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どんなものも90%はゴミ? キニナル有象無象 Day.2 小説

こんにちは、めちゃくちゃ暑いですね。
僕は暑さは苦手なのですが、こういう日は洗濯物が速攻で乾くので助かる面もあります。

さて2日目の有象無象は、「小説」です。

なにか書くものないかなと思っていたら、今読んでいる小説が目に入ったので、せっかくなんで2つの組み合わせからは意味が想像できない「小説」について調べてみることにしました。

小説:文学の一形態。作者の構想を通じて、人物や事件、人間社会を描き出そうとする、話の筋をもった散文体の作品

まあ国語辞典はあまり目新しくもなく、知っているようなことが書かれてました。

さて、ここからこの漢字の由来ですが、中国の「漢書:芸文志」というものから広まったようで、市民の間の出来事や話題を王に知らせるために記述された文というジャンルのことであるそうです。

このことから、「小説」漢字的な意味は、取るに足らないもの価値のないものと言う意味が使われいるようですね。

唐突ですが皆さんはスタージョンの法則というものをご存知でしょうか?

これは、SF作家のシオドア・スタージョンが残した格言であり、「どんなものも90%はガラクタである」という過激なものです。(もっと詳しく知りたい人は是非調べてみてください!他の格言のことを指す場合もあるそうです。)

これはSF小説に対して放った言葉とされており、SF小説の殆どはゴミだと言いたかったのでしょうか。

このことについて小説と関連して考えていきたいと思います。

ガラクタの解釈
皆さんは今まで読んできた小説の中で、これは面白かったといえるものはありますか?そしてこれはあまり印象がないなというものも多いのではないでしょうか。印象がない作品は覚えてすらいないかもしれませんね。

数えてみると、オモシロイと思い浮かんだ小説は今まで読んできた本の中で10%くらいではないでしょうか?(僕はそうでした)なんだか法則が当てはまってる気もします。

90%はゴミという言葉は、マイナスではなく、自分にとって役に立たないものと解釈することができます。人にはその時々で欲している考え方や物語の展開があり、与えられたものの10%しかその時の自分には活用できないと解釈してみましょう。
以降10%のものを「有用なもの」と表現します。

ここから、3通りの生き方が考えられる気がします。

1つ目は、10%しか有用でないなら、なんとかしてその10%を効率的に探すように努めようという生き方。

2つ目は10%は有用ならば母数を増やして有用なものをたくさん見つけようと言う生き方。

3つ目は90%のガラクタを生かしてやろうという生き方。

個人的にはどれも間違っていない気がします。どの考え方、生き方にもメリット・デメリットがあって、他の選択肢を選ばないことで失ってしまう可能性もある。

例えば僕はヴィトゲンシュタインの「論理哲学論考」という本に強く影響を受けていますが、この本は哲学好きな友人に進められたから読んだものであり、闇雲に本を漁っていても出会わなかったでしょう。だから僕は、1つ目の考えがいいのかなとも思っていました。

ですが最近になって考えを改めました。1つ目の生き方の欠点が見つかったのです。それは行動量が圧倒的に減るということです。他の人達が90%のガラクタを拾う過程で得た他のものを僕は得ることができていないなーとも思えるようになったのです。

こんなことを言っておきながら、僕はどの考えを支持するというわけはありません。各々がメリットデメリットを吟味して選択することが重要だと思っています。拍子抜けだったらすみません。

皆さんはどの生き方を選択します(しています)か?

本日はここまでです。
読んでいただきありがとうございました。

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