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「あかりの燈るハロー」第二十一話

第十章

未来永劫チクワ

 ありがとう朱里!
 あたしはもう失敗することをおそれないよ。

 メールを送りパソコンを閉じようとすると、帰宅を告げるお父さんの声が玄関から聞こえた。
「ただいまー、茜ぇーいるかい? お父さん今日は疲れたよぉ」
 あたしは立ちあがり、部屋を出て階段をかけおりる。
「お! おおお、お父さん! おかえりなさい!」
「おや? 茜、今日はとても元気だね。さては学校でなにかいいことあったな?」
 勢いよく飛び出してきたあたしを見て、お父さんはネクタイを外しながらすこし驚いた顔をしたけど、すぐに悪戯っぽく笑った。
「あとで背中に乗ってほしいな。さあ今日はなに食べようか、たまには一緒に映画でも見る? ほらこないだ録画した、底なし沼に沈んでくブタを助ける耳のでかい妖精が出てくるアニメがあったろ」
「ううん! そのぎぎ…逆! み、みみんな、みんなからここ、孤立し…しちゃった! ブ、ブタのやつ、っは、みみ…見てもいい、いいよ!」
 お父さんが目を丸くして、不思議そうにあたしを見る。
「それなのに、そんなに元気なのかい?」
 少しだけ、お父さんの表情にかげりが見えた。
「うんっ! ででも、あた…しはもう、失敗するっ…することをお、お…おそれな、ななーいんだ!」
 いつもよりよくしゃべるあたしに少し安心したのか、お父さんの表情はもとのやわらかい表情へと戻っていった。
「そうかぁ、じゃあ今日は茜のクラスからの孤立記念に……外食に行こう!」
「お、お、お父さっ…ん、あたっ、あたし、がっ外食じゃなくていい、いいよ! あれがいい! サ、サン…ドドイッチ!」
「サンドイッチ? そんなものでいいの? よおーし、じゃあ今日は張り切って、サンドイッチ一緒に作るか!」
「うん! つ…つくっ、作る!」
 お父さんは付けようとしていたエプロンを脱ぐと、ワイシャツの胸元をつまんで首を傾げた。
「じゃああれだな、ヤマタケまで星が丘の自然酵母のイギリス食パンを買いに行かなくちゃな! ……服はとりあえずこれでいいか」
「う、う…ううん、ちっちがっ、お、お父、ささん、サンドイッ…イチに…は、やすっ、やすくて四角い食パンのがあ、あいそう…だっ、だよ!」
「おお? そうか、じゃあそうしよう。とにかく食パンとハムを買いにヤマタケ突撃だ! はやく行かないとしまっちゃうぞ。茜隊員! 準備はいいかい⁉」
「はっ、はい!」
「違うだろ、茜っ! そういうときは⁉」
「エッ…イ、イエッサー!」
「よろしい!」
 お父さんはネクタイを放り投げると、両腕を大きく上にあげて、あたしをくすぐるために追いかけ回した。

