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フェミニズム:新卒でモヤった社会の闇

今回は自分の実体験を通して感じた、日本の社会に対しての違和感について。
チクっと古傷の痛む話をします。

きっかけは先日、某大手企業の仕事を受けた時、その会社に勤めている今年新卒で入ったばかりの社員の女の子と話す機会があった。

私は30代も半ばに差し掛かろうとしている年齢。この歳でフリーランス、となると世代の離れた一回りも年下の子と関わる機会も珍しい。
というわけで、今の若い世代がどういう考え方をしているのか興味があったし、実際話をしてみると考え方や物事の見方が私が思うより随分しっかりしていて頼もしかった。
なんというか、軸足がしっかりしているというか。
それと同時に、私も社会人になってから割と波瀾万丈な社会人生活だったけど、大人になったんだなぁ、という実感も湧いた。若い世代がこれからの社会生活で経験を積むにあたって、一応社会人の先輩である自分はどんなアドバイスをするのが良いのだろう、など考えるような年齢なんだなぁ、と。

そしてふと、新卒の時の自分の姿が思い出されたのだった。

今から10年くらい遡ると、社会も今とは様子が違っていた。

当時、私が新卒で勤めていた会社は不動産系の営業系会社の内装設計部。一般の方が中古の不動産物件の購入と同時に行うリノベーションを行う会社だ。
前年に東北大震災があり、安倍晋三内閣が再誕した時期だった。この頃、2020年の東京オリンピックの誘致も決まった頃だったかな。

私はインテリアデザイナーになりたいと憧れていたものの、それが新卒から叶う企業は数少ない上、就活がなかなかうまくいかなかった。結局かなり妥協したが、藁にも縋る思いでっと採用された企業だった。

ということもあり、加えて初めての”社会人”。この社会の海で経験すること全てが”これが社会人ってものなんだ”と刷り込まれていくのだった。

そのフィールドは、昔ながらの日本の体育会系の中小企業。

年功序列で先輩には何を言われても従う。意見が食い違ってると思って発言すると、「女の新人のくせに偉そうに」と鼻で笑われ、”議論”することは許されない。
加えて、私が初めての”新卒採用者”だったらしい。その他の人は若くてもアラサー、みんな中途採用者だった。男女の割合がほとんどが男性。

その体制に”人材を教育する力”は勿論なく、誰も何も教えてくれなかった。
電話の取り方から名刺の渡し方、メールの返信の仕方まで、先輩や上司のやりとりを真似して、”背中を見て覚えて自ら育ってくれ”スタイルだった。

同じ時期に入社した二人の同期がいたけれど、二人とも中途採用者。
二人いわく、これまでの職場がきつくて転職してきたのだそうだが、他の職場と比較してもここはキツすぎる、と言って2ヶ月で辞めてしまった。

新人は私ひとりになった。
確かに、教育面はもちろんのこと、他も今思うとゾッとするようなキツイ条件がたくさんあった。

サービス残業は当たり前。直属の上司が時間の際限なく永遠に仕事をする人だったので、新人が先に帰るなんて空気の読めないことはもちろんできず、終電を逃したらタクシー帰り。(タクシー代は自腹。)私は実家暮らしだったから、なけなしのお給料を2万も3万もタクシー代に費やしていた。
残業代はもちろん見込み残業。

週休は水・日曜の二日間(土曜隔週出勤)というのは建前で、クライアントとの打ち合わせは基本土日にしか入れられないので、アポが入れば出勤しなければならない。
そんなわけで実質は週に一日休めるか休めないか。直属の上司や先輩たちは会社のすぐ近くの町に住んでいて、かなりの頻度で休日も会社で仕事をしていた。

また、社風はかなり体育系。
出勤の際、オフィスのドアを開けたら『おはようございます!』と元気いっぱいに挨拶をする。
特に、新人は声が大きくないと怒られた。生まれてこのかた体育会系とは無縁の人生を送ってきた私にはこの”朝の元気なあいさつ”が相当にキツかった。
権力者に皆の前で平社員が大声で叱責されることは日常茶飯事。それにびくびく怯えていたことも鮮明に覚えている。

