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愛について考える(前編)


めちゃくちゃ壮大なタイトルになってしまった笑

最近ことあるごとに”愛”について考える機会に遭遇しています。

これは俗にいうカラーバス効果だな

そして、いま自分の中で何かが引っ掛かってるんだな

となりまして、

燻る前に言語化しておこう思い、このnoteに吐き出すことにしました。
(って書き始めてから結構な燻りだったことに気づく笑)

普段の記事と違ってかなり暗めで鬱々した内容も出てくるので

そういう話が苦手な方はここで読み終えることをおすすめします。



では早速ですが今回行き着いた結論です。



あ、そっか。

私って無条件に愛されたいんだ。




はい。
早速ちょっとメンヘラ。


普段、愛だの、恋バナだの、愛おしいだの等々、たいそうなことを言ってますが、

結局、私が満たされたいんだけじゃんってこと。

もちろん何かをGIVEしたい、寄り添いたい気持ちも嘘じゃないけど、

その前に自分の「愛されたい」という本心を無い物にしていたなと。

傷つきたくない
嫌われたくない

の感情が強いが故に、人と面と向かって向き合ってこなかった結果、
(いや、人と”も”か)

自分の方を見てほしい
もっと自分に注目してほしい
好きになってほしい

という欲求にも蓋をして無かったことにして、
気づいたらめちゃくちゃ燻ったドロドロした感情が出来上がってました。

ここを満たせてない(認めれてない)からこそ

自分の弱さを受け止められる人
自分の弱さを見せれる人

に対して憧れを拗らせた嫉妬心が湧いてくるんだなって。

なるほど。
気分が落ち込んだ時に出てくる感情ってこれだったのかと。
妙に納得した感じがありました。

たぶん以前の私ならすぐにポジティブに切り替えて
悪く言えば考えない、見ないを選択をして
前を向いて新しい一歩を踏み出していたと思う。

だけどそうやって自分の中のネガティブな感情を認めなかった結果、
今も焦燥感というか満たされない感覚が顔を見せる。


と、するならば、今後も同じことを繰り返す可能性あるよね。


だからこの際ぜんぶ出し切っちゃおうと思った次第です。

普段ネガティブな言葉を使う、口にだすことにはすごく抵抗があるけど、

私にもこういう面があるんだな
この時ってこう感じてたんだな

って俯瞰して見れるようになったのは成長ではないでしょうか。


では自分語りパートに入ります。



”良い子”が出来上がるまで


超田舎のひいおじいちゃん、ひいおばあちゃんもいる8人家族の家庭に誕生。
ちょっと大きめな農家の本家ということもあり、年末年始やお盆にはあちらこちらから親戚が20人〜30人くらい集まっちゃうような賑やかな環境で育ちました。

兄弟は3人で私が第一子の長女。
その下に弟と妹。

第一子ということもあり、結構可愛がられた方なんじゃないかなって思います。
ただし”良い子の私”に限ってなんですけど。

育った環境は多様性や個性なんてものとは無縁で、完全な村社会。

【みんなと同じことが正義】
【男は男らしく、女は女らしく】
【長男、長女とはこうあるべき】

みたいなガチガチの価値観があり、厄介なのはそれが暗黙のルールというか
共通認識であったこと。

そして男尊女卑の考えも根強く、男はOKだけど、女はNGみたいな場面もたくさんありました。

特に祖母はその価値観がすごく強くて、私はダメだけど、弟はOKみたいなことも多かったように思います。

•あぐらをかいては怒られ(女の子が足を開くのははしたない)
•口笛を吹いては怒られ(はしたない←謎)
•女の子なんだからお手伝いしなさい(男性をサポートするのが女の幸せ理論)

あと”お姉ちゃんなんだから”もよく言われていた言葉の1つ。

・お姉ちゃんなんだから我慢しなさい。
・ほらお姉ちゃんがよくないことしたから、弟と妹が真似した。
(悪いことが起きると全て姉である私の責任。これはいまだに理解できない。)
・お姉ちゃんが良い見本にならないと。

