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囚人の夢


晴れて刑務所の外へ出た囚人は思いました。

窓の外の自由を夢みて送る、牢獄の不自由な暮らしが、いくぶん自由なものであったことを。

牢には選択がありません。

選択がなければ人生はありません。

人生がなければ苦しみはありません。 

牢の外には何でもありました。

人生と呼ばれているものがありました。

しかし、希望はありませんでした。

自由を夢見ることが囚人の希望となり、生き甲斐なのでした。

外の世界には夢も希望もありません。

ただ生きるためだけに、無味乾燥なマネーゲームを死ぬまで続けなければならないのです。

たしかに頑張ってお金を稼げば家も車も宝石も、結婚相手すら手に入れられるでしょう。

しかし、それらを手にしても幸福なのは手にした瞬間だけなのです。

物質や価値は、いつか全て塵になります。

人間を突き動かし、人生に意味を与えるのは、そんな物質的欲求ではなく、ただ観念的欲求なのです。

囚人が抱いていた欲求は滅私無我になることでした。

何も選ばず、何も語らず、ただ誰かの言うがままに行動を遂行し、存在意義を許してもらえることこそ幸福だったのです。

囚人は万物の父や王様のような偉大な存在を求めていました。

そんな人がもしいたとしたら、死の命令ですら喜んで従うだろうと囚人は思っていました。

刑務所の中で彼は汚い言葉を吐き、ふてぶてしい態度こそとっていましたが、内心は獄卒たちをどこか父のように感じていました。

懲罰の鞭叩きで苛められたあと、獄卒はよく「骨ばかりの背中だ」と嘲笑い、囚人の血だらけの背中に冷たい指で荒々しく薬を塗ってくれました。

囚人は「ここの飯があんまりにも旨いもんでね」と憎まれ口を叩き、そんな獄卒と笑いあっていました。

囚人は支配されることと引き換えに得る生存義務からの解放と、己を支配する父的存在によって、擬似的にモラトリアムの少年期を再現し、そこで過去喪われた何かを補完しようとしていたのかもしれません。

さて自由になった囚人は社会の中では大人に戻らなくてはなりません。

しかし、囚人はまたしても人を殺めてしまいました。

その人が憎かったからではありません。

その人のお金が欲しかったからではありません。

その人を犯したかったからでもありません。

ただ不自由になりたかったのです。

あの獄卒にまた支配して貰いたかったのです。

けれども裁判が終わり、囚人は死刑が決まってしまいました。

囚人は「こんなの間違っている!俺は無実だ! 死刑なんてふざけてる!」と声をあらげて、裁判官に唾を吐きました。

たしかに死刑は予想外でしたが、しかし囚人は実際はそれほど理不尽にも感じませんでした。

人を殺すことが重い罪であることは当然承知していたからです。

囚人はむしろ、死の強制という待ち望んでいた、いわば支配の究極形を与えられた棚からぼた餅に喜びました。




数ヶ月経ったある朝、独房の扉が開きました。

ついに今日、死刑が執行されるのです。

不思議なもので、死刑が決まってからのこの数ヶ月、囚人は初めて人生の素晴らしさや幸福がなんたるかを知りました。

何でもない日常が、ただ呼吸をして生きているということが、死の前提によって、かけがえのない尊いものに感じられたのです。

囚人がこれまで人生の諸事物にやるせなさや徒労を感じていたのは、己の生命の期限について無頓着で、保証もないのにきっと明日も今日と同じ日が来ると鷹をくくっていたからだったのです。

死が遠ざけられた現代生活の生の倦怠のうちに、生から能動的な力が失われていたのです。

人生は固い石ではなく、夜空にあがってすぐに消えてしまう花火である、という当然の摂理を囚人は思い出しました。


「最後になにか言い残すことは?」

件の獄卒が無表情のまま囚人に尋ねました。

「ああ、素晴らしい人生!」

囚人は芝居がかった調子で手錠のついた諸手を上げて快哉を叫びました。

「お集まりのみなさん。これが最後の晴れ舞台。散りゆくワシの花道を、しかと目に焼き付けておくんなせぇ!」

言い終わらぬ内に囚人の顔に黒い麻袋が被せられました。

囚人が暗闇の中を進み始めた時、

「俺は分かっているぞ」

背後の獄卒がぽつりと云いました。

囚人はどこからか柔らかで温かな力を注がれ、羊水で身体の内を満たされているような感覚になって、恍惚としていました。

白い壁に鉄の床、並ぶ刑務官の制帽、まぶしいほどの蛍光灯の逆光の中、囚人は階段を登り始めました。

身体の重さをこれまでのすべての証として刻印するように、一段、また一段と踏みしめて、囚人は穏やかに絞首台へと登ってゆきました。




高窓から一条の光線が射し込んで、さびしい伽藍堂の独房の冷たい床を滑ってゆきました。

煤でくすんだ窓の先には美しい青空と春の風にゆれる一樹の葉桜がありました。

すると、枝の先にどこからか二羽の鳩がやってきました。

番の鳩は誰もいない独房の窓を覗いて、頚をかしげて鳴き合いました。

それは日が燦々と照っている、晩春のある正午のことでした。

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