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間戸ゆき
2018年5月1日 00:46
写真を撮って幸せも悲しみも切り取ることは大変容易な世の中になった。しかし私たち人間はなんら変わっていない。それを何度見落としてきたろうか。今日も君は誰かがSNSにあげた写真を見て「ああ私の現実は、」と一気一憂している。誰かが切り取った、嘘か誠か分からない、そんな写真に心を支配される。そこで身動きが取れないでいることは、人間が進化しているどころか衰退させているようにも思える。
2018年2月13日 00:08
おうお休みが終わった。何をしていたかといえば、散歩と掃除とネットサーフィン。この三本立てを毎日やっていたわけです。買い物にも行ったけれど、うおおおと人に飲み込まれて心がズタズタになって、前だけ見て帰ってきた。やあ久しぶりなこんな気持ち。最近は街を、のらりくらり歩いて来れたけれど、こういう時も来ますよね。TEDで興味のあるものを見まくってみたりして、『想像するために、ケイタイを置
2018年1月5日 20:15
久しぶりにnoteで日記を書く。随分ご無沙汰なもんで、こっぱずかしいけれど、それも含めて、書くよ。へへへ去年は絵を作ってはいたものの、SNS(特にInstagram)にあげる意味について深く悩むことが多々あり、人に見てもらう機会はとても少なかった。(自らエスケープ)私の中で絵を書くことがコミュニケーションの一つになり、見知らぬ誰かからコメントをもらえることが何より嬉しかった。私が込
2017年7月2日 23:24
こんばんは。あつい夜。最近、心苦しい時に、「祈る」という行為について考えていた。宗教と結びついているように聞こえる「祈り」という言葉。でも、行為に関してみてみると、そこに宗教という壁はないように思う。ただ、自分と向かい合い、精神を研ぎ澄まし、集中しているっていう時間を過ごす。瞑想って感じだ。私は無宗教。集まって祈ることもある。集まっていたとしても、隣の人が何を祈っているかなんて
2017年4月6日 23:53
思ったことを言葉にして、誰かに伝わったらいいなあと思い、何周も何周もふらついている。何周も何周もしても見つからないし、伝わらないものは伝わらないんだなあと、諦め気味な最近です。この広すぎるSNSの世界で、見ることのできる範囲は実はとても狭い。なんでも見つけられそうな錯覚に陥っているのは、発信者も見る側も一緒だ。それなら私は、どうやってアプローチしていったらいいのかなあと考えてみる