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薬のない薬屋

どうも西尾です。

今日、6月6日は梅の日だそうです。

スーパーなどに行くと、梅酒や梅ジュース用の大きなガラス容器と青梅、お酒、氷砂糖などがセットで売られているのをよく見かけます。

お家で梅酒や梅ジュースを作って飲むのはすごく良いですよね。

因みに、6月11日が梅酒の日、7月30日が梅干しの日となっているそうです。


薬のない薬屋

薬のない薬屋、なんてあるのだろうか。

薬屋に行けば風邪薬に胃腸薬、頭痛薬、生理痛、目薬、便秘薬、軟膏などの塗り薬、湿布薬など様々な薬が置いてある。

そして薬剤師の方がいて、症状を伝えるとその症状に似合った薬を紹介してくれる。

だから、薬のない薬屋は、それはもはや薬屋とは呼ばないのかもしれない。

でも、本当にそうだろうか、と考えてみる。

私にとって、いつも行きつけの散髪屋は薬屋と同じなのかもしれない。

髪の毛はこれぐらい切って、長さはこれぐらいで、こういう感じの髪型にして欲しいと伝える。

すると散髪屋のマスターはいつもの調子でハサミを動かしてくれる。

あのハサミ捌きは見ていて飽きない。

マスターはハサミを自分の身体の一部かのように軽々と無駄なく扱う。

しかしながら、これではただの散髪屋と一緒である。

私の行きつけの散髪屋は、髪の毛を切るということ以上に、私の心に処方箋を出してくれていると思う。

それは、何か物理的に形が見えるものでは無くて、マスターとの会話が処方箋になっている。

「最近、仕事はどんな感じ?」

「彼女とは上手くやってる?」

「ゴールデンウィークはどこか行った?」

「休みの日はどうしてるん?」

この何気ない会話が私には薬になるのである。

マスターから色々と質問されて、私は答える。

それに対してマスターも深掘りしてくれる。

時には、私の悩み事を喋ってみたりすることも。

すると、マスターの経験談を話してくれたり、他のお客さんにこういう人がいてるよ、だとか色々と教えてくれる。

マスターの年齢は50代だ。

私と同年代のお子さんもいるとのことで、尚のこと話をよく聞いてくれる。

私は自分一人で何でも決めたり、解決しようとしてしまうところが昔からの悩みだった。

誰かに自分の話を聞いて貰ったり、逆に自分から話を切り出すのが得意じゃ無かったし、自分のことを喋るということに対して抵抗感があった。

でも、今ではこうしてマスターと話をすることで、自分一人で何でも抱えるということしないですんでいる。

そして、それが自分の心の負担軽減に繋がっているように思う。

薬は置いてないが、散髪屋のマスターとの会話が私にとっては薬になっている。

以前読んで本に散髪屋のマークについて書かれていた。

よく街中で目にする、赤・白・青の目立つマーク。

ポールの中で回転していたりして、個人的に欲しいなと思ったりもする。

あのマークの由来は元々、中世のヨーロッパでは散髪屋は外科医も兼ねていたことからきているらしい。

散髪屋として青、外科医としては赤白に定められていたのだとか。

外科医では無いけれど、髪の毛を切ること以上に悩みを聞いてくれたりして、会話という薬を出してくれているように思えた。

散髪屋だけでは無い。

このnoteも私にとっては薬屋と一緒かもしれない。

色々な方の人生のことや様々な体験談が投稿されている。

さらに、自分の書いた記事を多くの人が読んでくれたり、スキをしてくれたり、コメントをしてくれる。

それが、私にとって薬となっているように思う。

年齢層も、バックグラウンドも、住んでいる地域や国も全てが様々。

だからこそ、色々な考え方や価値観を知ることが出来る。

noteも散髪屋と同じで薬のない薬屋だと思う。

もちろん、散髪屋以外にも喫茶店であったり、スナックであったり、或いは仲の良い友人・知人であったりと、薬のない薬屋は人それぞれだと思う。

もしかしたら、本当に、薬屋の看板を掲げていながら薬を置いていない薬屋というのもあるかもしれないが。

そろそろ、また予約をしようと思う。

薬のない薬屋へ。




以上になります。

お読みいただきありがとうございました。


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