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普通を超えてゆけ

誰が決めたんだろう「普通」という言葉。
いい学校に行って、いい会社に入って、いい伴侶を迎えて、いい家族をつくる
それが幸せかどうかは分からないが、いい社会生活として「普通」という枠が構成されている気がします。
ただ、このご時世で普通の生活が歩みづらいのも事実な訳で、また価値観も多様化していることから、従来型の「普通の幸せ」を手に入れることが難しい、もしくは合わないという人が出てきているのも事実だと思っています。

いわゆる私の子どもの頃に普通と呼ばれていたクレヨンしんちゃんの「野原ひろし」やサザエさんの「フグ田マスオ」がアニメの中の世界で存在していましたが、その普通を手に入れる為には膨大な数の選抜に勝ち残り、果てしない出世競争に乗らないと手に入れられないものという事が社会人になって気付いたりもしました。そのレースの中では脱落する人も多くいるのも納得します。

じゃあ「どうすればいいのか?」というと、「普通を超える」形で、自分に取って最適な生活様式を「カスタマイズ」する事が大事なんだと考えています。

そのためには「自分は何をしているときが幸せと感じるのか?」という主観的かつ感覚的な特徴を掴むことが大切で、必要の無い要素を遠慮なく「切り捨てる」ことが大事です。
・偏差値の高い学校ではなく、自分が学びたい分野が強い学校に行く
・会社は大企業でなくても、自分のやりたい仕事をしている
・子どもはつくらなくても、いつまでもデートができる素敵な夫婦でいる
などといった、従来型の型にはまったレールの上というより、自分の「選択」に明確な判断軸が存在していることが何より重要なのでは無いかと考えています。

また、型にはまってしまうと上には上がいて、どこまで行っても比較せざるを得ない現実が付きまといます。あくまで一例にはなりますが、収入などが分かりやすく比較がしやすくなってしまうのでは無いでしょうか。
昔の言葉で言うと、彼氏や結婚相手に求める条件として、三高(高学歴、高収入、高身長)などという言葉が生まれていましたが、これを満たしていれば本当に幸せなのでしょうか。
それより、収入が多少低くても会話のテンポが合うとか、お互いにリスペクトができるとか、より大事な視点が抜け落ちてしまっているのではと感じています。

改めて繰り返します。
あなたの人生はあなた固有のものであるため、「普通」という枠で縛る必要はありません。もっと自由であって然りと思いますし、自分にとってのオンリーワンな人生を構成するという意味では、「普通を超えていく」ことは皆がすべきことなのではないでしょうか。

ちなみに、私は障がい者雇用である為、外資ITとは言え給与が決して高いとは言えません。でも、行きたい会社でやりたい仕事ができていますし、働き方には満足しています。
給与が多くない為、倹約を徹底的に行なっており、収入から差し引く支出の額が一般家庭よりおそらく少ないと考えています。じゃあ、その差額をどう使っているのかと言うと、住宅ローンや貯蓄、投資などを差し引いた上で、去年だけでも年4回以上の旅行に時間とお金を使っています。(と言うより、毎月予算化して積み立てています。)
人によってはそのお金は無駄だと言う人もいるかも知れないですし、実際に一回あたりの旅行には結構なお金が飛ぶのも事実です。ですが、私の人生の満足度を高める為には必要不可欠な視点になる為、必要経費として捉えることによって、この満足度を最大化できるように生きています。
自分が人生のチューニングを完全に出来ているとは決して言いませんが、この一部「普通を超えていく」という視点を持つことによって、自分独自の「幸せな人生」を掴む一歩になるのではないでしょうか。

「普通」とは何か?と言われると、私は単に「多数派の認識」ぐらいしか捉えていません。この時のマスというのは、切り取り方によって無数にあるので議論はしません。
ただ、この文章がきっかけに、読んでいただいているあなたが「求められて手に入れた人生」か「求めて手に入れた人生」かに気付き、「これから求めたい人生」を手に入れるチューニングに何かしら役立つとこれほど嬉しいことはありません。

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