          自粛明けの大学生活はまだまだスロースタートといったところ。 今朝はサイクリングに出かけた。 近所の河川敷を北上し、とうとう山道に差し掛かったところで面白そうな看板を見つけてそのままここまで辿り着いた。 やはり、自転車の速度だと今まで景色だったものたちが鮮明に見えてくる。 今日はその恩恵を受けた日だった。 静まりかえった墓所は綺麗に掃除が行き届いており、今でも集める尊敬を感じ取れる。 墓石に生えた苔たちは時の経過と、彼らの功績への説得力を与えている。 死に物狂いで日本の西

        自我の不足感に対する考察

          主観と客観

          私は人付き合いが苦手だと自分で思う。 人見知りだし、自分を表現することが苦手だ。 私は誰かと会話を交わした後、脳内でいつも反省会を開く。 「さっきの会話の中で、感じの悪い言い回しは無かったか?」 「客観的に見てどうだったか?」 しかし、今日は考えてしまった。真の意味で ”自分を” ”自分が” 客観的に判断することなどできるのだろうか。私が1人で考えてる限り、”私の主観”からは絶対に脱出できない。 そう考えると、ネガティブな私は(この評価も主観だが)脳内反省会を開催

          主観と客観

          後輩教育備忘録①

          今日、同じ分野の研究テーマを学ぶことになる後輩と顔合わせを済ませ、私が担当する後輩が増えた。 後輩よりは先輩と付き合う機会が多かった私にとって、今日から来年の春までの期間は自らの成長にとって貴重な期間になる。今後の私に向けて、後輩たちに対して思いついた考えを備忘録として記すことにする。 明日から共に実験を行うことをイメージした時に、私自身がまさに先輩から実験を教わったシーンを思い出した。最初の数日間は、いくら丁寧な説明を聞いても自分が今、何をしているのか理解できずにモヤモ

          後輩教育備忘録①

          自分ルール

          自分の思考の癖みたいなものを考えてみた。 私は自分に自信が無いがゆえに、いつも他人になるべく譲歩するような選択肢を選んできたように思う。 そこで、このNoteでは自分がその日に感じたこと・考えたこと・思いついたことをなるべく脳内の編集を経由しないように気をつけながら書いていきたいと思う。自身の発言が出来る限り他人の迷惑にならないように、気に触ることの無いように、そんな無意識下の自己編集を避けるためだ。 そうすることで無意識的に抑制してきた自分自身の考えを外部へと放出す

          自分ルール

          初投稿。

          今年の夏で24になる。 コロナウイルスによる影響で私が通う大学も立ち入りが制限され、毎日自宅に籠る生活になり、かれこれ3ヶ月が経過しようとしている。 こんな長い時間を自室と散歩コースで過ごすことは人生初だし、これから先も死ぬまで二度と無いかもしれない。 それと同時に、こんなに自分自身の将来や過去についてあれこれ考える貴重な機会にもなった。この3ヶ月間で考えたことを書きたいと思う。 いつの間にか、私は自身のことが嫌いになっていたことに気づいた。その原因は未だにはっきりと

          初投稿。