「正しい好きになり方」と言う矛盾
自分がどうありたいとか、どうあるべきかとか、そう言う尺度で先に形を決め、その理想との差分を埋める努力を繰り返すことが正しいことだと信じてきた。
だから、人を好きになると言う情動的な反応に対しても理性を以って解釈して、「正しい好きになり方」と言うことを自分に強いる行動に至る。その正しさには外的妥当性はないかも知れないし、そもそも妄信かも知れないが、それでも自分自身が正しいと思ったものに寄ってしまう。
それでは「正しい好きになり方」とは何か?それを僕は、相手本位であること、と