音楽は言葉を超える part2 アーチ・ウィリアムス ーなぜ歌に感動し、なぜ歌に支えられるのかを教えてくれる人ー
【AGT・2020 シーズン15】
アメリカにAmerica’s Got Talent(アメリカズ・ゴット・タレント)という公開オーディション番組がある。
同番組の公式You Tube チャンネルでは、たくさんのオーディションシーンが公開されている。
それらを見ると才能あふれるパフォーマーたちの存在に驚く。
2020年現在、シーズン15での優勝を目指して多くの人が戦っている。
その挑戦者の中に衝撃を受けた歌手がいた。
グレーのスーツ、エンジのネクタイとポケットチーフの中年男性がステージの中央に向かって歩いてきた。穏やかで静かな雰囲気をたたえている。審査員との軽いやりとりのあと自己紹介を求められた。
話し出すまでにほんの一瞬の間があり少し話しにくそうだった。
語られた内容に耳を疑った。
【アーチ・ウィリアムス/58歳の歌手】
彼は静かに話し出した。
「私は37年間も獄中にいた。他人の罪を着せられて」
「1日が1週間になり、1週間が1ヶ月に、1ヶ月が1年に、1年が37年となった」
「DNA鑑定で自由の身になれた」
「獄中でこの番組を見て、いつもあのステージで歌っている自分を想像していた」
調べてみると、彼は、1982年12月9日22歳の時に逮捕され、その後刑務所に収監された。
収監中たびたび冤罪を訴えていたが受け入れられなかった。
やがてDNAと指紋のデータにアクセスできる時代が彼に自由を取り戻させた。
冤罪が晴れ2019年3月22日に出所する時には58歳であった。
彼の話は全てが衝撃的で、「哀しい」とか「信じられない」などという使い慣れた言葉では言い表せないその内容に、会場の人々からは何とも言いようのないため息が漏れてきた。
目の前にいるこの男性がそのような過酷な運命を背負ってこれまで生きてきたのかと考えるだけで、気が遠くなる話だった。
【魂のこもった歌唱】
自己紹介の後、審査員の声援を受けて彼は歌い出した。
イギリスのミュージシャン、エルトン・ジョンの「Don’t Let The Sun Go Down On Me」(どうか太陽を沈ませないで)。
原曲を半分ぐらいに短くアレンジして。
「これ以上君の闇を照らすことはできない
すべての出来事が色あせていきそうだ
疲れ果て、そして時間は目の前で立ち止まっている
ここまで生きてきたのに凍りついてしまった」
「どうか僕の太陽を沈ませないで
自分自身をいつも必死に探すけれど見えるのはいつだって自分以外の人
生きる自由を認めなくてはいけないことはわかる
全てを失うことは、僕の太陽が沈むことと同じさ」
この曲は、1974年発売のエルトン・ジョンのアルバム収録曲で、同年シングルリリースされ全米チャート2位を記録した。
40年以上前にヒットした曲である。
エルトン・ジョンは、彼女が去ってしまう悲しみを”どうか私の太陽を沈ませないで…”と複雑な思いを込めながら伸びやかに力強く歌っている。
この曲をアーチ・ウィリアムスが歌うとき、全く違う世界が見えてきた。
同じ単語、同じメロディーであるのに。
I’d just allow a fragment of your life to wander free.
(生きる自由を認めなくてはいけないことはわかる)
このフレーズの「free」という言葉にさしかかるとき歌手アーチ・ウィリアムス の声が微かに震え、瞳が光っているように見える。
その光から、言葉を超えた言葉にできない様々な感情が聞いているこちらに届いたように感じた。
誰よりも「自由」を望みながら叶えられなかった37年間が彼の頭の中で蘇っているのだろうか。
無実を訴え続けながら自由を奪われ、刑務所で過ごした彼を支えてきたものは何だったのか。
想像することはできない。
もしかしたら、家族、支援者、友人、ボクシング、音楽、信念…。
Don’t let the sun go down on me.
(どうか僕の太陽を沈ませないでくれ)
何度も繰り返されるこのフレーズには彼の切なく悔しい思いがこもっている気がする。
「太陽」という単語は彼にとって何を意味するのだろう。
やはり想像することはできない。
もしかしたら、希望、夢、普通の生活、父母、人生そのもの…。
【歌が届けてくれたもの】
アーチ・ウィリアムスが歌い終わると、会場の人々はスタンディングオベーションで惜しみない拍手を送っていた。
映し出された多くの人の表情は歌に感動し彼を称えるものだった。
4人の審査員が一人ずつぞれぞれの感想を述べていく。
一人の審査員が
「37年間あなたはあなたを壊さなかった」
と言った。
もう一人の審査員は
「今ここでしか聴けない一度きりの特別な歌だった。あなたの声はいい声だった。決して忘れない。」
いつかきっとこのステージで歌うと心に決めていたアーチ・ウィリアムスは
「私の体は刑務所の中にあったが、私は心までは囚われてはいなかった」と言う。
この人は、歌うことで光の見えない時間を乗り越え、皆の前で歌うことを希望として、暗闇の中で生き抜いてきたのだ。
その歌を聞いて感動し、涙する人がこんなにもたくさんいる。
人の歌を聞いて感動すること、歌うことが心の支えになること、どちらもある。
歌には不思議な力がある。
アーチ・ウィリアムが歌う「Don’t Let The Sun Go Down On Me」は、彼にしか歌えない。
想像もできない37年という年月をいつまでも嘆いているわけにはいかないだろう。
彼は、あらゆる苦難の中にいる人を少しでも慰め励ます力を持つ歌手であると思う。
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