慟哭(どうこく)

その夜、本当に現実なのかと頭の中がぐるぐると回りました。母が亡くなった時も、父の胃がんと余命宣告にも茫然とし、2ヶ月前に父の葬儀を終えたばかりの状況。それからすぐに、家内のがん宣告。

工藤静香さんの「慟哭」という歌を思い出しました。
この歌の歌詞のように、ひと晩じゅう泣いてばかりでした。
何度も何度も、本当に現実なのか、と頭の中が整理できない状態。人はあまりにも受け入れ難い事実に直面すると、その現実に対して意識の表面に蓋をします。
母や父が亡くなった時も、最初はそのような感覚を覚えました。なぜこんな状況になったのか、自分の心や意識の中では、訳の分からない自己問答が繰り返されてばかりでした。

いつ眠ったかも分からず、朝5時を迎えました。
とても眠れる状態ではありません。横で寝ていた家内も目を覚ましており、何を会話したか内容は記憶になく、涙を浮かべていたことだけ覚えています。

私たちの心を反映しているのか、その日は雨。
朝食は、家内がZOOMのパン教室で作ったパンをホットドックとして用意しました。私はいつも通りに豆を挽いて、お気に入りのカップにコーヒーを淹れました。

いつもの日常。

この日常は、永遠に続かないことをこの日ほど実感したことはありません。しかし、私たちはついその現実から目を離してしまいます。

ずっとこの日常が続くということに。

そのあと、私たちは図書館に行きました。勿論、大腸がんに関する本を借りるためです。1年前に父が末期の胃がん宣告を受けた時は、胃がんに関する本を借りました。
この年、また同じように借りるとは。

たくさん借りた本をひたすら読みました。まだ治療方法が全く分からない状態でしたが、今後医師と会話するためにも必死に予備知識として頭に入れました。
昨年父が胃がんを患っていたことから、がんに関する知識はある程度持っていましたが、大腸や直腸の特性については今回初めて知ることになりました。
知識があれば、大腸内視鏡検査を受けてみようと思いますが、知らなければそのような行動は起こせません。

夕方家内との会話でも、涙が出るばかり。そんな私を見て耐えられなくなったからか、家内は初めて泣いて叫びました。

「Atsu をひとり残すのがいちばんいやだ!」

泣いている家内を見て、不思議と涙が止まりました。
家内はずっと泣くのを我慢していたんだ、とやっと気づきました。

この当時、映画「鬼滅の刃 無限列車編」が流行っていました。主人公の竈門炭治郎が妹の禰󠄀豆子を救うため自分を鍛えて強くなっていく姿を見て、私も家内を助けるために強くなると心に決めました。

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