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工学部建築学科 安東慎太朗
工学部建築学科の安東慎太朗です。
16年やってきたサッカーが終わりました。大学4年間で多くのことを学びました。入学して一年生の頃は練習の意図もわからずただ時間になったらいって無駄な1年間を過ごしました。その頃は遊ぶことばかり考えて月曜のオフと夏、冬の地元帰省のことばかり考え頑張っていました。二年生なってからSコーチに会って大きく変わりました。その人はなぜかフィジカルメニューを一緒にしたり居残り練習
経営経済学部 松山玄汰
日本文理大学経営経済学部経営経済学科
松山玄汰です
私は大学4年間多くの事を学びました。
まずは、沢山の友達を得る事ができたと言う事です。大学での友達は寮生活という事で4年間殆どの時間を共有する事になり自分が苦しんでいる時、手を差し伸べてくれる存在でした。そのような友達がいたからこそ充実した大学生活を送れたと思います。
次にサッカーです。今まで学んできたサッカーと言うスポーツの集大成が大学です。
工学部機械電気工学科 西牟田颯
僕は日本文理大学を卒業と同時に16年間続けてきたサッカー生活を終えます。
僕はサッカーを通じてたくさんの方と出会うことができ、本当にたくさんの方に応援してもらっていたことを感じる大学4年間だったと思います。
僕は2月7日に父を亡くしました。父は小学校から高校まで試合がある度に応援に来てくれていました。大学生活での試合は地元が離島ということで応援に来ることは難しく、一度もサッカーしているとこを
経営経済学部 丸山琉人
経営経済 丸山琉人
大学でのサッカーはあっという間に終わった感じです。勿体ないくらい何となく過ごしてしまった印象です。長い間トップに所属はしていても試合に継続的に出ることはできなかった。練習の為だけにトップにいる気がして何を目標にしてやるべきか完全に失った時間さえもあった。大学サッカーで初めて継続的に試合に出れない感覚を味わいました。四年になってはグランド内での自分の役割を全うするためにできる限り
経営経済学部 渡邉陸斗
経営経済学部 4年 渡邉陸斗です。
昨年の11月24日。福岡大学との試合を最後に16年間のサッカー人生を引退しました。
最後はベンチで試合に出ることなく、とにかく悔しかったことを鮮明に覚えています。
散々悔しい思いをしましたがサッカーをしていた時間は幸せでした。
大学4年間は2年目までIリーグで経験を積み、残りの2年間はトップチームでプレーしました。トップチームでは全国大会に出れたし少
経営経済学部 平山京侑
私は日本文理大学でサッカーをしてよかったと思う。
理由は沢山あるが全てを伝えると皆さんの目が疲れてしまうのでやめておきます(笑)
伝えたい事だけを簡単に伝えます!
私が伝えたい事は人の大切さです。
私はプロサッカー選手を目指していました。
4年間日本文理大学でサッカー部に入っていたが、サッカーをしたのは2年もあるか分からないぐらいだ。
それは怪我で苦しめられたからだ。
もちろん、怪我は
経営経済学部 主務小林ほのか
日本文理大学サッカー部で主務を務めました、小林ほのかです。
学生生活のほとんどを部活動に費やした4年間でした。
学生スタッフとして取り組んできた4年間の部活動生活について書いていこうと思います。
入部当初の部員数が約150名
全国大会出場が目標
これを聞いたとき”入部したの間違えたな”と正直思いました。
どのタイミングで辞めようかな、と考えたこともありました。
しかし
経営経済学部 坂田知也
経営経済学部の坂田知也です。
私が、文理大に入学して最初の心境は、「みんなサッカーうまそう♪おわたやん♪」です。みんなの出身校を見て絶望したのを覚えています。しかしそれ以上に、サッカーが好きだったのでなんとか4年間頑張れた。って感じです。
私の14年間サッカー人生において1番のターニングポイントになったのが、大学2年の時に怪我で手術をして1年間サッカーができなかったことです。1年サッカ
