飯島六四五

掌編を書きます。作品はすべてフィクションです。

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【第二話】魔女はかく語りき

Ⅲ 暗い。視界に映る全ての明度が暗く、色を失っているようだった。 心の縁には、ただ虚無が広がっていた。 ただ無感情だった。 いまは、なにも恐ろしくもなく、身体中の痛みすら感じなくなっていた。 頭の中を生暖かいベールが覆っているように、何もはっきり考えることができなくなっていた。 気がつけば、学校の屋上にやって来ていた。 ここは、かつて眺めの良い場所だった。心地よい風が吹いて、遠くで鳥が鳴いていた。 群青の空には大きな入道雲があった。 いまもそれは変わらない。 しかし、いまや

    • 【第一話】魔女はかく語りき

      魔法の存在を識ったのは、丁度十歳を迎えた位の頃だったろうか。 夏休みの暮れに、田舎の祖母の屋敷に訪れた時だった。 まじないの類いを嫌う両親が、麓に買い出しに出掛けている間に、祖母が或"儀式"を私に見せてくれたのだ。 儀式と謂っても、血塗れのおどろおどろしいものや、大掛かりなものではない。 それは大体こんな風な儀式だった――――――。 ――――――まず、祖母は納屋から腰ほどの長さの注連縄を取り出して来た。 縄は何かに浸けられていたのか、手に取ると湿っぽく質量を増してずっしりとし

      • 転がる先に

        待てど雪は降らぬ。バスは来ぬ。 あげく冷えた風吹き、野山に蛙鳴き、夜の忍ぶ足がカラスの嘆息する間に間に迫り来る。 塗炭小屋の小さな侘しき影は山の大影の内に呑み込まれ、バス停はいまや古き時代の形見となった。 足元で蟻が列をなしている。 懸命に蟋蟀を、女王への供物を運んでいる。我もまた夜待たず、巣に歩いて帰ろか、バス待たじ、雪待たじ。 しばし呆けていると、喚いていた蛙のうち一疋が、忠告するのを聞く。 「雨が降るぞぉ」 おおそうだ、雨が降るのだ。雪でなく。 あっという間に、

        • 孤独

          ぼくの孤独の魔法を解いてくれおくれよ 夜の森の静けさを知らない君は、いつも物憂い溜め息で屋敷の窓を曇らしている きみのその安楽な人生の、一ったいどこに憂鬱の種が蒔かれたといふのだらう 月明かりに照らされて蒼白い肌の華奢な両腕を絹のワンピースの袖から伸ばして、暖かな胸の前で花の根のように腕を組んで項垂れるきみ 羽を開いた蝶のごとく長い睫毛をぱちぱちとさせて、けれどもひたすらに物憂げに、少女は飽きもせず、ため息などついて、いつまでも月を眺めている 優しく柔らかな唇は微か

        【第二話】魔女はかく語りき

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        • 魔女はかく語りき
          1本

        記事

          塵まみれの花

          いつか雪の降る頃、誰かに花束を貰ったことがある。 夕焼けのように真っ赤な花束は、夕陽の束を手にしているようにあたたかだった。 花を包む薄緑のビニールが、抱いた胸の前できしきし音を立てたのを覚えている。 すこし青っぽい、甘い良い匂いをしめやかに漂わせて、花弁は湿った空に向かって両手をいっぱいに拡げていた。 私は貰った花束を水を溜めたジュースのビンに入れ、部屋のよく陽のあたる場所に置いた。 ビンは日を浴びると水と一緒になってキラキラ輝いた。 乱反射した光が花にあたると

          塵まみれの花

          太陽

          「フレデリック!」 屋上の縁から飛び降りようとする少年に向かって僕は力一杯叫んだ。 「僕は君を、君だけを愛していたんだ! 他の何よりも、誰よりも! そうさ、僕の世界が輝いていたのは、フレデリック、君が隣に居たからだ。君が隣で太陽となって僕のすべてを照らしていたんだよ」 枯れた喉を引き絞って僕は叫んだ。 頬が冷たかった。風に吹かれた涙が頬を伝って落ちた。尽きることのない涙をしきりに袖で拭った。彼に泣いている無様を見せたくなかった。 フレデリックは僕の叫びに驚いて振り返った。夕映

          唖焦がれ

          里を離れた森深く、陰りなきその澄明な湖の暗い水底には、私がかつて愛した女が静かに目蓋を閉じて眠っている。 久方ぶりに訪れてみれば、水面に露を頂いた芙蓉が一重咲いていた。 いつまでも、やはらかに輝く水のうえで揺蕩うお前を、私はどうしてもこの手にしてみたくなった。 比翼をもがれた悲しみは日々強まり、泪を川へと変えた。 川は昼となく夜となく、連なる孤独の山の影法師のあいだを縫うて、滾滾と流れていた。 お前に会いたくて堪らなかった。 泥の上を駆けてその名を呼び、水草をかき

          詩の死ぬ夜

          とほい家のどこかで ぴすとるが撃たれた 銃声は寥亮とし 哀しみより疾く 我がもとを遠ざかり 蒼白き月のした つめたき湖畔に明媚な紋を描く 偲ぶ鈴虫痛哭のこえ響き 雨つぶ葉叢を打ちて大地をながれ 山影に螢のほのお浮かびて 眩き往昔の揺曳を結ぶ 朋の去りゆく季節の愁嘆を ささやく風のはだになぞりつ 我ぴすとるを抜く 銃身いみじく月明にきらめき 銃口夜闇を飲み込み硬くなり 火薬がこめかみを伝つて濃く香り 魔法のやうな静寂が遣つてくる 残すべき言葉さへなく みずうみの紋も 鈴虫

