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「私、ひとりの力で生きてるんじゃなかったんだ」

今日は私の過去の体験談シリーズから『帰る家が突然なくなった話』を書いていこうと思います。

毎年この時期になると思い出すエピソード。

いつもながら、黒歴史のシェアはとてもワクワクしてしまいますね。


黒歴史という名の、私のリアルな自己受容の記録のシェアになります。

お時間あるかたはぜひお茶でも飲みながらゆっくりしていってくださいな。(たぶんちょっと長くなるので適度にお付き合いください◎)


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事件はちょうど5年前の2017年、バレンタインデーの数日後に起こりました。

現場は当時私が暮らしていた「家」。


そこにいたのは私と、そして当時の彼氏であり、しかし喧嘩が絶えずもはや破局秒読みとなっていた同居人のY氏であります。

お互いに相手への苛立ちやモヤモヤ・不信感が増していくのを強く感じていながら、それでも「離れる」という決断にも踏み切れずに、

自分の中の違和感を押し殺しながら、自分たちの本当の気持ちを見ないように蓋をしながら、一緒にいることを惰性で選び続ける毎日でした。


そうしてぎりぎりのところでなんとか見かけ上の関係性を保っていた私たちなのですが、実際のところはもう「全てが崩れ去るXデーが訪れるのを待つのみ」という一触即発の状態にまでなっていたのです。


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2月14日。形ばかりのバレンタインで一瞬緊張が緩和されたように見えたのも束の間、3日も経てばまたいつものごとく言い合いが始まります。

「またいつものやつか」とうんざりする私。

しかし、その頃の彼はちょっと様子が違っていました。


日頃溜め込んでいた我慢が限界に達していたのでしょう。

部屋中のものを手当り次第に投げ出し、私に罵声を浴びせ始めます。

いつも穏やかだった彼の初めて見る姿に「殺される」と生命の危機を感じた私は急いでコートを羽織り、スマホとお財布だけを握りしめて寒空の下に飛び出します。


「もうあの家には戻れない…」

そう悟ったところで、すなおさんの家なしサバイバル生活がスタートしました。


「家がないならホテルに泊まればいいじゃない」ということで、都心のホテルを転々としながら、元同居人から送られてくる激重LINE(「帰ってこないならしぬ」とかそういうやつ)や鬼電に対処しつつ、新しいおうち探しです。


「いつかこの家を出て、新しい生活をスタートさせるんだ」

そんなふうに思ってはいたけれど、まさかこんな最悪の形でその時が訪れるなんて、当時の私には想像もつきませんでした。


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その頃のすなおさんが日記を残しているので、ここでその一部をシェアしたいと思います。(ここから私のリアルな自己受容の記録になります)

2月19日。

こんなに一生懸命心のことについて学んできたのに、
一番そばにいる人を幸せに出来なかった。
また私は、側にいる人を幸せに出来なかった。
私はいつになったら愛する人を幸せにできるのだろう。
私はいつになったら、戦いを終わらせられるのだろう。
私は、善人であろうとするあまりに、
善人であろうとしない人を軽蔑していた。
人に頼ってばかりで自分で頑張ろうとしない人を、軽蔑していた。
人に迷惑を掛けたり心配させようとする人を、嫌悪していた。

私は自分が善人であろうとするがゆえに、
色んな人を心の中で裁いていたんだ。
人に迷惑を掛けてみて、人を頼ってみて、
そんな自分がいることに
気が付くことが出来ました。

今回のことは、曲がった方向に向かって
そのまま突き進もうとしていた私を、
(認めたくないけど…)「そうじゃないよ」って
改めさせるために起こったことなのかもしれない。


