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フォルテシモ&ロマンティック協奏曲 最終回:衝撃の終演

 この甘さとじれったさの第二楽章が終わって、後は最後の第三楽章を残すのみとなった。プログラムの演奏時間には第三楽章の演奏時間は一時間十五分と書かれている。これは第一楽章と二楽章のそれぞれ三十分以上というピアノ協奏曲としては破格に長い演奏時間に比しても異様なまで長いものである。今までの楽章はあくまで前哨戦、『フォルテシモ&ロマンティック協奏曲』の本番はこれからだ。レインボーたちの誰もがそう思った。七色の奇跡はこの最終楽章で現れる。大振と諸般、この二人が真に結ばれる瞬間を見逃すな。レインボーたちは自分にそう言い聞かせただ奇跡の到来を待った。

 それはふいに始まった。レインボーたちはこの突然始まった第三楽章に慌ててすぐに姿勢を正して目と耳を集中させた。レインボーたちはこのせっかちなWキリストにいつも突然なんだから!あなたたちはそんなに早く結ばれたいわけ?そんなに慌てなくてもいいのに。だがレインボーたちもまた二人が結ばれるのを早く見たがっていた。逸る心は皆同じ。レインボーたちは一心に大振と諸般を見つめてその時を待ったのである。第三楽章は変奏曲の形をとっていた。変奏曲とは一つの主題を様々に変形させていくものであるが、この『フォルテシモ&ロマンティック協奏曲』においてそ主題とは勿論大振と諸般の七色の愛である。じれったく待たされた愛が今この三楽章で見事成就したら世界は七色の光で満ち溢れるだろう。会場のレインボーたちも、会場の外のレインボーたちも、世界のレインボーたちもみんなその奇跡を待っていた。

 第三楽章は大振の『交響曲第二番:フォルテシモ』のアダージョから始まった。このイリーナ・ボロソワとの失恋をテーマにした沈痛なアダージョは今は諸般との七色の愛のプロローグであった。一人孤独に北酒場通りをさまよう大振拓人。長い髪の女にも興味は惹かれず、お人よしの女にもうんざりした大振。酒さえ心の慰めにはならず、通りを抜けて氷河の方へと歩んでゆく。そこにあるのは間違いなく死だ。このまるで演歌……いやバカでも泣ける大芸術を聞いてレインボーたちは感激のあまりハンカチで涙をぬぐった。だがその大振を諸般はピアノで呼び覚ます。ロマンティックに透き通るピアノで彼は大振に死ぬなと呼び掛ける。大振はハッとしてその呼び声の方を向く。そこにいるのは北国の風を浴びてロマンティックに髪を靡かせた諸般リストの姿。大振は諸般のピアノに驚嘆して指揮台に膝間づいて祈る。諸般はピアノを弾きながらその大振を慈しむように見て彼の為にロマンティックにピアノを書きならす。ステージで繰り広げられるWキリストの七色に満ちた神聖な戯れにレインボーたちはため息をつく。もうあまりに美しくて言葉すら思い浮かばない。ああ!このまま二人を七色に成就させてあげて!

 大振は諸般の優しさにたまらず涙を浮かべた。彼に対する思いが体中を駆け巡ってもう抑えられそうにない。どんなに指揮棒を振っても、どんなに愛を体全体で表現しても、まだそれじゃ足りない。彼は指揮棒を握りしめそして歌った。

