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ベストセラーなんか読むな!

 また友人の悪い癖が出たと思った。この友人は知り合いのパーティの席で僕が連れていた同僚の女性がとあるベストセラー小説を褒めちぎったのに対して軽蔑丸出しでこう言ったのだ。

「いくらお前の連れだろうが、こんな人間には我慢できないね。あんなゴミみたいな小説が好きだなんて!だいたいお前はなんでこんなベストセラー小説に感動してボロ泣きしているバカ女と付き合ってるんだよ!昔から言ってるだろ!ベストセラーなんか読むなって!ベストセラーなんか読んだらみんなバカになるんだ!俺がベストセラーって言ってるのは小説だけじゃないぞ!全てのベストセラーに対して言ってるんだ!ベストセラーになる本にろくな本はないんだ!」

 僕の同僚はこのあまりに酷い決めつけに流石に怒ってこう言い返した。

「いきなりなんですか?何か勘違いしているようだけど彼とはただの同僚の関係ですよ!その同僚の友達に過ぎないあなたがなんの権利があって私の好きな本の悪口言うんですか?別に面白かったら売れてようが売れてまいが関係ないじゃないですか!だいたいあなたはあの本を読んでるんですか?」

「うるせえんだよバカ女!俺はそのベストセラー本じゃなくてそんなゴミ見たいな本に感動しているテメエの猿並みの知性をバカにしてるんだよ!大体ベストセラーなんか読まなくたってくだらねえってわかるだろうが!いい加減自分のバカさ加減を自覚しろ!」

 それからがもう大変だった。同僚の女性は友達のあまりに酷い言葉に泣き、怒りで我を失った友人は泣いている彼女に向かってさらにお前は脳なしだ!ベストセラーなんか読んでいるからこんなたわいのないことでピーピー泣きやがるんだ!と責め立てた。ああ!彼女はベストセラーを読んでいるだけでなんでここまで言われなきゃいけないんだろうと思っただろう。僕は彼女をこんな奴に会わせた事を後悔してひたすら彼女に謝り、そして友人に注意した。

「彼女の言う通りじゃないか。お前はいい加減ベストセラーに対する偏見を捨てて素直に本を読んでみろよ!けなすのはそれからでも遅くないだろ?」

 友人は僕の話を舌打ちしながら聴き終えると同僚に向かってじゃあそのベストセラーのバカ本呼んでやるからオレに貸せ!と言った。同僚は誰があなたなんかに貸すか!本がアンタの汚いあかで汚れるだろうが!そんなに本読みたかったら自分で買え!と言い返した。すると友人もお前出版社の宣伝員か?人にゴミを売りつけるつもりかよ!お前がいうほど面白れえってんなら黙って本を貸せよこのバカ!僕はパーティーの席でヒートアップする彼らをどうにか抑えようと今度は彼女に向かって友人に本を貸してやってくれと説得した。もうこうでもしないと収まらない。僕は彼女に友人は決して本を汚すようなやつじゃない。コイツにはちゃんと除菌処理させるからと頼み込んだ。だが友人ときたら僕が同僚を説得している間も彼女に向かって、このバカ女は自分のバカさ加減がばれるのが怖くて俺に本を貸しやがらねえんだ!とTPOを無視しまくった罵倒をしまくっていた。その罵倒に彼女はとうとうブチ切れて友人に向かって本を突きつけるとこう叫んだ。

「じゃあアンタの言う通り本を貸してあげるわよ!何がバカ女よ!この本読んで自分がどれだけバカ男なのか自覚しろ!感動の涙で本を濡らしたら一億円払ってもらうからな!」

 さすがの友人も彼女のこの剣幕に縮こまった。彼は恐る恐る本を受け取ると我を取り戻してキッと彼女を睨みつけて言った。

「へっ!俺がこんなバカ本を涙で濡らすわけ無いだろ!鼻水さえでんわ!まあ、こんなバカ本一瞬で読んで唾つけて返してやるぜ!」

「私の本に唾つけられるもんならつけてみろ!どうせお前は感動してピーピー泣くに決まってるんだから!」

 そして僕らはそれからすぐに別れたのだが、友人と同僚は最後まで喧嘩腰で読んで泣いたら一億円だからな!だの涙の代わりに唾をたっぷりプレゼントしてやるぜ!だの最後まで罵倒しあっていた。


 その翌々日である。夕方友人から突然電話がかかってきた。今すぐ来てくれという。それで僕は友人のいるバーで彼に会ったのだが、彼は何故か目を真っ赤に腫らして潤ませてるではないか。しばらく彼は黙ったまま何も言わなかったが、突然自分のかばんを探り出して僕に濡れてしわくちゃになった本を差し出した。

「これってまさか……?」

「そうあのバカ女の本だ。あのな、誤解されると困るから先に言っとくけどな。これは昨日水洗便所に落としたんだ。ふん、ほんとに落としてやったんだからな!絶対に感動のあまり本を涙まみれにしたわけじゃないからな!主人公の女が死ぬ寸前に恋人に愛の告白したっていうつまんねえとこで泣いたりしてねえからな!それをちゃんとあのバカ女に言っとけ!」

「でもこんなぐしょぐしょの本返したら彼女怒るぜ。俺これ返すの嫌だよ。自分で返して来いよ。……まあ、おとなしく一億円払うんだな」


 それからどういう経緯があったのかわからないが、友人と同僚は結婚した。僕はそれを聞かされた時思わずなんでアイツと結婚したんだと彼女に聞いたら彼女は照れたようにこう言った。

「だってアイツ、あの時泣いたら一億円払ってくれるって言ったじゃん。アイツ返して来た時はあんなバカ本読んで泣くわけないだろ!って言ってたけどちょっと問い詰めたらすぐに感動して泣きましたって正直に認めたの。なんかそれ見てたら可愛くなっちゃって……」

 当然僕は友人に結婚の理由を聞いた。しかし彼は同僚の言い分と全く正反対のことを言っていた。

「俺はな、アイツに正直に水洗トイレに落としたって言ったんだ。決して涙で濡らしたんじゃねえぞって。そしたらアイツ泣き出して本を抱きしめるじゃねえか。俺はそんなアイツに申し訳ないと思ってさ。それでごめんよって謝ってたらなんかアイツ潤んだ目で俺を見るじゃねえか。それを見てたらなんか愛しくなっちゃって……」

 と友人は今でも本が濡れたのはあくまで水洗トイレに落としたせいだといいはる。まあ始めから何もかもバレているのだが。


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