「困ったなあ、茜、どうしようか、ハムが売り切れだ。スクランブルエッグにする? でもちょっと卵食べすぎだよね。もっと栄養を考えないと」
 お客さんのピークがすこし過ぎたヤマタケにくる。陳列棚から気持ちいい冷気が伝わってきて、あたしは銀色のステンレス台に触れながら歩いていく。
「レタスはあったけど、うーん……具はどうしよう、ツナかチキン? コロッケとかでもいいか、でもお父さん揚げ物苦手だしなあ……ねえ、茜なにがいい? エビフライサンドは切るときこないだ失敗しちゃったしなあ、リベンジしてみてもいいけど……」
 お父さんはひとりでぶつぶついいながら、ケータイでレシピを調べ始めた。
「クックパッドクックパッド……、ローストビーフ、コールスロー? ハムエッグ、だからハムはない……、ハムと胡瓜、ごぼうとツナ、これは新しいけどお父さんおなか弱いし……、ハムチーズ……だからハムはない……うーん」
 こんなときのお父さんはすごくかわいい。
「だめだ、茜! ハムと卵だらけ! お父さんギブアップだよ、パス!」
「あ、あのさ、チ…チッチクワッチクワでもいいよ。あたっあたしカルボナーラ好きだし」
「竹輪? サンドイッチに竹輪か! そうか、どうして今まで思いつかなかったんだろう。茜、それイタダキだ。チクワチクワ、チクチクチクワー。あっちか!」
 お父さんがあたしの冗談を本気にしたことが、なんだかうれしくなる。まあ、半分は本気だったんだけどね。
 総菜売り場の半額になったお寿司の前で、ネクタイをしたサラリーマンがずっとあれこれ悩んでいる。もしあたしがいなければ、きっとお父さんもああやって、お寿司でも選んでいたのかな? って思うと、毎日ちゃんとがんばって台所に立っているお父さんのことがとても愛しくなった。
 これまできいてこなかったことを、あたしは口にする。
「ねっ、ねえ…お、お父さん! …どお、ど…どおしてチクワっ、チクワなの? カルボナーラ」
 お父さんはそれを聞くと、通路の真ん中で立ち止まり、「なんだって⁉」というような大袈裟な顔で振り返った。
「茜、まさか覚えてないのかい? これはまた、お父さんショックだぞ、竹輪の衝撃だ。一本取られたよ、撃ち抜かれたね」

     ♮

「小さい頃お父さんと竹輪でよく遊んだんだよ。未来をのぞこうゲーム! 茜、竹輪が大好きでね。お母さんには食べもので遊んではいけませんってよく叱られてたけどね」
 お父さんは人差し指を立てて、ぷらぷらとチクワを揺らすジェスチャーをする。
 どうやら小さなあたしは、昔お母さんが作る料理を結構泣いて食べなかったことがあるらしい。チクワをカルボナーラに入れるようになった理由を説明してくれる。
「なんでかなあ、カルボナーラのソースがおいしいっていって、茜は小さいときからあれが大好きだったんだけど、一度思いっきりテーブルから落としてしまったことがあるんだよ。もうそのときはベーコンがなくってね、お母さんはなにか違うものを作ってあげようとしたんだけど、茜はどうしてもカルボナーラがいいって」とても懐かしそうな顔をする。
「冷蔵庫に竹輪しかなかった。だから竹輪。そしたら茜は、カルボナーラは世界一おいしくて、未来の食べ物だから、穴が開いていて、未来がのぞける竹輪はカルボナーラのために生まれてきたって、だからベーコンは今後却下で、『ぜったいちくわ‼』って、いつも冷蔵庫の前で仁王立ちしてたんだよ……」
 お父さんはそんなことをいって、ずっと笑いながら説明してくれたけど、自分がすごく悪い子だったような気がしてはずかしくなる。
「それから我が家のカルボナーラは、未来永劫チクワって決まったんだ。ハハッ! 茜、どうしてそんな顔してるんだい。それより今日は、吉田くんのお母さんがいないね。あとで聞いてみようか。茜、他になにかほしいものあるかい?」
 あたしはヨーグルトにミントを載せてほしいってことを、ずっといおういおうと思って温めていたことを思い出したけど、今日はなんだかこれ以上わがままをいっちゃいけない気がして我慢することにした。
「ま、またっ、いう。きょおはない、ないよ」
「そっかじゃあ行こうか。サンドイッチ張り切って作らないとね」

