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タイアラと糖尿病とアレルギーと不食と人生哲学っぽい話。(ーωー(何だそら)

 
 
3食続けてタイアラを食べてました。(食べすぎだ)
 
 
魚とはいえ、カロリー高めなのを食べてるとじわじわと血糖値が上がって
いきます。
 
最終的に、今日の夕方前に147ぐらいまで血糖値が上がってしまい
ました。
 
 
夕食は白身魚だったんで、多分バランスするでしょう。(ーωー;
 
 
最近読んだ本に、「糖尿病が悪化すると神経が障害されてお腹がユルく
なり、下痢を繰り返したりするよ」と書いてありました。
 
肉食中心の食生活による飽和脂肪の取りすぎが、糖尿病の血管への対応を
増悪させてしまうとも。
 
 
「Ⅿさんのケースは正にコレなんだろうか」と思った。(ーωー;
(分かりませんが)
 
「アレルギーの発症というものも、腸内環境の総意によって決定されてたり
するのでは?」と私は思っているんだけれども、一度免疫系に誤認識されて
ロックオンされたすい臓β細胞は、どうあがいてもロックオンが外せない
ものなんでしょうか?(ーωー ???
 
 
私は、アレルギーはそんなに固定されたものではなくて、まだらな国民総選挙というか、在住腸内細菌総選挙みたいなカタチで悪化したり善化したり
していると認識しているんですが…。
 
 
でも、「ソバアレルギーを外せるか?」といわれれば難しいし、私もトマトは相変わらずダメっぽいし、『生活改善でマシになるものもあるし、マシに
ならないものもある』というのが、煮え切らないけど本当のところなのかもしれない。(どうなのそれは…)
 
 
 
以前不食について触れたけれども、不食の実践者の某女性は、このまま放っといたら死ぬような難病にかかって、万事休すという状況になり、仕方なしに不食を実践したところ、どうにか上手くいって難病も未病の状況に落とし込めたらしい。
 
『難病にかかった』という出来事は、それ自体が『不幸なこと』というわけではなくて、ただ単に出来事(イベント)でしかなく、場合によっては
『不食の扉を開くための調度いい踏み台にすらなりえる』という話なのだと思う。
 
 
何となく無自覚に生きていると、「自分にとって都合がいいか、都合が悪いか」で物事を判断してしまいがちだけれども、あえてそこを外して観て、
不幸っぽいイベントが起こっても、「今正に私にとって必要なイベントだ!
幸運だなぁ!!!(>ワ<*」と認識するのは可能なのだ。
 
 
下手をすると、ただの現実逃避になりかねない話だけれども、いやしかし、
『出来事そのものには意味が(付加されてい)ない』ので、『幸運な出来事だ』と認識するのは『間違ってない』のである。(ーωー+
 
 

つまり、私達は、どこまでもどこまでもどこまでもどこまでも、自分を相手にせざるを得ないように出来てるんですね。


 
ならばさっさと自分と和解してしまいましょう。
 
その方が人生は絶対にラクです。(ーωー*(何の話だ)
 
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追記:足のアレルギー(?)は大分マシになりました。
 
 単純に蒸れていたようです。 お風呂上りはちゃんと足も拭きましょう。
 
 画像メッチャカッコイイな…。

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