ランチは社内にいる時は、ひと回り年上の女性のお局と一緒に食べにいかなきゃいけない。
なぜならそのお局は、”一人で外食でない女”なのだそう。
私が牛丼屋でもラーメン屋でも一人で行けるということに腰を抜かしていた。
一日のほとんどの時間を会社で過ごすほど平均の社会人より長時間労働をしているのに、ひとりで一息つける瞬間もなかった。

会社の飲み会の頻度も高かった。
女性社員が男性社員のお酌をするのが常識だと、女性のお局先輩社員に教わった。
半期に一度くらい、社員旅行で会社の保養所に行く強制参加行事もあった。ただ女性社員にとっては保養でもなんでもなく、お酌や料理の配膳、果物をむいて男性社員に配るなどの立派に”業務”を休日を使って行使することだった。

と、挙げだしたら枚挙に遑がないが、渦中の人間は正常な判断ができないものだ。ましてや私は”社会人一年生”。我慢して”社会とはこういう場所なんだ”と自分に言い聞かせるほかなかった。

でも今なら確信できる。一見ただの昭和のよくあるイケイケどんどん企業に見えるが、十分に時代遅れの”ブラック企業”だ。

中途で入社してきた30代くらいの人も、飛ぶ人もいれば突然消息がわからなくなって、警察に捜索願いを届けて捜索する騒動もあったりした。アルバイトが飛んだみたいな話を昔聞いたことはあったけど、社会人になっても飛ぶ人っているんだ、と怖くなった。

そんな調子で色々とちょっとヤバそうな事件は起こったが、右も左もわからない新入社員の私でもこれはおかしい、と身をもって体験したのは課長(同じ部署で一番の権力者)のセクハラ行為だった。

内容は割愛するが、飲み会の時に課長に酔った勢いで明らかなセクハラを受けた。
だが5つくらい年上の事務の女性社員はとさらにその年上の女性社員は「私たちも若かったときは課長にやられてたよね〜〜笑」と懐かしんでいる。

何なんだろうこの人たち・・・そんなのおかしくない?と気持ち悪くてモヤモヤしたが、次の日に会社に行くと、課長には「昨日の飲み会は楽しかった、でも酔ってて何も覚えてない」で終わらされてしまった。”記憶がない”っていう逃げ文句、ずるすぎやしないか?

そこで、モヤモヤしていた感情は形ある怒りとなりピークに達し、腹の底から怒りと同時に悲しみを感じた私は、ひと回り年上のお局に勇気を振り絞って相談してみることにした。同性だし社会人経験もあるから、これがおかしいことだって共感してくれるだろうと。
恐る恐る、お局と二人になったタイミングで先日の出来事を打ち明けてみた。

しかし。

課長のセクハラ行為以上に、同性のお局に言われた言葉ほど傷ついたものなかった。

「新人が時間を奪っておいて、わざわざ自分の”若いの自慢”?
知らないかもしれないけど、女であれば若けりゃ社会ではよくあること。私だって昔はそういうことされてたし、受け流すのもスキルのうち。それが嫌なら、さっさと結婚でもして社会人辞めれば?」

これが俗にいう”セカンドレイプ”というやつだ。10年も経った今知った言葉だけど。

この言葉を聞いて呆然とした。当時の私はまだ社会人一年生で、こんなことがあっても見て見ぬフリしてやり過ごさないと、一人前の社会人にはなれないんだ、と信じ込んでいた。新人だというだけで、女であるだけで、これは乗り越えなければならない試練なんだ。
性別も年齢の差も、自分の力で変えられることじゃないじゃないか。諦めるほかなかった。
もちろん”新人だから、女性だから”という理由で嫌なことばかりではなかった。例えば先輩にそういう理由でご飯を奢ってもらえることもあった。だけどそれが嬉しいかと言われたら、ありがたくはあるけどなんか”嬉しい”とは違うような。このモヤモヤの正体がわからずにいた。
とりあえず、セクハラのことは”我慢するんだ”と思って忘れることにしたけれど、その後の社会人人生でこの時の怒りを忘れることはなかった。

結局、新卒で入社した会社はその後、私が社会人2年目になってすぐに辞めてしまった。
理由は、色々あったけど決定的なきっかけは私が営業帰りの車で交通事故を起こしたことだ。

