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人生は鍋の白菜。やりたいことを、やっている

最近、鍋にハマっています。

ひとり暮らしなので無論一人鍋を堪能しているのですが、とてつもなく最高です。

好きな具材を、好きなだけ入れて、好き放題に食べる鍋。

実家でする鍋、大切な人と食べる鍋も好きですが、人数に対して具材の数を考えたり、火加減を気にしたり、小さな親戚の子の分を皿に盛り分けたり。

どんなに楽しくても、誰かといる以上まったく気を遣わないことはないものです。


“ ひとりっ子はわがまま ” というイメージを持たれがちですが、私個人は、わがままな面もあるひとりっ子です。

しかし以前、同じくひとりっ子の元恋人と、どちらが言い出したのかわからない、『わがままだけど、自己中じゃない』という議題でやたらに白熱しました。

そう、わがままだけど自己中ではないんです。
兄弟喧嘩の経験がないからなのか瞬発的な自己主張はあまり得意ではなく、常に大人の顔色を窺っている子どもでした。

友人に、同志と熱くわかち合えた話をすると「わがままも自己中も、どっちもたいして変わらないひとりっ子の必死の主張」と笑われました。


なので家でひとりの時くらい、大いにわがままに、そして自己中に鍋を食べたいのです。

わたしはキノコ類が大好きで、舞茸やしいたけ、えのき茸などを入れることが多いのですが、具材はその日の気分で変わります。

必ず入れるものは一つだけ、白菜です。


独身女のひとり暮らしですが、大は小を兼ねると4〜5人用のマイ土鍋を購入し、使い心地は抜群。

明らかにどデカいのですが、いつか開催予定のホームパーティを夢見、底を焦がさないよう厳重な注意を払っています。


白菜は、入れすぎかな?という位の量を入れて、丁度良いものだと思います。

9割以上が水分だという白菜は、『煮込んだ具材かさ減り選手権』堂々の第一位(※私調べ)といった輝かしい(?)実績もあります。

それでも昨夜は、これは流石に多くて食べられないかな……でも切っちゃったしいいかと、となかば残りを次回の食事にするつもりで大量投下しました。


4〜5人前の鍋から、溢れんばかりの白菜たち

しかし鍋でぐつぐつと煮あがると、その量は見事に半分以下に減少。
ペロリとたいらげてしまいました。


人生も白菜と同様、思っているより量は少ないのかも。


必ず終わりを迎えるのに
期限が見えないことで
永遠にあるかのように感じてしまう時間。


まだまだ時間はある。


その膨大な時間の中で

いつかやる、いつかやってみたい。
いつか結婚して子どもを。
いつか何かを成し遂げて大物に……(遠い目)

  いつかはない
  いつかはこない
  いつかはなかった
長田弘詩集『一日の終わりの詩集』


長田弘の詩に、こんな一節がありました。

しおれきった白菜を見て、本当にやりたいことをやらないと後悔するな、と思ったのです。


それでも、一周まわると今、やりたいことをやっているんですよね。


こんなふうにnoteを更新したり、アラームを掛けずに眠ったり、一人鍋を愉しんだり。


2023.2/5

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