経営経済学部 外薗啓
経営経済学部の外薗啓です。
短いですが読んでいってください。
私がサッカーをやっている上での目標というのは、サッカーで生きていくということでした。
その中で、高校、大学というのはすごく大事な時期だったと思います。
文理大サッカー部に入って、まず感じたことがライバルがたくさんいることでした。同じGKでも20人近くいる中で、トップチームとして試合に出ることが大学での目標でしたが、試合に出ることは
経営経済学部 副主将山内祐弥
大学4年間を振り返って 大学4年間を振り返ってみると、時間を無駄にしたと思うことばかりです。自分はプロサッカー選手になりたくて高校では叶えられなかった夢を叶えるために大学に入学しまし た。入学して直ぐに驚いたこととしては、九州のみならず全国の強豪高であったり、また ユースの子たちもおり正直これから自分が試合に出られるのかとても不安になりました。 高校の頃と練習環境も変わり時間は短いけど強度が高い練
もっとみる経営経済学部 松田健太
経営経済学部 松田健太
私が日本文理大学での4年間を一言で表すと筋トレです。他にもたくさんの思い出や印象に残ったことはたくさんありますが筋トレを通して様々な体験や思いをさせていただきました。私がバーベルを握ったのは高校2年生の頃だったと思います。その頃はベンチ台しかなくベンチをよくやっていました。大学に入り施設も高校に比べたらよくなり大学2年生の頃から徐々にいろいろなメニューに取り組むようになりま
経営経済学部 熊原敦紀
経営経済学部 熊原敦紀
“サッカーで飯が食えたら、それが1番良い”なんてことを漠然と思いながら、幼い頃からサッカーを続けてきました。ですが、そんな理想を掲げ続ける訳にはいかない年齢になり、サッカーに対する考え方も変化してきたように感じます。それは、人生を楽しく送っていくための1つとして、たまたまサッカーと出会っただけであるということです。そう気付いた私はそこから、生活の一部となっていたサッ
経営経済学部 遠藤真悟
大学4年間は長いようであっという間に終わりました。
全カテゴリーを経験して、辛いことが多かったが4年の最後とI2でのサッカーがこの14年間のサッカー人生の中で一番充実していたのではないかと思いました。
自分には難しい頭を使う戦術でしたが、周りの人から見て楽しいサッカーができたのではないかと思いました!
一番心に残った試合文理ダービー戦です。あんなに試合が終わった後に悔いのない試合はなかったと思いま
経営経済学部 濵上征也
経営経済学部 濵上征也
私は元々、文理大に進学を考えていませんでした。大学の受験で失敗し、進路を迷っているときに、当時の文理大の監督さんから、サッカーで声をかけて頂き、文理大でサッカーをすることに決めました。
私の高校は、鹿児島の県立高校で県外の人は聞いたこともないような無名校です。大学の練習初日、グランドに行くと、周りには名の知れた高校やユース出身の人が多く、自分はこんなところでやっていけ
経営経済学部 水島蓮
経営経済学部の水島蓮です。
まず初めに、小学1年生から16年間のサッカー人生に携わり、支えて頂き、応援してくだっさった全ての方々に感謝します。ありがとうございました。
いつも恩師である松本コーチに「お前は変わった」と言ってもらえるのですが、僕自身もこの4年間で変われたという自覚はあります。愛媛から大分に来た時の自分と比べると、
当たり前のようなことにも感謝できるようになれたし、100%出せるように
経営経済学部 副主将 佐伯鷹哉
こんにちは。
2019シーズン副将を務めさせていただきましたGKの佐伯鷹哉です。
2019シーズンを振り返ると、曖昧ですが難しいシーズンだったと感じます。
1年.2年.3年のシーズンと同じ様にやっていては何も残らない、次のステップへ進む為の準備をしなければならない、変わらないといけない、色々な考えを持ちながらシーズンを過ごしました。
その中で色々な葛藤、立場、疑問、様々な要因を含