「抱きしめた~い♬世界中のぉ~誰よりもぉ~♬あなたをぉ~♬はなしたくない~♬」

 再び聴けると思ってもなかった大振の抱きしめたいを耳にしてレインボーたちは一斉に歓喜の声を上げた。大振はまるで昔の布施明のように……いや三大テノールでさえはるかに及ばない絶唱で抱きしめたいを歌っている。レインボーたちは一つ一つ言葉を噛みしめるように歌っている大振を見て号泣した。大振は歌っている最中に我に返って愕然とした。なんてことだまた自分は大失敗をしてしまった。もうこれで全て終わりだ!と彼は髪をくしゃくしゃにして歌をやめようとしたのだが、その時なんとピアノを弾いていた諸般も一緒に歌い出したのだ。レインボーたちはこのサプライズに絶叫した。ああ!Wキリストが私たちのアンセムを二人で一緒に歌ってくれるなんて!もう世界は完全に七色に染まっていた。しかし大振と諸般の抱きしめたいはなんと素晴らしかっただろう!大振のテノールと諸般のソプラノが重なった七色のハーモニーはどんな歌よりも素晴らしかった。二人は何度も何度も抱きしめたいを唱和した。まるで愛を確かめるように。

 抱きしめたいの絶唱が二人に力を与えた。二人にはもう前しか見えなかった。このままいけば七色の光に満ちた約束の地にたどり着くことが出来るだろう。クラシックの天才、新時代のWキリスト。今約束の地へとまっしぐらに駆けてゆく。大振と共に歌った抱きしめたいは諸般に勇気と力を与えた。もう過去は振り返らない。ホセの影を振り切って今僕は拓人の胸に飛び込んでゆくんだ。拓人とみる七色の未来。きっとそこが僕らの約束の地。アダージョから一転してならされるブレスト、ロマンティック弾かれる鍵盤。その彼を熱く追ってくる大振のオーケストラ。鬼さんこちらここまでおいで。ああ!いたずらっ子の諸般、この躾の悪いヤンキーガールはまた大振に我儘を働いた。そのヤンキーガールを抱きしめようと大振は全力でフォルテシモに指揮棒を振って追いかける。壮絶な鬼ごっこ。ピアノを弾きながらグランドピアノを所狭しと這いまわって大振から逃げる諸般。逃げながら無理やりピアノの蓋を取って弦を直接弾く。意図せずにジョン・ケージじみた事をする諸般。大振はその諸般を捕まえて叱ろうと指揮棒を振りながらその諸般を捕まえようとする。ああ!なんと美しい愛の戯れなのか!ここまで人は無邪気になれるのか!七色の現人神の無垢な戯れ。ロマンティックに逃げようとする諸般。それをフォルテシモに捕まえようとする大振。演奏はもうクラマックスに達しようとしていた。諸般は突然空中に飛び上がってムーンサルトをした。そしてステージに降りた瞬間「ロマンティック!」と叫んだ!大振はその諸般を全力で抱きしめてついにあの言葉を叫んだ。

「フォルテシモぉ~!」

 これを聞いてレインボーたちは一斉に歓喜の叫びをあげた。とうとうこの時が来たのだ。二人は今七色の未来へと旅立つ。そしてそこから私たちに光を注ぐだろう。ほら、今二人の顔が近づいている。二メートル以上もある諸般の顔を見上げる大振。その大振を見下ろす諸般。今二人の口が重なってゆく……。

「ちょっとマッタぁ~!」

 だがその寸前だった。どこかから誰かが片言の日本語で昔のお見合いバラエティ番組みたいな事を叫んだのだ。会場のすべての人間が何事かと声のした方を向いた。するとそこにはむせかえるような臭いを放つたくましいラテン系の男がいるではないかあ。ステージの諸般はその声を聞いた途端震えあがった。大振は諸般を心配してどうしたのだと聞いた。しかし諸般は震えたまま何も答えなかった。ラテン系の男はそのたくましい体で自分に組みかかってくる警備員をことごとく吹っ飛ばしそのままステージに上がってしまった。レインボーたちはもうただこの行く末を見守ることしかできなかった。突然現れたラテン系の男を見て大振は一瞬にして彼が何者であるか悟った。ああ!お前はあの忌まわしいホルスト・シュナイダー!いやそのそっくりさんのホセ・ホルスではないか!何故、何故お前がここに!諸般との愛の旅立ちを妨害させはしないと大振は指揮棒を掲げてホセに突進した。だがその時諸般が甘い声でこう叫んだので衝撃のあまり固まってしまった。