 その日、大和のおばさんはいなかった。店長さんに聞いたところによると、好実ちゃんの具合が悪くて休んでいるそうだ。
「吉田くんのお母さんも大変だなあ。もし先にわかっていたらなにか手伝えることないか聞きにいけたのにね。小さな子がいるとなにかと大変だからな。あ、茜、ちゃんと手を洗ったかい?」
「うん!」
「よし! なでなで」
 ふたり仲良くテーブルに食材を並べてサンドイッチを作っていく。
 お父さんがパンを切って、あたしがバターを塗る。
 お父さんが切ったチクワを、あたしがパンに並べていく。
 こんな作業があたしは大好きだった。
「ね! ねえ、ささ…さー、さっきいってたみらっ、み…みー未来をのぞこうゲームって、ど、どういう…うのだったの?」
「ん?」お父さんがにまっと笑って顔をあげる。
「交代でね、竹輪をのぞくんだ。それで、未来をいいあうの。未来がのぞけなかったら一口食べる。交代で食べる。そのうち見える。見えなくても食べちゃったら勝ち! 負け知らず!」
「み、未来?」
「なんでもいいんだよ。明日はきっとカレーライスで、そのカレーライスがおいしい! とかね! そんなおいしい未来! 楽しい未来! わくわくする未来!」
 あんまり思い出せないし、他人事みたいだ。そんなんだったのかもしれないけど、妙に子どもっぽすぎて、ちょっと恥ずかしい。でもすごく楽しそうなお父さんを感じてあたしは幸せだった。最近なんだか本当に元気でうれしいんだ。
「ねえ、茜ぇ、なにそれ? って顔してるなあ?」お父さんがほっぺたをふくらます。
 サンドイッチを作りながら無言で笑うと、お父さんは続けた。
「そんな顔してないで聞いてくれるかい? お父さん話したいんだ。その未来をのぞこうゲームのさ、ちっちゃかった茜の、お父さん的ベストワンを知りたいかい?」
 聞くよ、聞きますよ。あたしはにっこり笑う。
「明日は一番お父さんとお母さんが好き! ってやつだよ」
 ――一番好き?
 あたしは思わず手をとめて見上げる。
「そう、始めお父さん、それ聞いたときこう思ったんだ。なんだよそれ、茜、今日はそんなに好きじゃないのかい? ってね。そしたらちっちゃい茜はこういったんだ。ううん、今日も一番好きだよ! でも明日はもっと好きになるの! だから毎日が一番になるの! 明日は今日よりもっと好き!」
「じつはお父さん、それ聞いて泣いちゃった」
 体がかーっと熱くなる。はずかしい!
「それがね、今日よりももっと好きな明日――未来をのぞこうゲームの、お父さん的金メダルだよ」
 きっとあたしは顔をまっ赤にしてたと思う。下を向くあたしの頭にお父さんは両腕を巻き付けると、その先の手でサンドイッチの続きを作っていった。
「さあ茜! チクワサンドイッチを作るぞ!」
「くる、おとーさっ! くる、くるしいっよ!」
「ほぉら、茜」お父さんは、まだ切っていないチクワを一本手に取ると、指を突っ込んで、目の前に差し出す。
「イナイイナイチクワー」
「お、お父さん、なーななにそれ!」
「イナイイナイチクワだぞ! 見えないんだぞ!」
 イナイイナイチクワ! それは覚えてる‼
 よくお父さんとこれでかくれんぼして、お母さんに怒られてたんだ‼
「思い出した! かくれんぼ! おこっ! おこられたよ!」
 お父さんはニカっと笑う。
「ライオンじゃないぞチクワだぞ」
「ゾウじゃないぞ、チクワだゾウ」
 キッチンが幸せな空気でみるみる染まった。今日のサンドイッチにはこんな笑い声もきっとたくさん挟まってる。めちゃめちゃおいしいんだろうな。
「ははっ、こんなことしてたらまた叱られちゃうね。内緒だよ?」
 お父さんは、ついにお母さんの写真に背中を向けて、くちびるにそっと人差し指を添わす。
「うん! わ、わーわかったよっ!」
 あたしもお父さんのマネをして写真に背を向けると、くちびるに人差し指をあてた。それをみたお父さんは後ろからあたしの目をふさいで抱きしめる。
「イナイイナイチクワ!」
「チクタクワクワクチクワ!」
「ワクワクックパッドチクワ!」
「風邪にはチクタックチクワ!」
「お、お父さんっ、そーそ、それ…わっ、わーわかりづらいよ!」
「うーん、そぉかあ?」
 キッチンにはいつまでも笑い声が響いた。後ろから視線を感じる気がする。きっと天国のお母さんもすごく笑ってるって、あたしはそう思った。


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