もちろん、
「いやいや!納得できねーよ!」
「好きで第一子、女の子で生まれてきたわけじゃないわ!」と
子供ながらに反発していたこともあるけど、

言うことを聞かないと叩かれるのは当たり前、
真っ暗の小屋に閉じ込められるのも当たり前、
近くに街灯もない真っ暗闇の夜にパジャマのまま締め出されるのも当たり前…

無力な子供は従うしかないよね。

しかも私はよくも悪くも切り替えるのが得意だったので


「そっか、これはよくて、これは悪いことなんだ」
「家族を困らせるのは悪い子で嫌われちゃうんだ」
「怒られたくないし言われた通りにやっとこ」
「お姉ちゃんだからちゃんとしなくっちゃ」

となったのですね…。

「抱っこしてほしい」
「ぎゅーしてほしい」
「一緒に寝たい」

と言う願いも

「お姉ちゃんなのに恥ずかしい」
「もう赤ちゃんじゃないんだから」

と無下にされていた訳です。
そしてどんどん意見を言うことも、甘えることも諦めるようになります。

この頃の自分を思い出すと今でも胸がきゅーっと苦しくなります。
本当によく耐えて頑張ったなぁ。


あと話が少し逸れちゃうけど、記憶に残っているのが食卓に魚が出る時。
私と妹にはそのまま焼き魚、煮魚が出てくるんだけど
弟には全て骨をとって柔らかくほぐした身の状態で出てきてました。
もちろん、毎回。(祖母は弟に甘々だったので全部やってあげていた)

まあ結果そのせいで弟は魚が嫌いになりなりましたとさ。
彼曰く骨が刺さるのが嫌らしい。
自分で取れよって思うけど笑

そんな環境もあり幼いながら

「お姉ちゃんはちゃんとしていないといけない」
「良い子じゃないと褒めてもらえない(受け入れてもらえない)」
「子供は口答えしては行けない」

という価値観が無意識レベルまで埋め込まれてしまったようです。

親戚を含め大人数で育ったおかげか人見知りとは無縁だったので、
家族以外の人に可愛がられたことは救いだったかもしれない。

でも一番近くの家族に”ありのままの自分”を受け入れてもらえなかった経験は、呪いとなってこの後の人生にも大きな影響を残すんだなーと。

”良い子”の私には価値があるの完成です。


”良い子”のメッキが剥がれたとき


保育園〜小学生頃までは上記の通り、自分で言うのもなんですが野生児ではあったものの物分かりがいい、手がかからない良い子だったと思います。

心境の変化があったのは中学生になってから。

小さい頃から、人が好ましく思うであろう感情表現や意思表示しかしてこなかった私も思春期になりました。

やっぱり自我が芽生えてくる訳です。

あれがしたい、これがしたい

そうすると家族の理想とした”良い子”から少しづつ離れ

言うことを聞かない子=悪い子

家族のあたりは日々強くなっていきます。


そして時を同じくして運悪く女の子グループの中で孤立することになります。

きっかけは覚えていないくらい些細なことで、
今となっては、あぁ…思春期女子のそれね…となるのですが、
その時の私からしたら

みんなが褒めてくれるいい子のはずなのに嫌われた

家族にも、友達にも受け止めてもらえない

=私には価値がない、味方がいない

と自動変換され、その瞬間何かがぷつりと切れ

学校に行けなくなってしまいました。


更には家族とも顔を合わすことが怖くなり(顔を合わせると罵倒される)
ひどい時には押し入れの中で息を潜めて生活していました。

世間体が一番の家庭で不登校なんて許されるはずがありません。

祖母と父に毎日押し入れから引きづりだされ、叩かれ、罵倒され、
あぁ、早く時間が過ぎてくれないかな…とそんなことばかり考えていました。

そんな私を見て母は流石に娘が心配になったようで、
臨床心理士さんのところへ相談にいき、それからは私の唯一の味方になってくれました。

学校に行きたくないなら行かなくていいよ。


この言葉を母にかけてもらった時、どれだけ心が救われたかわかりません。

少し大げさかもしれないけど、生まれて初めてありのままの私を受け止めてもらえたように感じました。



家族の”ガン”になった私


それからは母が盾になってくれて、毎日父と祖母から守ってくれるようになりました。

ただ、だからと言って罵倒や暴力がなくなるわけではなく
母と私 対   祖母と父 の構図でどんどん溝が深くなっていきました。

そんな状況なので私のメンタルも安定せず、毎日ただただ時間が過ぎることを願い、朝焼けを見ては「また1日が始まるんだ…」と絶望する毎日。

「学校に行けないなんて、普通じゃない。頭がおかしいからよ」
「精神科で診てもらいなさい」

そう言われて精神科を受診することもありました。
(田舎なのでメンタルクリニックや心療内科が無かった)

