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現行の試験の形式がおかしい 〜勝負は目に見えない〜

みなさん試験と言われてどんなことを思い浮かべますか?

おそらく、試験場にみんな詰め込まれて、制限時間内に、資料は用いず、出された問題を解くという形式が思い浮かんだのではないでしょうか?

これもうやめませんか?

以下僕がそう考える理由を書いていきます。

1.測れる能力が限られる

はっきり言って今のテスト形式は、暗記の色が強いです。

「試験に資料を持ち込む」と聞いて、「いやそれ意味ないでしょ」と思う人は、十分に洗脳されています。

隣の人の回答を見ないのは、まあわかるとしても、教科書を見てはいけないのは謎です。

このテストは暗記です!という感じがします。

2.そこで求められる能力が、今後必要ない

僕が最も言いたいことはこれです。

現行の試験に向けた勉強をすることで、「試験会場で頭の中に知識を詰め込んだ状態で問題を解決する能力」が養われます。

しかし、よく考えると、暗記が必要な状況は大人になってあんまりない気がしまう。

普通に生きていて問題を解決する時、そこではありとあらゆる情報にアクセスできることが多いです。
つまり現行の試験で言うカンニングし放題なのです。

しかし、その能力は試験の形式のせいで小中(高大)で培われにくいです。

仮に学問の道に志すとしても、研究する時は様々な論文にアクセスし、それを吟味したりしながら研究します。

むしろ求められるのは、俗にいうカンニングした状態で結果を出すことです。

そして、試験時間のようなものが決まっていないことも多い。

期限がきまった仕事もありますが、「結果が出せればいい」という時もあります。

3.実際の世界では、大事な勝負は目に見えてわかりにくい

予備校の講師がおっしゃっていた台詞です。

現実においては、これが試験だと気づかないうちに試験が終わっていることが多いにある。

それは、日々の自分の行動、努力だったり、人との付き合い方だったり。

試験で力を発揮するぞという考えが養われてしまっては、この考えにたどり着きにくいです。

これと言った新たな試験形式が思い浮かんだわけではないですが、今の浅い考え方では、通知表みたいな、学校での総合成績をもう少し重視するようにすればいいのではないかと思います。

色々書きましたが、僕は暗記があまり得意ではないので少し感情論に近い文章になってしまいました。ご了承ください。





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