2017年のすなおさんは、この事件が起きたことで身をもって自分の未熟さを痛感したようですね。


2月20日。

何もなく今まで通りの毎日を過ごしていたら
認めてあげられなかった弱い自分。

頼りなくて本当は甘えん坊で
マイナス思考で疲れきっている自分。

そんなわたしの存在に気付くことができた。
理想とは対極にいる自分を経験することで、
いろんな人の苦しみが少しわかって、
彼の苦しみも理解することができて、
凝り固まっていた理想の人間像みたいなものが
ゆるくやわらかく、軽くなったように思う。



2月21日。

見ないようにしてきた自分の弱さ、
✕をつけてきた私の側面が、次々にわかってきた。
人に「こうあるべき」を押し付ける自分。

それなのに、人の力を借りないと生きていけない矛盾。

私、一人で生きてるんじゃなかった。
本当は一人でなんか、生きていけないんだ。
弱くて何もできない自分。ずるい自分。
可哀想な自分。情けない自分。

正しさの暴力を振りかざしてしまう自分。
人をコントロールしようとしている自分。

寂しがりな自分。認められたい自分。
愛してほしいと叫んでいる自分。

依存的な自分。
知らずに人を傷つけていた自分。

優しくなんてない自分。
ひどい自分。感情的な自分。怖がりな自分。
かまってちゃんな自分。
全部、私が見ないようにしてきた私の姿だ。
全部、✕をつけてきた私の姿。
私は全然、自分を好きになんてなれてなかった。


いいわね、すなおさん。その調子よ。


2月21日。

こんな自分はダメなんだと
克服しようとしたり、なかったことにしたり。

そして同じように、人のそういう側面にも
勝手に✕をつけてきた。

私、なんにも許せてなかった。
私は、いつも一番そばにいる人たちに
暴力を振るってきたんだ。

このことを受け止めて認めるのには
時間がかかるかもしれないけど、
とりあえず気が付くことが出来た。
今まで見ないようにしてきた
閉じ込めてきた私の側面たち。
もう✕をつけるのはやめようと思うよ。
全部が私の一部で、どんな私も私なんだから。


あの日、何も起こっていなかったら、今の私はどんなふうに生きていたのでしょうね。

考えてもしかたがないけれど、この体験が自分にとってひとつのターニングポイントになったことは確かです。


このときに痛感したのは自分自身の無力さ・情けなさと、そして自分は一人の力で生きてるんじゃなかったんだってこと。

「人は一人じゃ生きられない」なんて、そんなの当たり前じゃんって思われちゃうかもしれないのですが、

「私はこんなに頑張ってる」「自分をもっと認めてほしい」という承認欲求が大きくなりすぎていた私は、こんなふうに痛い体験を与えられないと気が付けなかったのでしょうね。


恥ずかしい話ですが、このときは自分一人でどうやってこのことを解決したらいいのかが全然わからなくて、失望されることを覚悟で親にも頼りましたし、警察や行政のお世話にもなりました。

(素直に助けてほしいって言えたのは本当によかったと思う)(昔は言えなかったからねえ)


世間知らずで傲慢な私は、こんなふうに人に頼ったり迷惑を掛けたり、「どうしようもない自分」になってみて初めて、

自分って本当に 自分以外の人の力と知恵と愛によって生かされてるんだなあということを知ることが出来たのでした。

あー世の中って、自分が思っていたよりずっと、人の愛と力と優しさで出来てるものだったんだなあって。


こういう痛い体験とか黒歴史って、人間のオトナの価値観で見ようとするとどうしても「失敗」っていうラベルをべたっと貼ってしまいそうになるのですが、

私はこのときの自分にたいして、「なんでもっと上手くやれなかったの」なんて口がさけても言いたくなくて、

ただただ愛おしいなという気持ちしか湧いてこないんですよね。

痛い思いしながら一生懸命人間やってるすなおさん、控えめに言ってすげーカワイイよ。もふもふもふ。


ああ。黒歴史も過ぎてみれば極上のエンタメですね。

また何か濃いめの体験談を思い出したらシェアしていきたいと思います◎

本日はこれにて解散です。お付き合いどうもありがとうございました。


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ではではまた次回の記事で。



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