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フォルテシモ&ロマンティック協奏曲 第十六回:第二部『フォルテシモ&ロマンティック交響曲』開演!

前回

 やがて休憩を知らせるアナウンスが鳴った。しかし誰も席から立とうとはしなかった。レインボーたちはこの奇跡を見逃すまいと膀胱の緩いものはおむつまで履いていたのだ。このWキリストのためなら尿意も便意も全然平気、むしろ漏らしたら漏らしたで本望だ。そんな凄まじい覚悟で第二部の開始を待っていた。場内の所々で紙をめくる音がする。レインボーたちは第二部を待ちきれなくてそれぞれ何度もプログラムや先行発売のダウンロードサービスの楽譜を印刷したものを読んでいた。来るべき第二部。きっと自分たちはそこで七色の光の奇跡を見るだろう。ああ!待ちきれない!二人のイエス・キリストが今揃って私たちの元に降臨する。レインボーたちは再び無人となったステージを見る。そこに輝いているのは七色の光。もうすぐその光は音楽となって世界に広がっていくだろう。

 さてその二人のイエス・キリストは今楽屋で静かに出番を待っていた。大振と諸般は今目を瞑って精神を集中させていた。もはや迷いはない。後はもう突き進むだけ。二人はここまで幾多の苦難を共に乗り越えてきた。あとはフォルテシモ&ロマンティック協奏曲を演って成就させるだけだ。二人の頭の中で走馬灯のように過去の思い出がよぎった。大振はイリーナとの叶わなかった恋を思い出し、諸般はホセとの堕落した愛欲生活を思い出した。だがそれはもうすべて過去の話だ。諸般は目を開けて未だ目を閉じている大振に向かっていたずらっぽい笑みを浮かべてこう尋ねた。

「タクト、今誰かの事を思ってるよね?」

 大振は突然の質問に驚いて目を瞬かせて諸般の方を向いた。

「な、なぜそんなことを聞く。俺は誰の事も思っておらん。ただ遠い過去の事をちょっと思い出しただけだ」

 諸般はその大振の答えを聞いて微笑んでこう言った。

「僕もそうさ」


 そしてとうとう第二部が開幕した。アナウンスが第二部の開始を告げた時、現代のWキリスト大振拓人と諸般リストの奇跡を見逃すまいと尿意にも便意にも耐えていたレインボーたちはこのアナウンスを聞いて狂喜した。いよいよあの二人がそろってここに降臨する。七色の光を指揮棒とピアノから放って私たちを七色に輝く未来へと導いてくれる。ああ!今その二人のキリストの従者であるフォルテシモ・タクト・オーケストラの面々が揃って入ってきた。半部ぐらい一日四回シャワー浴びているのに清潔感の抜けてなさそうな不細工なオヤジたちばかりで、一体こんなスメハラ一直線のオヤジたちが大振と諸般の従者を務められるのかわからないけど、でも今は彼らの存在を我慢するしかない。だってこの不細工なオヤジたちがいなかったら二人の七色の愛の『フォルテシモ&ロマンティック協奏曲』は成り立たないのだから。オーケストラがそれぞれの自席に着席し、あとは二人を待つだけとなった。会場は異様な沈黙に包まれた。もうすぐ降臨する現代のWイエス・キリスト。ああ!早く奇跡を見せて!

 その時突然ステージからまばゆい七色の光が発せられた。それを見てレインボーたちは一斉に絶叫した。とうとう降臨したのだ。現代のキリスト、現代の現人神が!漆黒の燕尾服を着た大振拓人と純白の上着がドレスのように広がっているタキシードを着た諸般は仲睦まじくステージに現れ、いや降臨した。レインボーたちは全員起立して二人の名をコールした。

「大振拓人、諸般リスト、偉大なる七色のWキリスト。そのお力で今こそこの汚れ切った地上を七色の光で照らしたまえ!」

 七色のWキリスト大振拓人と諸般リストはこの大歓迎に顔を赤らめて苦笑した。レインボーは黒と白の結婚式に似つかわしい衣装を着た二人が恥じらう姿を見て、まるで二人の結婚式に参加したような錯覚を味わった。ああ!幸せになってね!幸せになって私たちを永遠に七色の光で照らしてね。二人の救世主はレインボーたちへの感謝を込めて客席に深く一礼し、そしてそれぞれの場所へと向かった。

