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2018年10月福島取材 “復興した”福島

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10/20、21の2日間、主に浪江町を取材してきました。“復興した”のかどうか、その目で確かめてみてください。
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2018年12月の記事一覧

2018年10月福島、いわき〜浪江駅〜浪江中学校

2018年10月福島、いわき〜浪江駅〜浪江中学校

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2日目は快晴でした。

本当なら早く浪江に向かいたいところだけど、富岡〜浪江間の代行バスは本数が少ない。朝10:25富岡発の前は、6:55発。つまり、いわきを朝6時に出なければいけない。それは少々ハードだ。

…と書いてみて思ったが、それくらいハードにロケをするべきかなとも思う。

8時過ぎにホテルを出て、少しいわき駅前を散策する。

(日本政府は明治維新150年というが、福島では戊辰

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2018年10月福島、國玉神社〜中上ノ原団地

2018年10月福島、國玉神社〜中上ノ原団地

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浪江中学正門付近のホットスポットでヒヤリとしたが、気を取り直し國玉神社へ向かう。
前日、NさんやKさんが見てきたと聞いていたので、自分も見てみたいと思った。これまで浪江には3度訪れているが、まだ見たことはなかった。

(この夏の台風でめくれたのかな)

(セイタカアワダチソウがすごい)

(これは國玉神社近くの…バス停跡)

来てみて、以前写真を見たことを思い出した。
どこで見たっけ…

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2018年10月福島、中上ノ原団地

2018年10月福島、中上ノ原団地

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人っ子一人いない中上ノ原団地は、ひっそりと佇んでいた。

まさに震災当時のまま。おそらくほとんど人は来ていないように思われた。
息を吞むという表現がぴったりで、正直に言って怖かった。

まさに異様だった。

(本当に静かで誰一人おらず、自分の足音だけが団地に響く)

(ここを通り抜けるときの自分の足音に鳥肌がたった)

(上に上がる勇気はなかった)

(遊具がいろいろな感情を呼び覚ます

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2018年10月福島、猿との遭遇〜大堀小学校

2018年10月福島、猿との遭遇〜大堀小学校

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中上ノ原団地や、その先の団地とも、不気味な雰囲気を醸し出していた。
多くの人々が住んでいた建物であり、そこを突然出て行くように言われ、それから7年半以上も放置されている。
そこには多くの人々の念が残っていて、不気味な雰囲気が出るのも当然だと思う。
子供達、ママ友、高齢者、社宅であれば会社の仲間達。様々なコミュニティが原発事故で破壊されたのだ。

打ちのめされた気分でトボトボと大堀小学校

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2018年10月福島、大堀地区ゲート前〜酒井地区ゲート前

2018年10月福島、大堀地区ゲート前〜酒井地区ゲート前

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次の目的地を目指す。と言っても、行けるかどうかはわからない。帰還困難区域の可能性が高いから。
たとえ帰還困難区域でも、ゲートまで行ってみたいという願望はあった。不謹慎かもしれないが、僕は絵を描くための取材、資料収集に来ている。

高瀬川。陽に照らされて美しい。水も澄んでいて素晴らしい。…放射性物質は目に見えないが…

あれ、橋の向こうに

ああ…

大堀地区は帰還困難区域だった。

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2018年10月福島、帰還困難区域〜丈六公園

2018年10月福島、帰還困難区域〜丈六公園

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事前に計画していた通り、県道253号を歩いていると、帰還困難区域のゲートが見えてきた。今まで歩いていたところは避難指示解除された場所、そして今自分が向かっているのは浪江駅方面。
どういうこと?

あれ、この看板…英語だし。

「この先帰還困難区域」…おいおいおい

人通っていいの? いやダメって書いてあるし。でもゲート開いてるし。引き返すわけにいかないし(時間がない)。

ゲート手前に

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2018年10月福島、浪江駅前<終>

2018年10月福島、浪江駅前<終>

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丸腰で帰還困難区域を歩くことは全く想定しておらず、体力的な疲れと同時に心にもドッと疲れが出て、丈六公園は満足に見ることが出来なかった。時間には余裕があったが、早く浪江駅まで戻りたいと思っていた。

丈六公園を出ると、すぐ傍に一風変わった美術館跡があった。

(「天○美術館」と書かれているが、読めない。思い切って入ってみる)

(「解体家屋」)

(奥は完全に廃墟と化していた)

この道

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