大学院生雑感

おつゆと申します。 大学に入って全く通用しない自分に絶望していたところ、友人の言葉で一…

大学院生雑感

おつゆと申します。 大学に入って全く通用しない自分に絶望していたところ、友人の言葉で一念発起しました。 なんにもできない自分から卒業するために、毎日様々なことを学んで行きます。暖かく見守ってくれるとありがたいです。

最近の記事

どんなものも90%はゴミ? キニナル有象無象 Day.2 小説

こんにちは、めちゃくちゃ暑いですね。 僕は暑さは苦手なのですが、こういう日は洗濯物が速攻で乾くので助かる面もあります。 さて2日目の有象無象は、「小説」です。 なにか書くものないかなと思っていたら、今読んでいる小説が目に入ったので、せっかくなんで2つの組み合わせからは意味が想像できない「小説」について調べてみることにしました。 小説:文学の一形態。作者の構想を通じて、人物や事件、人間社会を描き出そうとする、話の筋をもった散文体の作品 まあ国語辞典はあまり目新しくもなく

    • キニナル有象無象 Day.1 「餞別」

      こんにちは、おつゆと申します。 過去に「毎日更新するぞ」と息巻いて何本か記事を書いていたのですが、いつのまにか途中で疾走しました。物事を続けるのって難しいですよね。 一年以上立ったのですが、大学の授業もある程度区切りが付き、また記事を欠くことを継続することに挑戦してみようと思い、企画ベースで記事を更新していこうと思います。 何個かアイデアは出たんですが、その一つはこれです。 日頃から、ニュースで見たよくわからない単語や仕組みを自分なりに調べて見るということです。毎日続け

      • ノロマの特権

        ノロマにしか味わえない幸せがある。 というのも今日、一年近く通っていた自動車教習所を卒業した。 普通の人は三ヶ月ほどで卒業するのだが、僕は大学や部活を理由にサボりまくった結果、教習期限ギリギリまで(九ヶ月)通う羽目になってしまった。 一年近く通っていると、何か卒業する時になんだか少しうれしいような寂しいような気持ちになる自分がいた。自動車学校に、だ。 バイきんぐのコントに自動車教習所のネタがあるが、あながち馬鹿にできない。 長くその環境にいると愛着がわく。 この環境

        • 「よく考えたらわかる」ってよく考えたら意味わからない。

          「よく考えたら〜」と言う言葉を日常的に使うことがあるが、よく考える前は何をしているのだろう。「普通に考えている」のだろうか? ファストアンドスローの考え方を使うと、直感がしっくりくるかな。 よく考えると言う状態は奇妙であると言いたい。 時に、直感と考えた後の思考のあるべき結論が逆の時がある気がする。 ホームレスの人の話を例にとる。 かまいたちの山内さんがラジオで言っていたことなのだが、東京で初めてホームレスの人を見かけた時、大丈夫ですかといって救急車を呼んだといエピソ

        どんなものも90%はゴミ? キニナル有象無象 Day.2 小説

          やる気と幸せ

          僕は常にどうやったら幸せなままでいられるかを模索しています。 この行為自体は一見幸せじゃない人がするものにも見えますが、個人的には幸せな人じゃないとしないことだと思います。 前置きを長々とするつもりはありませんが、僕は今幸せです。 100がMAXだとしたら99は確実に幸せです。 残りの1は、この幸せがつづかいないかもという不安です。 さて、どうやったらこんなに幸せハッピーに生きられるかは追々話していくとして、今回は『乗り気じゃない』について考えます。 僕は今いろいろなこ

          やる気と幸せ

          牛を殺さないでもいい世界

          未来の形を考える時、今ある技術に疑いの目を向ける。 技術的に不可能だから仕方なく現在の形になっている常識はなんだろうと考える。 もちろんほとんど全てのものがそうなのだが、いくつかのものはあるべき姿が思いつく。 例えばVRだったり(全身の神経をリンクさせる)、自動車(人が運転するのは危険)だったり。 その中で僕が特に思うのは食の常識だ。 僕は決してベジタリアンではないが、動物を殺して食べるのは殺す行為はできれば避けたく、技術的な制限故の文化ではないかと考える。 自分

          牛を殺さないでもいい世界

          知ってることしか望めない

          子供の頃、将来の夢を聞かれたらなんて答えていただろう。 確か、大工さんとか答えていた気がするな。 知らないことを目標にすることってできないですよね。 子供たちがなりたい職業って、子供たちがよく知ってる職業と等しい気がします。 決してその仕事が子供たちから魅力的に見えるわけではなく、「消極的に好き」みたいな感じかな。 限定合理性と呼ばれているそうです。 自分の好きなもの、やりたいことも消極的な選択に過ぎない気がする。 この選択が少しでも合理的になるように選択の母数

          知ってることしか望めない

          腹が減っても戦ができる

          「腹が減っては戦はできぬ」ということわざがある。 これは空腹では十分な活動ができないという意味であり、特に体力を必要とする戦を持ち出しているのである。 完全に揚げ足取りだが、考え方を一つ書きたい。 今後起こるであろう戦争は別にお腹が減ってもできるだろう。 例えばロジックボムなどのなどのサイバー攻撃だったり、ドローンの操作で爆撃をしたり。 一瞬で終わってしまう性質を持ってしまうかもしれないと研究者は予測していたりするようだ。従来の戦争の形とは異なる。 ことわざができた

