見出し画像

それでも救急医を辞められない

ここ暫く放射線科医として働いている。当然、お師匠さんの庇護の下、やれる事をやらせてもらっているに過ぎないが、少なくとも救急と言う立ち位置を離れて客観的に見る機会を得たように思う。

かつて自分の青春がそうだったように、救急から離れてしまえば過去の事となり、特別な感慨を持たないのかも知れないと危惧していた。あれだけ大切だと強く信じた事を無価値に思えてしまったら、それは悲しい事だろうなと臆病になった。その一方で、その程度の事であれば、戻るべき場所ではない、ただの通過点と諦める覚悟も持った。かつて外科医や整形外科医へとコンバートしていった先輩達のように、それはそれで悪いことではないと思う事とした。

しかしながら、特に救急が嫌いになるとか、嫌だなと思う瞬間は無い。他科研修の時期を含めると、1年間今の生活をしているが、放射線科として働いて良かったと思う事以上に、救急医として緊急出動して良かったと思う事が多い。放射線科医としてできることが少ないからかも知れないけど、IVRの瞬間だけではなくその前後のcontextで関わらなければ本当の意味で予後に寄与できないと感じていることが1番の原因だと思われる。

先日、とあるIVRのレジェンドに救急なんて何もできないじゃないか、何が楽しいのだ?と問われた。その先生は自分自身の道に自信がおありなのだろう。業績的にも頷けるだけのものを持っている。しかし、人の領域を土足で踏み荒すのは感心できない。

貴方にショックの対応ができますか?輪状甲状間膜切開ができますか?多重傷病者の対応ができますか?

特に僕も反論しなかったが、そんな言葉が頭を過ぎり同時に僕が何なのか再認識した。救急科を辞めようと他科へ進もうと、僕は救急医だ。そして、何よりも、救急医と言う仕事を愛している。だから、自分が行く必要のない現場に足を運んでやれることをやる。生き急ぐようだと罵られても、患者の論理で正しいだろう事を守りたい。

僕はこんなになっても、まだまだ救急医なのだ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?