見出し画像

「あかりの燈るハロー」第二十二話

第十一章

あたしがやりました。
(1)


 Re.ハローワールド
『朱里、おはよう!
 今日から短縮授業。はやく帰ってこれるよ!
 そして今日からは、あたし思いっきり失敗するつもり!
 帰ってきて元気がなかったら、またはげましてね!』

 朝のメールを送るとパソコンを閉じ、手さげかばんを持ってリビングにおりる。お父さんは、今日もフライパン片手にトーストを焼く。わたわたしているのもいつもと同じ。
「おはよ、おう、お…お父さん!」
「おはよう、茜。朱里ちゃんへのメールはすんだのかい?」
「うん!」
「よし! じゃあ茜隊員! 顔を洗って朝ご飯を食べたら、三〇分で任務に出発だ! 目標! ハチマルニイマル!」
 突然軍曹みたいな口調でいい出したから、あたしもお父さんに合わせる。
「サー! イエッサー!」
 朝ご飯を食べて、洗い物を片づけて、お母さんの写真にふたりでいってきますのキスをする。いってきます! お母さん。
「あれ? 茜、今日はランドセルじゃないの?」
「は…はっ話した、したでしょ? 今日かっ…からたた、たん短縮授業だよっ」
「しまった、お父さんすっかり忘れてたよ」
 玄関でいつもの革靴を履こうとしていたお父さんは、手にしていた靴ベラを置くと、もう一度家の中に入っていこうとした。
「お父さん! 大丈夫、き…きょ、うまでは給食ある給食あるよ!」
「ん? そうなのか、……あ、じゃあ茜、今日お父さん夕方に会議があってちょっとだけ遅くなりそうなんだ。もしよかったら夕食の買い出しをお願いしてもいいかい?」
「う、うう、うん!」
 お父さんは見ていた腕時計から目を離してほっとする。
「ちょっと買い物リストだけ作ってくるから、茜、悪いけど先に行ってくれるかい?」
「わ、わかった!」
「よし! 今日も突撃だぞ! いってらっしゃい!」
「いーいいってきます! お父さん」

     ♮

 今日も朝から茹だるような暑さと逃げ水とセミの声。空高くふくらみあがった入道雲が、いよいよ目前に控えた夏休みを連想させる。
 校門をくぐり、ひんやりとした昇降口に到着すると、外がいかに暑かったかよくわかる。上履きに履きかえていると、聞き慣れた楽しそうな女子の話し声が校庭から聞こえてきた。
 友子とかなえ、竹下さんだ。三人と目が合いそうになり、あたしはとっさに顔を背けると振り返り、階段へと歩き出そうとしていた。
 ……ダメだ! これじゃ昨日までと同じだ! 失敗する勇気さえ持ってなかった今までのあたしと……。でもこわい、足がすくむ、彼女たちを怒らせたのはあたしなのに。
 お腹の下がズンと重い、きっと緊張してるせいだ。今、頑張って声をかけても、きっと震えて、上手に話すことなんてできっこない。
 このまま気づかなかったふりをして、後でもう一度挑戦しようか? そうよ、今話したところで、きっと彼女たちもあたしの言葉なんて聞き取れないに決まってる。
 ……だから、あとでちゃんとがんばろう。でもこわい、足がすくむ、彼女たちを怒らせたのはあたしだから。
「オース! 茜、生理は落ちついた?」
 かなえの弾んだ声が背中をポンとやさしく叩いた。
「茜ちゃん、おはよう!」
 いつもの友子の声があたしの心をなでる。
「椎名さん、もう具合は大丈夫? あのときはびっくりしたよ」
 竹下さんの落ちついた声が緊張をほぐした。
 あたしはたまらず彼女たちに振り返った。
「ご、ご、ごごごごごめめめめめ……うわああああああー」
「ちょっ! ちょっと茜ー⁉」
 気づくと、あたしはわんわん泣きながらあやまっていた。まわりは生徒でいっぱいだったのに、あたしは泣きながらひたすらあやまり続けていた。
 なんていってあやまったのかこれっぽっちも覚えていない。たぶん本当に無茶苦茶で口にしていた言葉は、吃りもなにも関係なく日本語でさえなかった気がする。でもみんなは、そんなあたしをしっかりと受けとめてくれた。
 失敗なんてできなかった、失敗なんてできなかった!
 あたしはちゃんと失敗なんてできなかったんだ。
「ごめんごめん、ほ、ほんとうにごごおめんなさい……」
 かなえや友子たちが「もぉー」と笑って、しゃくりあげるあたしのかばんを持ってくれた。失敗できなかった代わりに、あたしは大きすぎるくらいの成功を手に入れた気がしていた。

     ♮

 始業のチャイムが鳴っても、かなえたちはずっとそばにいた。下駄箱で泣き喚いてるあたしを、登校中の他の生徒たちが大勢見ていたから、すぐに先生がやって来て、みんなそろって職員室に連行されちゃったけど、こんな間抜けな出来事が将来とてもいい思い出になるって、なぜかそのとき確信していた。
 職員室では古い扇風機から、パタパタと色のついたテープがはためいている。隣でかなえがぼそっと、「ながいなー」と先生の説教をぐちると、友子が「かなえちゃんっ」と小さくたしなめた。竹下さんが渡してくれたハンカチを握りしめながら、あたしは背中に流れる汗をしっかり感じていた。
 頬を伝った涙のあとが乾いて、さわるとパリパリとしている。
 窓からのぞく、ふくらみあがった入道雲――。
 白い……、そしてでかい……。
 気持ちよさそうなもくもくとした雲を見ながら、それまでに感じたことのない、まったく新しい一日の始まりに足を踏み入れた気がしていた。