 異様なまでの緊張感が漂う沈黙の後の一撃だった。指揮台の大振が掘る手下なまでに激しく指揮棒を振り下ろした瞬間、諸般のロマンティックなピアノが鳴り響き、その二人の周りからオーケストラがけたたましくなりだしたのである。ああ!とうとうフォルテシモ&ロマンティック協奏曲が始まったのだ。レインボーたちは最初の一音から二人のフォルテシモとロマンティックのものすごいアッパーカットを浴びた。頭がグラグラするほどの衝撃。フォルテシモとロマンティックで心も体も七色に焼かれて蒸発しそう。第一楽章で展開される二人の宿命的な出会いを奏でた楽想。それはレインボーたちが二人がそれぞれ作っていた『交響曲第二番:フォルテシモ』と『ピアノソナタ:ロマンティック』で耳にしたものだった。大振は元々作っていた交響曲の第一楽章ではイリーナとの出会いをテーマにしていた。諸般もまた彼のピアノソナタの第一楽章はホセとの出会いをテーマにしていた。だがそれは今となってはもはや仮初のものでしかなかった。二人は共作している時に知ったのだ。今まで互いが恋愛感情を持っていた相手の為に作っていたと思っていた曲はこの『フォルテシモ&ロマンティック協奏曲』の為に書かれたのだという事を。二人は互いに初めて出会ったときに感じた狂おしいほどの憎しみと、そして憎しみの中にほのかに目覚め始めていた愛を全身で表現していた。大振は指揮台から飛びだして諸般に体全体で憎しみと愛を過剰なまでのフォルテシモで表現し、諸般もまたロマンティックに髪を振り乱し鍵盤の上であん馬をしてかつて大振に抱いていた嫌悪感と愛を表現したのであった。やがて二人は己の中隠されていた互いへの愛に気づく。嵐は止み七色の光が二人に注いだ。大振のオーケストラと諸般のピアノは激しく互いの思いをぶつけ合い、そしてすべてを分かち合った恋人の如く一つの旋律となった。

 嵐のような第一楽章であった。レインボーたちはこの猛烈なラッシュにもうノックダウンしてしまいそうであった。殺し合いを始めそうなほどいがみ合っていた二人の演奏が最後に分かち合って一つになるまでのあまりにフォルテシモでロマンティックな演奏。見事すぎるぐらい見事であった。クラシックの名曲たちの中でここまで人間の感情をむき出しにしたものがあるであろうか。二人がこれまで演奏していたクラシックの名曲たちでもここまで深く人間というものを突き止めてはいなかった。大振と諸般はこのピアノ協奏曲でクラシックの限界を超えてしまったのだ。だがこれはあくまで二人の曲が一つになったからこそなしえた事。実際この曲の下であるそれぞれの交響曲とピアノソナタはここまでの境地には到底達していなかったのだ。

 しばしの休息を得て第二楽章が始まった。この第二楽章こそ例のマッシュアップ動画と瓜二つと呼ばれている楽章である。あのマッシュアップ動画は大振拓人の『交響曲第二番:フォルテシモ』と諸般リストの『ピアノソナタ:ロマンティック』の第二楽章を合わせたものだが、大振と諸般はそのマッシュアップ動画の音源を元に改めて曲を作り直しブラッシュアップしたものなのだ。実際この第二楽章がなかったらこの『フォルテシモ&ロマンティック協奏曲』は生まれなかったであろう。いわばこの第二楽章は『フォルテシモ&ロマンティック協奏曲』の大元である。しかしこれはなんと素晴らしいものか。この甘い、まるで歌謡……いや、バカにでもわかる偉大なる芸術作品はすべてが砂糖菓子で覆われた惑星のようだ。そのフォルテシモなまでに甘い惑星にはチョコレートの雨が降り注ぐ。オーケストラとピアノによって綴られる大振と諸般の甘い恋のアンダンテ。ゆっくりと、アダージョまで堕ちそうなほど甘い演奏は客席のレインボーたちの悶えさせてしまう。大振と諸般はステージで危険なほど見つめ合い互いの官能的なまでに身をよじらせる。だけど純粋なる二人は蜜になる前に立ち止まる。まだその時じゃない。甘さで溺れ死にそうなほどのメロディの中もだえ苦しむ二人。ああ!官能の喜びを知らぬ二人は自分の思いを持て余したままだ。だがその二人の思いを代弁するオーケストラとピアノは自然と二人を結びつけてしまう。客席のレインボーたちはあまりにじれったくなってため息をついた。ああ!拓人、リスト。あなたたちはここで結ばれるべきなのにどうして踏み出さないの。一歩、そうだった一歩であなたたちは体を寄せ合うことが出来るのよ。ほら踏み出して私たちが見守ってあげるから。だが、ここで第二楽章はフィナーレを迎えてしまう。オーケストラはピアニッシモとなり、ピアノは最後の和音を鳴らして間もなくして消えてしまった。


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