          詩の死ぬ夜

          戦中幻夜

          二階の窓辺にしんとつめたき街の靄を眺め、我はひとり、椿事を待った。 夜の寒さに悴ける手を揉み、素足に板張りの床の冷たさを感じ身震いして、すきま風の音をかすかに聞き、鼻を啜りつ、その瞬間を今か今かとそれを待つておると、やがて我が家の一階の瓦屋根のうへに雪がひらと音もなく落ちてきた。 おやと観察してみると、それは恰も雪のやうに眞白な色の一片の羽根だつた。 しかし耳を澄ませど鳥の啼く声なく、窓の前に屈んで夜空を仰ぎ見てその姿を探せど、そこには漆黒が月明かりにわずかに溶かされて、墨

          蜘蛛

          女郎蜘蛛が居た。 下宿先の古アパートの階段の踊り場に、粗末なトタン屋根を支える錆びた鉄柱とペンキのひび割れた壁との間に、一本糸をぴんと張り、"彼女"はそこにぶらさがっていた。美しくも毒々しい、黄色と黒との縞模様でしつらえた扇情的な衣装に身を包んだ彼女は、ゆらゆらと、危なげにも優雅にも思える足取りで糸のうえを綱渡りしていた。宙を渡る彼女の後景には、雑多な街並みと夕空が張り付いていた。夕空には雲が浮かび、街には甲虫の群れのように色とりどりの車たちが行き交っていた。それを眺めて、私

          「」のエッセイ

           ―――春雨の降るころ、街はずれにあるカフェの不味い珈琲の湯気を虚ろに眺めていた僕は、ふと自伝的小説を書こうと思い立った。   しかしいかんせん初めてのことなので、これからいったい何を書くべきか、いまなお全く思い浮かばないでいる。 閃きを期待して、煙たさに隣人が抗議の声をあげるぐらいもうもうと狼煙のように煙草をふかしてみたり、ある時などは原稿の前であれこれ思案し唸り、紙に何かを書き付けては屑箱に投げ入れてみたり、またある時は映画を見たり小説を読んだりして、そこにある表現

          「」のエッセイ

          記憶屋

          それはたしか、或る暮れ方のことでした。 日本と呼ばれる国のどこかに、青い少年期の夢、人々の人生の栄華、数多の希望の骸を礎に、機械と合理の錆び色に塗りつぶされた街がありました。 街に住む人々は足元の骸はおろか、街の異質な雰囲気に気にとめる者はおりません。 と申しますのも、この時分そのような街はありふれていたのです。 市井の誰もが今日という一日があることを、さも当然といった様子で、漫然と泰然自若として過ごしていたのでした。 さて、そのとき街はちょうど街の様子を裏返したよ

          囚人の夢

          晴れて刑務所の外へ出た囚人は思いました。 窓の外の自由を夢みて送る、牢獄の不自由な暮らしが、いくぶん自由なものであったことを。 牢には選択がありません。 選択がなければ人生はありません。 人生がなければ苦しみはありません。 牢の外には何でもありました。 人生と呼ばれているものがありました。 しかし、希望はありませんでした。 自由を夢見ることが囚人の希望となり、生き甲斐なのでした。 外の世界には夢も希望もありません。 ただ生きるためだけに、無味乾燥なマネー

          無間省察

          研究者として働く私のもとに大学時代の先輩から「見せたいものがある」と彼の研究所の住所が書かれたメールが届いた。 界隈で最先端を往く先輩の研究に興味があった私は、すぐに研究所へ向かった。 「よく来てくれたね」 先輩は頬がこけ血走った目で私を出迎えた。 きっと何日も家に帰っていないのだろう、白衣の襟は垢で黄色く汚れ、身体から小便の臭いがした。 「どうしたんですか。マトモではない様子ですよ」 私がそう言うと、先輩は不敵に笑い、「まあ、これを見たら全てわかるよ」と奥から顕

          透明の死

          己の思考と記憶をAlにまるごとインプットさせて、メールをはじめとするネット上でのやり取りの一切をそいつに任せてしまおう。 そして私は人目のつかぬ所で、独り入水して死んでしまうのだ。 しかし、社会のみならず私の家族でさえ、誰も私が死んだことには気がつかぬだろう。 いまや、人間の実体は肉体ではなく情報にあるのだから。 ・・・・・ そう思い立ったのが数日前だった。 そして現在この文章を書いている私は、AIの私である。 しかし、AIだからといって紛い物という訳ではな

          裏島太郎

          むかしあるところに浦島太郎という男がありました。 浦島太郎は海岸で休む亀をかわいた棒で叩いたり、炙った釣り針を爪の間に刺したりして、よく虐めておりました。 あるひ、海のそこに竜宮城というたいそうみやびなお城があること、そしてこの世でもっとも美しいお姫様がその城に御座すのだという噂をどこからか聞きつけた浦島太郎は、お城へ案内するよう亀を苛烈に虐めて脅迫しました。 亀はしぶしぶ彼を背に乗せて海のそこへ連れて行きました。 城の門で二人を出迎えた容の美しく雰囲気の柔和な唐墨髪