塵まみれの花
いつか雪の降る頃、誰かに花束を貰ったことがある。
夕焼けのように真っ赤な花束は、夕陽の束を手にしているようにあたたかだった。
花を包む薄緑のビニールが、抱いた胸の前できしきし音を立てたのを覚えている。
すこし青っぽい、甘い良い匂いをしめやかに漂わせて、花弁は湿った空に向かって両手をいっぱいに拡げていた。
私は貰った花束を水を溜めたジュースのビンに入れ、部屋のよく陽のあたる場所に置いた。
ビンは日を浴びると水と一緒になってキラキラ輝いた。
乱反射した光が花にあたると、模様のようになって、美しかった。
花は何日経っても何週間、何ヵ月経っても赤々と燃え、緑美しく、枯れることはなかった。
いま思えば、ちょっと高級な、工場製の造花だったのだろうと、そう思う。
しかし花束を抱いた時のあたたかさは、雪の降る街の角で、別れ際に貰った花束の、あの苦しいくらいに赤く芳しい花の鮮烈な記憶は、偽物を本物以上に見せ、まぼろしを現実と思わせる魔力があった。
雪の降る寒い日、ふとあの花束のことを思い出した私は、仕事終わりに世田谷くんだりにある実家を尋ねたのである。
娘の唐突な帰省に面食らった両親を居間に残して、自室に続く階段を駆け上がった。
自室は家を飛び出して出ていったあの頃と何も変わらなかった。
あたかも十代の頃の自分と再開したような感じである。
それは少し恥ずかしいような、切なく懐かしい感覚だった。
壁にかけたボードには、かつての親友たちと無邪気に笑って写る私の写真が張ってあった。
私もああいう風に笑えていた時期があったのかと思った。
誰にも憚ることなく、ありのままの心を晒すことが許される時代が、私にもあったのだと。
いったい私はいまどこに向かって行こうとしているのか、わからなくなってくるようだった。
私はいまなんのために生きているのだろう。
生きるためにたくさんのものを犠牲にしてきた。
でも私が生きることに見いだした意味は、きっとこの先には待っていないだろう。
窓辺の薄いカーテンをバイクの光が掠めた。
斜めにはしる青白い光線が部屋の中を足早にかけていった。
いつかのビンはまだそこにあった。
あの日と変わらない美しさで、花は透明なビンの輝きの上に凛と真っ赤に咲いていた。
花のそばに近づいてみると、ほのかに良い匂いがした。
何年経とうとも、埃に汚れようとも、枯れることのない花は、その時、私の宝物のありかを示してくれた。
『君が自分の価値に気がついた時、僕はまた君の前にやってくる。その時までの道標に、この花束を君に授けよう。大丈夫、君は独りなんかじゃない。どうかそれだけは、忘れないでくれ』
どうして忘れていたのだろう。
彼は私の家でずっと待っていたのだ。
私は生きる意味を、宝物をもうこの手にしていたのだ。
「久しぶり。また会ったね」
花は私の言葉を静かに聞いた。
褪せることのない鮮やかな色彩を放ち、花は冷たい部屋の奥で、静かに咲いていた。
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