その事故が起こる少し前、徹夜に近い業務をする日々が続き、私の直属の上司がくも膜下出血で倒れてしまった。
上司は手術に成功し、一命を取り留めたものの、最短の速さで、頭に包帯を巻いたまま会社に復帰。何事もなかったかのように、また深夜まで働く日々に戻っていった。その様を見て、とても怖くなった。
それなのに、自分の上司だって倒れるまで働いているんだから私も頑張らなくちゃ。という思考になってしまっていた。何度も言うけど、”渦中の人”は正常な判断ができない。

三日三晩ぶっ続けで徹夜で働いた結果、営業まわりの帰り道の基幹道路で、居眠りで追突事故を起こした。世間は三連休のど真ん中だった。みんなどこかに出掛けていた帰り道だったのかなぁ。私は当然のように働いていた。社会人になってから、週休二日もまともにやっていないので”連休”というものを知らなかった。
幸い、車を当ててしまった相手のカップルに怪我はなく、基幹道路が大渋滞に見舞われただけですんだ。(それでも迷惑をかけてしまったと思うし申し訳ない思うが。)

相手のカップルはとても優しく対応してくれた。

この時の言葉も忘れられない。

「当てられ慣れてるから、大丈夫。気にしんといて!休日出勤お疲れ様。」

その言葉に、ただただ涙が出た。あまりにも泣いてしまったからなのか、大事にならなかったからなのか、理由は分からないが対処してくれた警察官も私の肩をぽんぽんと叩き、点数を引かなかった。
会社の誰よりも、見ず知らずの人々が優しくて温かくて、わんわん泣いた。

”石の上にも三年”という新社会人に対する世の中の刷り込みもあったけど、このままじゃ自分がすり減っていくだけだと思って判断して会社を辞めることにした。

もう遠い記憶のようになっていたけれど、私はその当時のお局と同じ年齢に達したのだ。
そんなこんなで、すっかり忘れかけてた記憶が頭の奥の奥の奥の方から突然引きずり出された。
目の前には新社会人の女の子がいる。でもその女の子の生き生きと、キラキラした様はとてもじゃないけど自分とは重ねられなかった。

未だに疑問だ。どういう気持ちでいたのでれば、30代半ばの社会経験者が新人に対してあんな言葉をかけられる?

あのお局が経験した社会はどんな荒波だったのか。私が今目の前の新一年生に同じ相談を受けたとしたら?とてもじゃないけどあのお局と同じ回答はできない。というより、”あんな言葉、思いつきもしない。

私なりにあのお局のことを理解しようと思い、上の世代の女性の社会での生きづらさについて考えてみた。

まず、”女性は若ければ若いほど良いとされる”という日本特有の価値観。
あの言葉を吐かれて、私の何が悪かったのだろう?と何度も考えた。
でも何度考えても、ただ、私が”若かった”というだけなのだ。
あの企業もそうだが、若い女性社員を完全に”もの”として見ていたなぁ。と思う。
”実務”とは関係のないお茶出しやお酌や配膳などの”業務”。

今でこそもう聞かなくなった言葉だが、”女の賞味期限”であったり”クリスマスケーキ”などの言葉をかけられながらも、世間が定義づける”当たり前”の女性の生き様と逆行しながら社会の荒波を生き抜いてきたのだろう。

そういう背景を理解できると、30代半ばになった私、当時の色々な感情を乗り越えて、今となってはそのお局のことも憎めなくなってきた。
あの人も大変だったんだなぁ。

私がたった1年と数ヶ月で新卒で入った会社を辞めた日。
セクハラをしてきた課長は、私の送別会に出席しなかった。”最低3年もうちのキツい会社を我慢して続けられない人は認めていない”のだそうだ。セクハラを隠蔽するような大人に認められたところで何を誇ればいいのかしら?こっちが御免だよ!

あのお局とはというと、ご丁寧に送別祝いと、一緒に一通の手紙を添えてくれていた。
”短い間だったけど、お疲れ様。これからも頑張ってね。”

その言葉は純粋に、沁みるものがあった。

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