でも診断結果は問題なし。病気じゃありませんとのこと。

どう言う流れでそうなったのか忘れちゃったけど、
「苦しいのでなんでもいいので薬を出してください」と号泣しながら言った記憶はある。(今の時代なら何かしら病名はついている気がする)

私病気じゃないんだ。よかった。と安堵する一方、
病気じゃないならなんでこんなに苦しいんだろう…とさらに絶望しました。

そして弟、妹も不登校になり(少なからず家庭環境の影響はありそう)
家の中にはさらに不穏な空気が漂うように…。

そんなある日、祖母にとどめを刺されました。


ねぇ、お父さんとお母さん離婚するって。
あなたが頭おかしくなったから離婚するんだよ。
あなたが”いい子”だったら離婚しなかったのに。
あなたが学校行かないから弟も妹も学校に行かなくなったんだよ。
全部あなたのせいよ。自分がしたことわかってる?

あ、私がいい子じゃないから、
上手く友達と馴染めなかったから、
学校に行けなくなったから離婚ちゃうんだ。

その時も「そんなことない!私は関係ない!」と突っぱねる強さはなく
というか反論の言葉も浮かんでこなくて

ただただその言葉を受け止めました。


みんなが私を嫌ってる
みんな私を邪魔者だと思ってる
みんな私にいなくなってほしいと思っている…と本気でそう思い

その日からは「どうやったら楽に消えることができるか」ばかりを考えていました。

実際、首を紐で括って柱に引っ掛けたらどうなるか試すこともあり
今思えばかなりギリギリの精神状態だったと思います。

そんな日が続いた数日後の朝、
その日もいつものように押し入れから引きづりだされました。
いつものように早くこの時間が終わらないかなーとぼやっとした頭で考えていると
いつもだったら飛んでくる拳や、罵倒の言葉がありません。

そっと薄目を開けると、じっと私を見下ろす父親の視線。
全く感情が分からず、何も言葉を発さず、ただただ向けられる視線に底しれぬ恐怖を感じました。

永遠にも感じる時間が過ぎ(実際は10分も経ってない気がするけど)
父が出て行くとすぐに母に泣きつき


「今日こそ父親に殺される。お願いだからこの家にはもう住みたくない」と言って母の実家に避難することになりました。

今考えると父親が凶器を持っているわけでも、死ぬほど殴られたわけでもないのにそう思うってことは限界に達していたんでしょうね。


療養生活→自立へ


療養って言ってもただただ寝て、起きて、寝てをエンドレスリピート。
否定されない生活の心地よさを知りました。

心のエネルギーが少しづつチャージされて
そして少しづつ、少しづつ家族以外の人たちとも交流できるようになるまでに回復。

母は父と離婚したので安心できる環境にはなったものの、
そんな感じの方達なので養育費もなく、次は金銭的な困窮にぶち当たります。

母に家計簿を見せられ
「我が家にはお金がありません。」
「学費は頑張るけどお小遣いは渡せないよ。」と。

また中学校も結局半分くらいしか行っていなかったので出席日数も足りず、
進学するにしても私立しかない状況。

それから自分なりに色々考え通信制の高校への進学しました。

中学校の卒業式の次の日に近所のお弁当屋さんに面接に行き
翌月の4月からアルバイトをスタート。

そんな環境でのびのびの生活できるようになったものの
次はお金の心配もない上に学生生活を謳歌する同級生に嫉妬ばかりしていました。

アルバイトしなくてもお小遣いもらえていいな…
羨ましいな…

でもこの時は自分が感じている嫉妬心にも気づいていなかった気がする。
(たぶん感情迷子になっていた)

頑張ってる自分の方がすごいんだ!えらいんだ!!
となけなしの自尊心を自分で鼓舞しアルバイトとレポート作成に努める毎日。

自分でお金を稼ぎ自信が付く一方、
自分の本心に気付けず無視し続けた結果、自己顕示欲モンスターになっていきます。



後編へ続く


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