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「あかりの燈るハロー」第二十三話

あたしがやりました。
(2)

 先生のお説教が延々と続く。古賀くんも大和もまるで上の空。ぼーっと天井をながめては、「おい! お前ら聞いているのか⁉」なんて、先生の喝が飛んでくる。
 かなえは先生が口を開くたびに食ってかかり、正当性を主張するものだから、安西先生のお説教は蛇行運転する車みたいに、ぐねぐねと話がそれてばかりだった。頭の回転が早いかなえに口げんかで勝てる子なんていない。かなえの猛口撃に、安西先生はたじたじ。だから先生の怒りに反して、わたし緊張はゆるみっぱなしだった。
 ちらっと横を見ると、かなえのTシャツの裾を竹下さんがつまんでいる。
 闘牛の牛と戦う人のことを、マタドールと呼ぶんだってニュースでやっていた。かなえが暴れ牛なら、竹下さんは御者かな? 振り落されると大けがをする大変な仕事だ。お説教する先生に向かって、かなえが猛反撃して大きな体を揺らすたび、竹下さんも一緒に揺れる。そんな様子を見て、あたしはちょっと面白がっていた。笑いを堪えてそっと隣を見ると、友子も同じ気持ちだったみたいでちらりと見返してくる。
「里内と椎名もなにがおかしいんだ⁉」
 安西先生は落ち着かないあたしたちにまた声を荒げる。
 天井近くに設置された扇風機から、カラフルな六本のテープが仲良さげに泳いでパタパタはためいていた。それがあたしたちみたいに思えて、なぜだかとてもうれしかった。

     ♮

 たっぷりしぼられて職員室を出るともう人影もまばらだった。ひっそり静まる校舎の中を歩きながら、古賀くんがつぶやく。
「わぁ……せっかく短縮授業やったとに、結局帰りよるとこげん時間とぉ……」
「み…っみんな、あた、あたしのせい……っで、ごめんね」
「茜ちゃんはなにも気にすることないよ。あたしだって根本くんにはさんざん意地悪されてたんだし」
 大和が時計を気にするのを見て好実ちゃんのことを思い出した。昨日具合がわるいってヤマタケの店長さんがいっていたけど、もし今日保育所に行ってるなら、迎えにいかなきゃいけないはずだからだ。
 うまくいえそうになくて悩んでいると、かなえが口を開いた。
「そういえば大和くん、妹さん迎えに行くの、おそくなっちゃったけど大丈夫?」
「あ? あー、じつは好実、食中毒になっちゃってさあ、保育園休んでるんだよ」
「ええ⁉ 食中毒?」
「食中毒ったい、そりゃやばかもん?」
 いったいどうして……。
「一昨日さあ、カニクリームコロッケが出ただろ? あれ持って帰ったらあたっちゃったらしい。おれが悪いんだよなあ……」
 大和がすごく情けない顔でそういった。
「ええ⁉ 大和くん! もしかして給食、好実ちゃんに持って帰ってたの⁉」
「あれ? いってなかったっけ? あいつ、ゼリーとかうらやましがるからさぁ、母さん帰ってくるのもおそいしな。ソフトめんとかもめっちゃ好物で。まあおれの腹もぜっんぜん足んなくて、減りまくりなんだけどなっ!」
 大和の机から半分残したソフトめんが出てきたことは、根本たちの語り草になっている。でもまさかそんな事情があったなんて。
 こんな風にあたしの知らないことが、世の中にどれほどあるだろう。
「まぁ病院の先生も大したことないっていってたし、おれもちょっと反省したから給食もって帰るのはちょっと考えるわ。それより、あのビンタビンタ! おれもじつは超すっきりしたし!」
「そうよ! でもあたしだったらビンタくらいじゃ絶対すまさなかった!」
 かなえはまだ興奮しているのか、いつもより声が大きい。
「それにしたって、根本のやついい気味だったなあ! まるで豆がハト鉄砲喰らったみたいな顔だったもんな!」
 大和は遠足の帰りみたいに楽しそうだ。
「逆よ、それ……ハトが豆鉄砲」
 竹下さんが大和の間違いに的確に突っ込こむと、笑いが起こった。
「やけど、どげんして根本はああも椎ぃ名さんっこと好かんのやろうか」
 古賀くんが素朴な疑問を投げかける。理由があるならあたしだって知りたい。でも根本に限っては、きっと単純に人がいやがる顔を見るのが好きなだけだ。抵抗しない相手をわざわざ選んでからんでくる最低なやつなのよ!
「そっか! 古賀くんは転校してきたばっかりだから知らないのね」かなえがいう。
 ――どういうこと? まさか根本の恨みを買う理由があたしにあるってこと?
 不安になって次の言葉を待っていると、かなえがとんでもないことをいい出した。
「根本、茜のことが好きなのよ」
 ――えぇー⁉
 目の前が真っ白になった。それは、照りつける強い日差しのせいでも、いつまでも鳴きやまないうるさいセミのせいでもないのはたしかだった。