 四限目が終わり、当番が給食を取りに配膳室へ行っているときのことだった。朝の騒ぎを誰かから聞きつけたのか、根倉ペアがにやにやしながら近づいてくる。
「よお? 椎名、おまえ、朝下駄箱で号泣してたんだって? なにそんなに泣いてたんだ?」
「里内と水嶋、それに竹下も一緒だったらしいよ」
 なにかをしゃべらせようと、根本がじろじろ見ながら突ついてくる。金魚のフンもわざとらしく相づちを打った。
 どうせもう全部知ってるんでしょ? 倉畑はともかく、根本はあたしのあげ足を取ってからかいたいだけなんだ。あぁ! もう! 本当に意地が悪い。いいわよ! そんなにからかいたいのなら、からかってみなさいよ!
「かか…かっ…関係なないでしょ⁉」
 今までなら、こいつらになにをいわれても断固無視を決めこんでいた。めずらしく抵抗するあたしに、ふたりはまたうすら笑い、吃り声をマネる。
「かかか関係、なななないでしょ?」
「ちょっと! あんたたち、また茜になにちょっかい出してんのよ!」
 騒いでるのに気づいたかなえが、教室の隅からこちらに向かってくる。友子もいた。
「うはっ! ピンク親方と男女の水嶋に、ダンディボイスの竹下が来るよ!」
 倉畑がおかしそうにあおる。
「やだねぇ、ヒステリーばばあは。おまえら生理だからそんなにカリカリしてんだろ? ひょっとしておまえの吃音も生理が原因なんじゃねーの?」
 根本たちは大爆笑しながらも、さっさと退散しようとした。
「……ま、まま待ってよ!」
 あたしは思わず追いかける。気づくとあたしの右手が、背中を向けて離れようとしていた根本のシャツの裾をつかんでいた。
「はぁ? なんだよ、おまえ、離せよ」
「あ、あ、あやま、あやままままっ……」
「あたしー、せせせせせえーりーぃでぇ声がでででませーーーーん」
 かあっ! っと血がのぼった。根本が最後までいい終わらないうちに、あたしのビンタが根本の左頬を打ち抜いていた。

 ――ピシャン‼

 びっくりするくらい透き通った音が、教室の中を駆け抜けた。
「な、な、なな……?」
 根本は頬に手を当て目を見開く。
「うう打ったの…のは、あ、あ、あやま…あやまる! そそ、そ…れに、大和のかか、傘を壊し…たたた、はん…人扱いしたしたのも、ししょ証拠も証拠もないのっ…にうぅ疑ってごめん! でもっでも! 今のは、ゆっ…許せなない!」
「な、なんだよ! だからっ暴力振るっていいってんのかよ!」
 根本の声が震えている。その目があたしを化け物みたいに見てる気がした。
「ちょっと待ちなよ、根本、今のは許せないって、茜、ちゃんといってんじゃん。あんたたちだって、さんざん言葉の暴力振るってんじゃない? それで、ちょっと茜に叩かれたからって、ピーピーいうのは虫がよすぎるでしょ!」
 かなえだった。
 廊下から、キャスターの音と給食の匂いがただよってきている。給食当番が戻ってくると、その後ろから安西先生が何事かと割り込んだ。
「またおまえたちか⁉ 今度はいったいなにをしたんだ!」
「なにもしてないのに、いきなり椎名が根本をなぐったんだよ!」倉畑が告げる。
「椎名が?」先生が信じられないという表情であたしを見た。
「本当か? 椎名?」
「あ、あた……」
 あたしがやりました、あたしはそう正直に話そうとした。
「あたしがやりました」
 突然、かなえがずいっと前へ出ると、白々しい顔でそういった。
「は? いや、だって今、倉畑が、椎名が根本をなぐったって……」
 混乱した安西先生は、かなえに振り返る。
「ちっ、違います。本当はあたしがやりました」小さな声で友子がいった。
「はぁ? おまえたち、いい加減にしなさい!」
「先生、ごめんなさい、じつは根本くんを叩いたのはわたしです」今度は竹下さんだ。
「おまえたち! ふざけるんじゃない! いったい誰が根本に手を出したんだ⁉」
 安西先生の顔が怒りに震えている。
「さぁ! 正直にいいなさい! いったい誰が根本に手を出したんだ!」
 すると、教室の一番奥で古賀くんが「はーい」と手をあげた。
「せんせー、ごめんなさい、忘れてました。根本なぐったんはぼくでした」
 安西先生の顔がみるみる真っ赤になった。
「違う! おれだ! おれが根本をなぐった!」
 古賀くんの隣で大和がいい出したが、誰かが「大和ー、おまえじゃ無理だ」とちゃちゃを入れるとあちこちで笑いが起こった。それで、今にもあたしたちをひっ捕まえて喰い殺しそうな勢いだった安西先生は、急に空気が抜けて萎んだ風船のようになって「まったく、どうなってる」ってあきれ顔をした。
「とにかく、今いったおまえたち全員、放課後職員室に来るように」
 おかげで、かなえに友子、竹下さんに古賀くん、そして大和までが、あたしをかばったばかりに放課後たっぷり説教された。


◀前話 一覧 次話▶

#創作大賞2024 #ミステリー小説部門

この記事が参加している募集

#創作大賞2024

書いてみる

締切:

ありがとうございます!!!!!!がんばります!!!