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スカッとする話、スカットしない問題

スカッとする話って、小さい頃から今まで変わらず存在していて、形式がほとんど変わってないように思えます。

嫌な思いをした人がいて、最終的に加害者が嫌な思いをする。

自分が成長したり、何か幸福が起きたわけではないのに、加害者が嫌な思いをすることで話がまとまっている感じを出し、それをみんなスカッとすると言いながらテレビの前でみる。

なんだか気持ち悪いなぁと思ってました。


さて、今回のスカッとする話に対する僕の違和感は、前提条件を疑うことで説明がつきます。


そもそも「人の不幸(特に仕返しによるもの)によってスカッとする」という」前提条件が間違っている。

これに尽きます。
いや、ちょっとはわかるんだけど、それは虚しさを伴う錯覚に近い気がします。


そもそも自分と同じ気持ちを相手にさせたところで、自分が感じた嫌な気持ちは無くならないし、(傷が癒されるっていうんならそれでいいけども)
少なくとも僕はそう感じない。
だから、あのスカッとする話の構図がとても奇妙に見えてきました。
スカッとする話っていうのは、自分が幸せになって締め括られるもの、と僕は思ってます。

例えば、「好きな子に彼氏ができたけど、イチゴ鼻のツブツブがなぜかごっそりとれた」とか、「いきなり客に理不尽に怒鳴られたけど、彼女と偶然帰り道に会えた」とかそういうことなんですよね。
決して上の例において、好きなこの彼氏が嫌な思いをするとか、客が不幸になるとかではないはずです。(僕の定義によると)

ここには、ファストアンドスローに書かれてたことを応用すると、「人は直感で二つのことが関連してないと感じると、関連させて考えにくいという性質」があるように思えます。

ある嫌なことが起きた時、それに関連したことで自分の気持ちが良くならないと、納得がいかない。みたいな感じ。

ほんとはそんなことないでしょ!!って思いませんか?
極端な話、嫌な思いしても宝くじ当たれば解決するやんってこと。

自分にとって何が幸せかを考えれば、このスカッとする話の構図がおかしいことにすぐ気づけるはず。
いや、もしかすると他の人は、他人の不幸が幸せなのかな、、、
だとすると平和で生きやすい世界の実現はスカッとする話の形式が変化するまでは難しいようです。

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