          腹が減っても戦ができる

          宇宙人から生命を哲学する

          地球外生命体は存在するのか?もうずっと議論されていることだ。 唐突で脈絡もないが、ロボットに性別は存在しない。性別は有機体の特徴である。しかし、人間は自分より高度なロボットに性別を当てはめてみたりする。 また、神様は人間と似た位置に同じような器官を持っていると想像する。 人間は自分たちよりも高度な存在を想像するのは下手なようである。 また横道にそれるが、アリは匂いで自分たちと同じ種か判断するそうだ。 これはつまり、同じ匂いを纏った他の種族を見分けられないということだ。

          宇宙人から生命を哲学する

          その道で戦う人だと錯覚現象

          ある人がバイトを頑張っていると聞くと、自分は頑張ってないなぁと少し卑屈になる。 経済の勉強を頑張っていると聞くと、経済について何も知らないなぁとちょっと悲しくなる。 他の人の頑張りを見ると、その人と同じステージに立っていて自分が劣っているような錯覚に陥ることがある。 そもそも人と比べる必要はないが、強いて比べるとしたら、自分の得意なことだけで十分な気がする。 自分が自慢をするとしたら人より頑張っていることを話すし、それに対して張り合うのはなんだかアホらしい。 自分は

          その道で戦う人だと錯覚現象

          大盛り無料のつけ麺やで中盛りを頼めない。

          大盛り無料のつけ麺屋に行きます。 かつての経験から、大盛りを頼むと苦しくなって不幸せになるのは目に見えてるのに、結局もったいないと考えて大盛りを頼む。 ここで中盛りを頼む勇気が21歳の僕にはまだ足りないみたいです。

          大盛り無料のつけ麺やで中盛りを頼めない。

          思い出と読書

          小説を読んでいて、登場人物の行動に自分を重ねることがある。 例えば、学校の帰り道の場面だったり、失恋の場面だったり、親との喧嘩の場面だったり。 一方で自分を重ねることができない場面があったりする。 バーでお酒を飲む場面とか、我が子を見守る場面とか。 なんとなくこんな感じなんだろうなぁと思うことはあっても、 「その気持ちわかるー」というなんとも言えない味わい深さを感じることはできない。 読書は他の人の体験を追体験できると言ったりするが、自分の体験をもう一度文章の中に見

          思い出と読書

          浅くとも底の見えない人であれ

          好きなものを答えるのが苦手です。 僕は基本的に、プライドを無くして合理的に生きることで幸せになろうという考え方なんですが、いくつか捨てることのできないプライドがあります。 その一つがタイトルにある「浅くとも底の見えない人であれ」(自作)です 好きなものを聞かれて答えると、意図してないニュアンスが伝わって「こいつはこの程度か」と思われるという錯覚が消えません。 僕自身が仮に浅い人間であることは全く気にならないのですが、それを人に思われたくないという感じです。 好きなバ

          浅くとも底の見えない人であれ

          お水おいしいよね

          水っておいしいですよね。 特に運動した後のお水は格別においしいです。 水の味と言われると無味だと思う人がいると思います。 それって本当ですか? 確かに、甘くもなく、酸っぱくもなく、苦くもない。 「基本」みたいな味してる気がします。 でもそれってそう教えられたからでは?と思いました。 水は味がしないって教えられただけではありませんか? 他の飲み物に水を混ぜると薄くなると言ったりしますが、それは水の味が単に加わっただけなのではないのでしょうか。 赤ちゃんに「水は味が

          お水おいしいよね

          現行の試験の形式がおかしい 〜勝負は目に見えない〜

          みなさん試験と言われてどんなことを思い浮かべますか? おそらく、試験場にみんな詰め込まれて、制限時間内に、資料は用いず、出された問題を解くという形式が思い浮かんだのではないでしょうか? これもうやめませんか? 以下僕がそう考える理由を書いていきます。 1.測れる能力が限られるはっきり言って今のテスト形式は、暗記の色が強いです。 「試験に資料を持ち込む」と聞いて、「いやそれ意味ないでしょ」と思う人は、十分に洗脳されています。 隣の人の回答を見ないのは、まあわかるとし

          現行の試験の形式がおかしい 〜勝負は目に見えない〜

          スカッとする話、スカットしない問題

          スカッとする話って、小さい頃から今まで変わらず存在していて、形式がほとんど変わってないように思えます。 嫌な思いをした人がいて、最終的に加害者が嫌な思いをする。自分が成長したり、何か幸福が起きたわけではないのに、加害者が嫌な思いをすることで話がまとまっている感じを出し、それをみんなスカッとすると言いながらテレビの前でみる。 なんだか気持ち悪いなぁと思ってました。 さて、今回のスカッとする話に対する僕の違和感は、前提条件を疑うことで説明がつきます。 そもそも「人の不幸(

          スカッとする話、スカットしない問題