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やらなくてもいい仕事をしている。やらなきゃ誰かがやるのだろうと言われる。逆に言えば、そんな仕事しか僕らには無い。唯一無二になることは無いのだから、せめてこいつで良かったと思われる人材でありたい。
それでも救急医を辞められない
ここ暫く放射線科医として働いている。当然、お師匠さんの庇護の下、やれる事をやらせてもらっているに過ぎないが、少なくとも救急と言う立ち位置を離れて客観的に見る機会を得たように思う。
かつて自分の青春がそうだったように、救急から離れてしまえば過去の事となり、特別な感慨を持たないのかも知れないと危惧していた。あれだけ大切だと強く信じた事を無価値に思えてしまったら、それは悲しい事だろうなと臆病になった。
とある患者さんのこと。身体的苦痛は十分に取れたし、本人や家族ともラポールは形成できた。その上で治療も緩和もフルにやって、救命できなかった。医者になって初めて泣いた。その最期が僕の心に焼き付いて離れない。何か足りなかったのだが、足りないと分かるものが明らかではない。ああ、困ったな。
診断においても治療においても、フェアであることは重要だ。そうであれば、根本的に情報提供がフェアでなければならない。一方でリコメンデーション無しでの情報提供では丸投げである。難しくはあるが、バランスが大切。
最善を尽くせているのか?
ベストを尽くしていると思っている。だけど、ベストであると証明できない。だから、本当にベストを尽くせているのか悩んでいる。
どれだけ全力を尽くしても、患者さんに正しく情報が伝わっているのかは分からない。アウトカムを正しく担保できる保証が無いが、せめてプロセスをなぞって少しでもフェアでありたいと思う。
その意味で大切にしているのは臨床倫理の四分割表に則ったロジックだ。医学的妥当性・適応があるのか、
何処で引くか、何処で推すか?
健全かはさておき、やるしかない、と言う時がある。
例えば、自分達しか医療者が居ない中で、処置せねば患者に生命の危機が生じる状況、他の施設へ転院するとか人を呼ぶと言う選択肢が無ければ、やり切るしかないのである。
一方、引くに引けない状況と言えども、やってはならないこともある。特に、逆立ちしてもやれないことを一か八かでやってみる、みたいなことは大抵良くない結果を招く。やったこと無いけど簡単な処置で
初めまして、こんにちは。ところで、貴方の家族さん、死にそうなんですよ。
そんな会話から入ることが多かった救急医としてのキャリアの後に、度々IVRで関わった患者さんが急性増悪して目の前に現れる経験が増えた。
人生の重ね合せが多い程、増悪時の対応が辛くなる
精進あるのみ。
時には昔の話をしようか
学会へ向かう道の中、寝不足とか諸々で久々のJR。ちょうど去年の今時期も恵庭の大学へ教えに行ったり諸々していたことを思い出す。その前は、浜松と往復したり千葉と往復したり、人生における大切のことを札幌で経験したように思う。
医者になろうと思ったのは、いつだったろうか。多分中学生の頃だ。落ちこぼれで荒らくれてはいたけど、僕は文学とかそう言うものをやりたいと思っていた。数式で定量化される世界ではなく、測