唖焦がれ

里を離れた森深く、陰りなきその澄明な湖の暗い水底には、私がかつて愛した女が静かに目蓋を閉じて眠っている。

久方ぶりに訪れてみれば、水面に露を頂いた芙蓉が一重咲いていた。

いつまでも、やはらかに輝く水のうえで揺蕩うお前を、私はどうしてもこの手にしてみたくなった。

比翼をもがれた悲しみは日々強まり、泪を川へと変えた。

川は昼となく夜となく、連なる孤独の山の影法師のあいだを縫うて、滾滾と流れていた。

お前に会いたくて堪らなかった。

泥の上を駆けてその名を呼び、水草をかき分けて身体を湖に浸け、芙蓉のもとまで必死に泳いで行った。

小さく愛しい花弁を撫で、水中の根に指をからませたその刹那だった。

一匹の青条鳳蝶が葉羣の間から音もなく現れて、濡れた指の背に留まったのだ。

青と黒の羽を広げた青条鳳蝶は手のひらの芙蓉を手放すと、すぐに森の奥へ向かってひらひらと幻のように舞い去った。

私は生まれ変わりの存在を、輪廻転生を強く信じた。

冷たい水面の上に体を浮かせ、逆しまの空を眺めてみた。 

海のように広がる空が反物の如き紫へと変わるまで、私はしばらく湖の冷たさを感じていた。

やがて私はこの身体の芯から、もう二度と逢えぬという真実をようやく理解した。

「おまえの魂は、花となり、蝶となり、空となって、これまでもずっとそこに。これからも、ずっとここに、あったのだな」

水は張りつめた力をほぐし、湖に吹く風は泪を乾かした。

この湖にはもう誰も沈んで居なかった。

私と自然が、ただ共に生き続けているだけだった。


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