     ♮

 校舎を出て校門をくぐり、真っ青な空の下を歩く。アスファルトは午後の熱気にゆらめいているようで、とても暑かった。近所に住む人が打ち水をしているけど、どれくらい効果があるのか全然わからない。
「じゃあ、あたしたちこっちだから、また明日学校でね」
「おう! ありがとな!」
 本屋さんの角で、かなえと竹下さんと別れ、残ったあたしたちは帰り道をたどった。
「だけど、驚きだよな? あの根本が椎名をねぇ……」
 大和がにたにたとあたしを見てくる。いやらしさだけなら、根本に負けず劣らず意地の悪い笑顔だ。
「もう! ややっ…やめやめて、よ、そのはなっ話、し……は!」
「それにしたって、茜ちゃんが根本くんをひっぱたいたとき、ものすごくいい音が教室に響いたよね!」
 友子が話題をそらした。助けてくれたんだろう。
「そう、そう! おれなんて、自分が叩かれたわけじゃないのに思わず頬を押さえたよ! だけど椎名もやるよな! 古賀には暴力はよくないとかいっといてさぁ」
「うんうん!」
 友子が相づちを打って和やかな空気が流れる。だけどあたしは、そこで足をとめた。
 ……ピシャンと根本を叩いた音が、びっくりするくらいに透きとおって聞こえたあの瞬間がよみがえる……。
 ――笑えない……。
 あたしは……、だって……あたしは、あたしが……。
「どうしたの? 茜ちゃん?」
 足をとめたあたしに心配そうに友子が振り返った。
「みんな! ほほ、本当、本当にごめん!」
 みんながキョトンとして見つめる。
「ぼっ…暴力はいけない…ない、ことだよ。ででも、えーと、みんながぁ、かかっ…かばってくく、くれてっ、しょー正直、あ…あたしは悪いことを、えーと、ししたって気持ちより、も、ぅううれしいって気持ちのほほうがぁ、大きかった。こっ…古賀くん、ごめん、ぁあっ…あたし、はー、暴力にま、負けた、よ…弱い、弱い人間だ」
 古賀くんはあたしを見ると、ゆっくり近づいてきていった。
「椎ぃ名さんが弱かと? いんや、椎ぃ名さんは、博多におるぼくん親友が次に強か人ったい」
 不思議そうに見上げるあたしに、親友の話を続ける。
「そいつは、けんかば弱かばってん、けんかっぱやくて、口ばっかえらそうで、そいつとは数えきらんとくらい、けんかしてきたと。ぼくは一度も負けたことなんかなかったとばい……」
 古賀君が懐かしそうにする。表情がやさしい。
「サッカーば、ばり好きっちゃん。そやけど下手くそやったけん……。いっつも自主練ちかっぱがんばっちょったよ。六年上がらんが前に、絶対レギュラーなるって……」
 大和や友子も真剣に聞いていた。
「そいつ、部活後ひとり残って練習ばしよった帰り道、車からはねられてしもうて、右の腕ば切断する大怪我したばい……」
 友子が痛そうに顔をゆがめ、大和も口をパクパクさせた。あたしも自分の腕がひきちぎられるように胸が痛い。想像しただけでもこんなにつらいんだから、本人の痛みは想像を絶するだろう。
「そげんしてそいつの落ちこんどる顔ば見てやろうとお見舞いば行きよったら、そいつ笑いながらぼくにいうたとよ。『足じゃなくてよかったと!』って……。ぼくはこんとき、あぁ……やっぱこいつんば強か、けんか以外のことはなんも勝てん思ぅたけん」
 みんな、黙って聞いていた。

 ふくれあがる入道雲とセミの大合唱。ゆらゆら揺れる蜃気楼のアスファルトがどこまでも続く。別れ際、古賀くんは白い雲に負けないほどに歯を見せて笑ってくれた。
「ぼくも、そいつや、椎ぃ名さんみたいに強か人だって思われるように頑張るったい!」
 この言葉が、暑い空気をさらに熱してあたしの心をあぶる。
 みんなと別れてひとりになると、あたしはアスファルトを見つめながら必死で歩いた。足の裏から焼かれる気がする。転んだら溶ける、よくわからないけどそう思った。
 ただ胸の奥が熱くて、心が熱射病でくたくたになってしまうんじゃないかってほどに、あたしはくらくらしていた……。


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