「ホセ!なんでここに来たんだよ!君は僕を捨ててメキシコでイザベルとよろしくやっているんじゃないか!」

「あんなビッチの名前なんか口に出すんじゃねえ!俺はやっと本当の気持ちに気づいたんだ!お前じゃなきゃダメなんだよ。さぁ、ロマンティックパレスに帰ろうぜ」

「帰ろうぜなんて言われて僕が大人しく変えると思ってるの?君は僕にあれだけ酷いことしてさ!」

「だから言ってんじゃねえか!俺はやっと自分の本当に気持ちがわかったんだよ!俺にはお前が必要なんだよ!お前なしじゃ生きていけないんだよ!正直に言って恥ずかしいよ。自分が捨てた男とよりを戻したいなんてさ。だけどそれでもお前が好きなんだ!」

「ホセ……僕、僕!」

 両手を胸を守って拒絶する諸般にホセは手を差し伸べて言った。

「ショパン……帰ろうぜ」

「ああ!このバカ!もう絶対離さないんだから!二度と僕から逃げちゃダメだよ!今度嘘ついたら針五百万本飲ますから!」

「五百万本だってなんだって飲んでやる!俺はもう二度とお前から離れない!」

 こういうとホセは諸般の手を取ってそのまま熱いキスをした。よく見ると舌まで挿れていた。レインボーたちはこれを見て大絶叫した。その絶叫を浴びながら諸般とホセは手を繋いで結婚式のウェディングロートよろしく会場の中央の通路をかけてステージから立ち去ってゆく。思わぬ事態に会場は阿鼻叫喚をはるかに超えた阿鼻叫喚だった。さっきまでレインボーたちが夢見ていた七色の未来など塵にさえならないほど砕け散ってしまった。大振はホセに連れられて去ってゆく諸般の背中を見て号泣した。ここまで人を思ったことはなかったのに!何故!何故!俺はこんな目に合わなくてはいけないんだ!人生の不条理が頭にのしかかってきた。大振はその重みに耐えられずに床に崩れ落ちた。もう何も見たくなないと大振はうつぶせのまま激しく泣いていた。

 誰かがその大振の耳元で声をかけた。大振はその声を聞いた途端過去の記憶が走馬灯のように頭を駆け巡った。まさか……。大振は久しぶりに聞いたその声に懐かしきあの人の顔を思い浮かべた。ああ!帰ってきてくれたんだね。天国から僕の元に。ああ!その顔を見せてくれ。そのドヴォルザークの魂を心に宿したその東欧の農民の顔を。再び囁かれた声。何故か南国の香りがする。イリーナ僕を救い出してくれ。僕を救えるのは君しかいないんだ。大振はゆっくりと体を起こしてその人を見た。

「あなたがオオブリタクトって言うのね。ホセみたいにガチムチじゃないけど、あなたも結構たくましいじゃない!それに顔はホセなんかよりよっぷどハンサムよ!ねぇ私ホセに捨てられちゃったの。だから私と付き合って!」

 大振はそこにかつて愛したイリーナ・ボロソワと似ても似つかぬデブ女を見たのだった。彼は女に向かって手を振って近寄るなと叫んだ。だが女はそれでも彼にべったりと近寄ってきて再び口を開いた。

「あら、あなた私がデブだから嫌なの?とんでもないレイシストね。でも男ってみんなそうだからわかるわ。私こう見えても痩せたらすっごい美人なの。ホセも痩せた私にすっごい夢中になってくれたわ。よくヨーロッパのオペラ歌手に似てるって言われるの。ねぇ、あなたが望むならまた吸引手術するから私と付き合ってよ!」

 そういいながらラテン系のこのデブ女は大振に唇を寄せてくる。大振は全身で彼女に抗ってこう叫んだ。

「フォルテシモぉ~!」

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